〔6〕





 刻は、夜。他には誰もいない四人が集合場所として使っている場で、ギィサリオンはセレスティナに向かって、先刻唐突に抱いた疑問を耐えきれずにぶつけてしまっていた。



「─────ひとつ、訊ねたい。セレスティナどのは……リオディウスさまをどう思われているのか?」

「え…?」

 恐らくは彼女当人が隠していた想いをすばり言い当てられたからか、セレスティナは一瞬目を丸くして、明らかに当惑しているような表情を浮かべている。

「そ…それは、絶対にあり得ませんわ。だって、あの御方には誰よりも心を通じ合わせている婚約者の方がいらっしゃることも、ちゃんと存じておりますもの」

 彼の人の婚約者のことは、ギィサリオンも知っている。あの思慮深く控えめなリオディウスが、誰の勧めでもなくみずから是非彼女をと望み、相手の女性もずっと彼だけを見つめていたとわかって、あの王ですら認めたという婚約者だったから。王の側近である大臣の一人の令嬢で、淑女としての教養もたしなみも身につけているという美しい女性だった─────ギィサリオンにとっては、セレスティナにかなう女性など存在しなかったけれど。

「先ほども言った通り、いまこの場は地の精霊たちによって、完全に遮断された空間となっている。もちろん俺も、他言するつもりはない。だから……いまだけは、正直に語ってほしい」

 そう告げたとたん、セレスティナの青い瞳が一瞬悲しみの色に彩られた気がした。やはり、そうかと思う。

「な…何をどう勘違いをなさってそう思われたのかはわかりませんが、私にはまったく心当たりはありませんわ。確かにあの御方に敬意を抱いてはおりますが、それは一人の人間として好ましい方に抱くそれであって、色恋沙汰のそれではありませんもの」

 予想通りの答え。軽い苛立ちを覚えながら、先刻告げた言葉を繰り返す。

「何度も言うが、ここで話したことは決して表にもれることはない。だから、正直な気持ちを話してもらいたい」

 誰でもない、自分にだけは。

 その瞬間、セレスティナの瞳に困惑の色と、苛立ちにも似た表情が浮かんだ。

「……私は…」

 セレスティナの形のよい唇が、そっと開いた。

「この上なく正直な気持ちを話しております。それなのに、どうして信じていただけないのですか……?」

 明らかに、不快感を抱いているような表情。彼女のそんな顔など、ギィサリオンは初めて見た気がする。

「それは…彼の御方に迷惑をかけないようにしているとしか思えないからで……」

 次の瞬間、ギィサリオンですら思わず気圧されてしまいそうな気迫が、セレスティナの全身から立ち上ったように思えた。

「ならば、どうすれば信じていただけるというのですか!? ほんとうにそう思っているのならともかく、事実無根のご意見をまるで真実のように語られて、それは違うと証明するすべなど私は存じておりません!」

 初めて見る、セレスティナの感情的な姿と声だった。いままでギィサリオンが抱いていた彼女の像とはずいぶん違っていたが、彼女もひとりの人間なのだとこれまでの認識を改めるには十分な姿で─────自分でも、妙なところに感心していると思っていたが、これまでは凪いだ海のように穏やかな気性だと思っていた彼女の、血の通った一面を見られて、それどころではないはずなのに安心している自分も心のどこかに存在していて……。

 一気にまくしたてて息が切れたのか、はあ…と大きく息を吐いて吸って…幾分冷静さを取り戻したらしいセレスティナが再び口を開いた。

「─────もう、結構です。そうお思いになりたければ、御勝手になさってください。真実を話すようおっしゃられましたわね。私にとってはそれが真実なのですから、これからも否定し続けます。それでも信じていただけないのなら、仕方ありません。私は王の仰せの通り、全力で戦いを続けるだけです。たとえ、幾度も助けていただいた貴方さまを相手にしてでも」

 わずかに落ち着いた声音でそこまで言ってから、洗う必要のある食器を集めてセレスティナはギィサリオンに背を向けた。

「…川に行って、洗い物を済ませてきますので。こちらの片付けをお願い致します」

 それだけ告げて、ギィサリオンが引き止めようとするより早く、セレスティナは木々の間に姿を消してしまった。後には、焚き火の爆ぜる音と、もう何も言えなくなってしまったギィサリオンだけが残される。

 何を…しているのだ、自分は。彼女を怒らせたかった訳ではない。単に、正直に胸の内を明かしてほしかっただけだ。彼女がリオディウスを好きだったとしても、彼には互いに大切に想い合っている相手がいる以上、ギィサリオンには何をしてやることもできないというのに。どうして自分は、あんなにも彼女の秘めた想いを吐露させようとしたのか。

 自己嫌悪に押し潰されそうになるギィサリオンの心にとどめを刺したのは、他の誰でもない彼の従兄弟であった。

「─────ばっかじゃねえのっ!?

!!

 唐突に背後から聞こえてきた声に、ギィサリオンは心臓が飛び上がらんばかりに驚いてしまった。気配すら、微塵も感じなかったというのに!

「ジ、ジィンっ!?

「鈍さもそこまでいくと、他人からしたら大迷惑の極致だぜ? 彼女だってあれだけ否定してたってのに頑なに決めつけられて、可哀想に。ほんとにこうと決めたらテコでも動かないんだからなあ、相手にしてみたらたまったもんじゃねえよ」

「え…?」

「いくら嫉妬で目が曇ってたからといって、相手を傷つけていい免罪符にはならねーっての。しっかし、ティナちゃんもおとなしいだけかと思ったら、やっぱしサラちゃんの従姉妹だよなあ。俺さっき、もう少しで丸焼きにされるとこだったんだぜ? 間一髪で逃げきったけどさ」

 いま…ジィレインは何と言った? 「嫉妬」? 誰が誰に!?

「ジィンっ 嫉妬とは…!」

「この期に及んで気付いてなかったのかよ。そらリオディウスさまは誰にでも好かれておかしくないお人柄だと思うし、実際俺も敬意を抱いているけどさ。だからといって、女性の誰もが惚れる訳でもねーだろが。そりゃ焦りや先入観が先にあれば、そうとしか思えないかも知れねえけどさ。だからといって、一番大事な相手を傷つけてちゃ世話ねーよなー」

 「嫉妬」発言といい、「一番大事な相手」発言といい……ジィレインはいったいどこから聞いていて、更にどこまで気が付いているのか。問いかけるようなギィサリオンの視線に、ジィレインは呆れ果てたような表情を見せた。

「だーかーらー、お前はわかりやす過ぎるんだっつーの。それより、いま何より先にやらなきゃならないことは何だ? まさか、それすらもわかんねーとか言うんじゃねえだろうな」

 いま何より先にやらなければならないこと……。頭で認識するより早く、身体が動き出していた。セレスティナが消えた方角に向かって、脚が勝手に走り始める。

「ジィンっ 悪いが、後の片付けはまかせた!」

「へーへー、わかったよ。今度は間違えるなよー」

 ジィレインの声を背に受けながら、ギィサリオンの心は既に目的地へと飛んでいた…………。




                     *      *




 どうしてこんなことになってしまったのだろうと、セレスティナは思う。こらえようとしても、意思に反して涙は目尻に少しずつ滲んできてしまう。こんなことで、泣きたくなんかないのに。

 確かに、ギィサリオンへの想いは誰にも知られる訳にはいかなかった。けれど、だからといって他の男性へ想いを寄せていると思われてもいいのかは……まったく別の問題で。まさかそんなことになるとは思っていなかったから想定すらしていなかったが、誰でもないギィサリオンにそう思われることが、こんなにも辛く苦しいものだなんて思いもしなかった。

「…………ギィサリオンさまの……馬鹿」

 洗い物をしながら、すん、と鼻を鳴らす。そこに、予想もしていなかった声が背後から投げかけられたのは、次の瞬間のこと。

「─────まったくだ。ほんとうに、済まなかった」

!?

 思わず振り返ったセレスティナの目に映ったのは、わずかに呼吸を乱して、ほんとうに申し訳なさそうな表情を浮かべている…ギィサリオンの姿。

「ど…して……」

「ジィンに説教を食らった。お前は鈍くて頑固過ぎる、と」

「ジィレインさまが?」

「…確かに、先入観と固定観念でガチガチに固まっていたと思う。そのせいで、貴女を傷つけた。ほんとうに…申し訳ない」

「まったくです」

 込み上げてくる涙を堪えるあまり、自分でもキツ過ぎるのではないかと思える言葉が口をついて出ていた。

「あれほど『違う』とお伝えしたにも関わらず、聞く耳を持ってくれないんですもの」

 止めようとしても、止まらない。それほどにギィサリオンの言葉に苛ついていたのかと、自分でも驚いてしまうほどだ。明らかに意気消沈した顔を見せる彼に、これ以上傷つける言葉を投げかけたくなくて、セレスティナは前を向いて再び食器を洗い始める。

「……驚いた。貴女に、そんな言葉を口にする一面があるとは思わなかったから」

 自分でも、こんな言葉を口にできるなんて、思ってもみなかった。サラスティア相手ならともかく、誰でもないギィサリオンを相手にして、なんて。

 そう思うものの、セレスティナの傍らにやってきて、作業を手伝い始めたので、とたんに胸が高鳴り始めて、言おうと思った言葉が一瞬にして吹っ飛んでしまった。

「……こ、こちらこそ驚きました。ギィサリオンさまが、あんなに頑固で融通の利かない方だったなんて」

「よく、言われる。親しい者限定ではあるが」

 隣で、苦笑する気配。セレスティナは平静を保つのに精いっぱいで、とてもそちらを向けなかったから、彼の表情はわからない。

「けれど、ホッとした」

「え?」

「セレスティナどのも、血の通った人間だったと実感できて」

 いままでは、どこか違う世界の存在のような気がしていたから。

「そ、それはこちらも同様です。冷静で達観なさった方かと思っていたのに、意外に年齢相応というか……」

「素直に、未熟者と言ってくださって構わないが」

 ギィサリオンはすっかり自嘲モードだ。

「い、いえ、そんなことは……」

 ないと言いたいところだが、どうしても言い切れなくて、曖昧に語尾を濁してしまう。

「でも、私のほうこそ、ギィサリオンさまの内面が多少なりともわかってホッとしたというか……」

 いままでは、どうしても恋する乙女の欲目で神聖視している節を自覚していたので。ギィサリオンも、自分と同じように自分自身でも感情を制御しきれなかったり、失言をしてしまったりするのかと思ったら、先刻の彼の言葉ではないが、等身大のほんとうの彼が見えた気がして、嬉しかった。

「…今度こそ、信じていただけますか────? 私は、あの御方に特別な感情は持ち合わせていない、と」

「ああ。いまなら、素直に理解できる。勝手に思い込んでいて、ほんとうに済まなかった」

 そう言って、こちらを向いて笑いかけてくる彼に、セレスティナの瞳から、先刻までとは種類の違う涙がこぼれそうになって、懸命に押しとどめる。

 さっきまでは、悲しくて仕方なかったのに。いまは、嬉しくて仕方がない。ずっと、遠い存在だと思っていたギィサリオンが、いま、これまで見せたことのない内面をさらけだして、隣にいてくれる。思っていた性格とはずいぶん違って、変なところで頑固で思い込みも激しかったけれど……それでも、自分で勝手に心で思い描いていた虚像の彼より、いまのほうがずっと人間味にあふれていて、親近感がもてる。内面を知れば知るほど、より一層彼が身近に思えて、惹かれていく自分を止められなくて……。

 洗い物をすべて終えて、所定の場所に戻してから、それまでよりずっとくだけた笑顔でギィサリオンと別れ、それぞれの天幕へと戻っていく。互いのイトコは既に眠りに就いていたようなので、極力音を立てないように気をつけながら夜着に着替えて、みずからの寝具へと身をすべり込ませる。

 昼間とは違う意味での、大切なひとの忘れたくない表情を脳裏に思い浮かべながら、セレスティナはそっと目をつぶった…………。




                    *      *




 その日の深夜。既に誰もいない大広間で、ひとり佇む存在があった。

 短くした、まるで陽光を写し取ったような金の髪、快晴の空を思わせるような鮮やかな青い瞳に、端正な顔立ち────誰もが一瞬、王と見まがうであろう容姿を持った、この世で唯一人の存在である人物……リオディウス、その人であった。

「………………」

 脳裏によみがえるのは、ほんの数時間前のやりとり。必死の思いで、理不尽な戦いに身を投じている彼らに、明日一日の休息をと懇願したリオディウスに、王は初めは不機嫌そうな様子を見せたものの、普段は控えめなリオディウスがなおも食い下がるのを見て、またしても残酷な提案を思いついたようだった。

『ならば、そなたがその分の責を負うと誓えるか? 四人の戦いが終わった後でいい。私を満足させるために、その身を差し出せるか? なあに、生命の危険を冒せとまでは言いはせぬ。そなたは私と血を分けたただひとりの弟でもあるし、彼の女性を悲しませることは私も本意ではないからな』

 彼の女性、とは、リオディウスの婚約者であるメレディアーナそのひとのことに違いないだろう。自分自身は数え切れないほどの女性を悲しませているくせに、よく言う、とリオディウスは思う。もしも彼女がリオディウスと心通わせていなければ、彼女もその毒牙にかけられていたかも知れないと思うと、心の底からぞっとする。

 王が、リオディウスに何をさせようとしているかはわからないが、決して楽な使命ではありえないことは、容易に想像がつく。生命の危険はないと言ったが、言い換えれば生命の危機に陥らない限り、どこまでも過酷なそれを言い渡す可能性が高いということだ。けれど、リオディウスに選択の余地はなかった。少しでも戦いの機会を回避し、彼らの誰一人欠けさせないようにするには、それしか手がなかったのだ。

「……くそっ!」

 平常であれば、決して口にしないような言葉を吐き捨てながら、リオディウスは広間の固い柱に拳を打ちつける。痛みと共に、拳に血がにじむが、そんなことは構いはしない。

 どうして自分は、こんなにも無力なのだと思う。王弟という誰よりも王に近い立場でありながら、王ひとり止めることができない。ほんの少し…ほんの少しの運命の悪戯で、自分が先にこの世に生を受けていたなら、アナディノスがどんな無体を国民に強いようとしたとしても、自分が絶対に止めてみせたものを。

 いまさら言っても栓ないことを思いながらも、再び柱に向かって拳を振り上げたところで、背後から誰かに引き止められた。完全に止めることはできず、全身の力を出し切っているであろうそれでも、リオディウスの腕の勢いを削ぐことしかできないほどの頼りないほどのものであったが、その温もりと細い手指で、誰でもないリオディウスにはその正体を察することができた。思わず動きを止めたところで、背後からかけられる声。

「リオ……もう、やめて…!」

 澄んだ声に悲痛な響きを宿し、リオディウスの腕に沈痛な面持ちでしがみついていたのは。リオディウスがこの世の誰よりも愛しく思う、メレディアーナそのひとであった…………。





    




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2012.3.21up

ようやく誤解が解けて、互いの内面を知ることができたふたり。
これから少しでも歩み寄ることができるのでしょうか。

そして、そんなふたりの知らぬところで、自分を責め続けるリオディウス。
彼の心も救われる日は訪れるのでしょうか。

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