〔5〕





 戦いたくない。

 それが、セレスティナの偽らざる本音だった。

けれど、王の命は絶対で。身を切る思いでギィサリオンに斬りかかり、思った通り軽くいなされたところで、今度はサラスティアの攻撃。どちらに殺されても構わないと思っていたが、冷静に考えればあまりに早く殺されてしまったら、「不甲斐ない者を代表として選出した罪」として、セレスティナに誰よりも近しい水の一族の皆が罰せられることは必至だ。だから、このまま殺される訳にもいかず、懸命に防御に努めた。

「ほらほらティナちゃん、もう後はないわよー?」

「…っ 見くびらないでほしいわねっ!」

 ギィサリオンの温もりを、いつまでもこの背で感じていたかったけれど、状況はそれを許さず、防御一辺倒ではどうしようもできなくなってきて……ここまできたら、セレスティナも攻撃に転じねばならなくなってしまった。

「水龍っ!!

 両手を高く掲げ、手の中に大量の水から成る龍をかたどる。どちらかというと防御系の能力を得意とするセレスティナの、数少ない攻撃の能力の一つだった。背後のギィサリオンに少しでも反動がいかぬよう細心の注意を払いながら、水でできた龍を解き放つ。そのまま炎ごとサラスティアを飲み込むかと思われたが、サラスティアの手から新たに放たれたそれ────セレスティナの水龍とよく似た、けれどこちらは炎でできた龍だ────と相討ちになって、双方跡形もなく消えてしまった。

 やはりサラスティアは手強いと思ったその時、肩に傷を負ったらしいギィサリオンの低く小さな声と共に、セレスティナの背にかけられる一瞬の重み。支えてあげたいと思ったが、セレスティナの力では、それはかなわなくて……そのうちにギィサリオンが彼女から離れて走り出してしまい、背に感じるのはいくばくかの冷たさをはらむ空気。たったいままで、彼の温もりが確かにここに存在していたというのに─────。

「…………」

 けれど、いまは感傷に浸っていられる時ではない。目前に、目下の敵として立っているのは、性格も能力も、セレスティナが他の誰よりも知悉しているといっていい、従姉妹の女性なのだ。

 火と水という、ある意味対等な、ある意味真逆な精神と能力を持って生まれた、誰よりも近しい相手─────サラスティア。彼女を相手に、手など抜けようはずもない。

「さっき言ったことは、本気だよ。あたしは絶対に生き残る。たとえ、あんたをこの手にかけようとも!」

 激しい炎の剣を携え、サラスティアがセレスティナに向かって走り出す。その黒髪と茶色の瞳を、炎に照らされているがために、炎そのもののような色に塗り替えながら。その姿は、まさに炎の女神だとセレスティナは思った。けれど、セレスティナとて負けてはいない。いまここで、殺される訳にはいかないのだ!

 金属同士のそれとは違う、不可思議な音を立てて、水の剣と炎の剣がぶつかり合う。ギィサリオン相手の時は簡単にいなされてしまったが、同じ女、それも数日違いでこの世に生を受けたサラスティアに力で負けるつもりはない。ギリ…と互いに歯を食いしばりながら、剣を交差させた状態のまま、互いの瞳を見やる。こんなに真剣に、彼女と戦ったことが、かつてあっただろうか。どこまでも不思議な気分を味わいながら、セレスティナは前を見据える。

 そんな二人の緊迫感を打ち破るように、大きく響き渡ったのは、ギィサリオンの叫び。

「ジィン、後ろだ!」

!?

 剣を交えながら、とっさにそちらを向いたセレスティナとサラスティアが見たものは。土煙を大きく上げながら、自分たちのほうへとまっすぐに向かってくる──────魔物たちの群れ。

「な…何よ、あれっ!」

 サラスティアが驚くのも、無理はない。王が守る国の領地から出ない限り、あれだけの数の魔物になど滅多にお目にかかれないだろうから─────他者に無体を強いたりするばかりでなく、ちゃんと王としての務めも果たしているのだから、あの王は質が悪いのだ。もっと愚鈍な王であったなら、とうの昔にあの王の即位を反対する派閥が現れて、彼ではなく弟であるリオディウスを王として祭り上げていたであろう。そのほうが、どれだけ平和な世の中になっていたか、想像に難くない。けれど、いま考えるべきことはそんなことではなくて……。

「…どうやら私たちの戦いが、魔物たちを刺激してしまったようね。滅多に人など訪れないであろうこんなところで、これだけ派手にやっていたら、魔物たちも気付くでしょう」

「そういうことだな」

 言いながら、ギィサリオンが再びセレスティナの傍らに寄ってくる。そんな場合ではないことは重々わかっているのに、セレスティナはとたんに存在を主張し始める胸の高鳴りを抑えることができなくて…。

「とにかく、あれを何とかしないことには、他には何ひとつできないってことだな。やったろーじゃんっ」

「それじゃあ……いっちょ、派手にやってやろうじゃないのさっ!」

 ジィレインとサラスティアの好戦的な声を聞きながら、セレスティナも半ば無理やり、恋する乙女のそれから戦士のそれへと、意識を切り替えた。


 戦いは、想像以上に凄絶を極めた。一体倒したと思えば、すぐにまた次の魔物が襲いかかってきて、息をつく暇もない。それでも、体力的に劣る女の身である自分とサラスティアを慮ってか、二人より更に多くの魔物を倒してくれているギィサリオンとジィレインの雄姿を見たら、そんな泣き事など口にする気にもなれなくて。ほとんど限界といっていいほどに力を出し尽くして、戦い抜いていた。

 けれど、さすがにまともに立っていることさえ難しく、最後にはサラスティアと二人、各々の剣を地面につかなければすぐにでもへたり込んでしまいそうだった。リオディウスは、「明日は休みにできるように尽力する」と言ってくれたが……リオディウスの人柄は信頼しているが、あの王相手ではそれがかなうかどうか。

「……お許しも出たことだし、とにかく仮初めの我が家に帰ろうぜえー」

 ジィレインの言葉に従うように、四人はのろのろと歩きだした……。

 天幕に戻って、とりあえず着ていた上衣を脱いで座り込むと同時に、隣の天幕から上がる高いびき。どちらのものかはわからないけれど、何となくジィレインかと思う。ギィサリオンとて普通の男性なのだから、いびきをかいたとしても何らおかしくはないのだけれど、恋する乙女の身勝手さから、そう思っても無理はない。セレスティナ本人は無意識だとしても。

 同じように上衣を脱いだサラスティアが、ぱたりと床に寝転がるのを見て、ハッとする。

「ダメよ、サラ…寝るなら、せめて寝具を敷かないと……」

「いいよ、もう…あたしゃ限界……」

 その言葉を最後に、サラスティアは健やかな寝息を立て始めてしまった。普段はどれだけ女らしくなくとも、いびきなどは決して発したことのない彼女はやはり女性だなと微笑ましく思いながら、近くにあった上掛けを掛けてやり、自分の分も手にしたところで、セレスティナにも睡魔という、先ほどまでの魔物と違い人間にはとても勝てないそれが襲ってきて、同じように上掛けにくるまったとたん、暗い深淵に落ちていくような感覚を味わった。

 先刻までの間に、瞳に刻み込まれたギィサリオンの凛々しい姿を、余すところなく脳裏に思い起こしながら…………。




                  *     *




 ギィサリオンの雄姿ばかりという、幸せこの上ない夢を見て目覚めた後は、いくらか疲労感がなくなったような気がして、そうなると今度は汗と土埃、そして魔物の血にまみれた自身の身体が気になってくるのは、女心というものだ。いまだ眠りから覚めないサラスティアを揺り起こしながら、声をかける。

「ん、あー…? なに、メシの時間ー?」

 そう言われて、今日は昼食を摂るのを忘れていたことを思い出すが、いまは空腹感よりも、こんな姿で再びギィサリオンの目にふれたくないという思いのほうが重大な事柄だった。少しでも眠ったからか、冷静に考えられるようになったのかも知れない。

「そうじゃなくて。汗と汚れで、気持ち悪くない? 食事の前に、さっぱりしたいんだけど、それにはサラの協力も必要なの」

「えー、めんどくさーい」

「そんなこと言わないでっ 協力してくれたら、ここにいる間の洗濯全部引き受けるから」

 それは、サラスティアにとってなかなか魅力的な提案だったらしく、かなり億劫そうにではあるが、ゆっくりと、だが確実に起き上がってくれたのでホッとする。

最悪の場合、水浴びでも我慢できなくはないが、いくら天帝と異名を持つ王の力のおかげで過ごしやすい気温に保たれているとはいえ、できることなら冷たい水に全身を浸すのは遠慮したい。いくら水の精霊の加護を受けている身とはいえ、水の温度を湯と呼べるほどに上げることまではできなかったから。

そうして、隣の天幕から聞こえてくるいびきに安堵して、サラスティアを促しながら近くの川の、少し離れた下流へと向かったのだが────もちろんそれは、ギィサリオンたちに気付かれないようにするためだ────半分は無駄な徒労に終わってしまって、セレスティナは後でがっくりと肩を落としてしまった。よもやまさか、よりにもよってギィサリオン当人に、一糸まとわぬ姿────正確にはどのへんまでしっかり見られてしまったのかわからないが────を見られてしまうなんて!

 いまさら────生きるか死ぬかという極限に身を置いた状態で、「嫁ぐ相手以外に肌を見せる気はない」などと言うつもりはないが、他の誰でもないギィサリオンにあられもない姿を見られてしまうなんて、恋する乙女としてはとんでもなく恥ずかしいことだった。こればかりは、いくら頭でわかっていても感情がついていかない。

 そこに、かけられる声。

「いま、上がってきた。手数をかけて済まなかったな、非常に助かった。ありがとう」

 天幕の厚い布越しに聞こえてくる、わざわざ確認しなくてもわかる、他の誰でもない愛しいひとの声。「いえ…どう致しまして」と答えるだけで精いっぱいで、セレスティナはぽふんとクッションに顔を埋めた。恐らくは真っ赤に染まっているであろう顔を、サラスティアに見られる訳にはいかなかったから。

「─────ティナ。あんた、もしかして……」

 珍しく茶化すような響きの感じられないサラスティアの声を、遮るように再び外から聞こえてくる声。

「サラちゃん、ティナちゃん、いい加減腹へってこねえ? ついでに野草と動物狩ってきたから、メシにしようぜえっ」

 もう堪えきれない、というほどに性急な響きを宿す声に、セレスティナは慌てて平常心を取り戻して顔を上げる。

「そ、そうね、サラもお腹すいてるのでしょうっ? 早く夕食にして、今夜は早々に寝てしまいましょう」

 早口でそうまくしたてると、サラスティアも空腹を思い出したのか、「そうだね」とだけ答えて立ち上がった。

 食事の場としている場所に着くと、既にギィサリオンとジィレインは獲物をさばき始めていて、二人が隣同士で並んで座っている以上────正確には焚き火を囲んで四方に散って座っているので、隣同士というには語弊があるが────「覗きヤローの隣は嫌だ」とサラスティアが強固に言うので、セレスティナがギィサリオンの隣に腰を下ろすしかなく、ちらりとこちらを見たギィサリオンと共に、かすかに頬を染めながら何となく気まずい空気を感じてしまう。

反対側に腰を下ろしたサラスティアが即座に火をおこし始めたのを見て、セレスティナも専用の容器に入れていた魚をさばき始める。戦士と名乗る以上、「そんなことはできない」などと綺麗事は言う気もないし、甘えるつもりもない。確かに人間に限らず命は大事だと思うけれど、自分が生きるために犠牲にした命を無駄にしないためにも、きちんと食べてあげることが礼儀だと思うから、だから。下処理をして、サラスティアの用意した焚き火のそばに串に刺したそれを並べる。ギィサリオンが、意外そうな顔をしてこちらを向いたのに気付いて、そっと微笑みを返した瞬間、脳裏によみがえるのはほんの一刻ほど前の出来事。

 慌てて前を向いて、火に顔を照らして赤くなったそれをごまかす。

「…明日。ほんとに休みになると思うかー?」

 ふと思い出したようにジィレインが口を開く。

「わからん。けれど…リオディウスさまの言葉を信じたいところだな」

 ギィサリオンもリオディウスのことは全面的に信頼しているのだろう、彼のことを話す時は心なしか表情がやわらぐような気が、セレスティナにはしていた。

「リオディウスさまは…ほんとうにお優しい方だから……きっと、いまのこの状況にお心を痛めていらっしゃるのでしょうね」

 ほんとうに何気なく言った言葉に、ギィサリオンの手が一瞬ぴくりと震えた気がしたが、見間違いだろうと思ってセレスティナはとくに気にしていなかった。

「つーか、たとえ休みにしてくんなくても、あたしゃぜってー朝起きないかんなっ ティナ、無理に起こそうとしたら、その場で場外乱闘が始まると思えよっ」

「そんなことしないわよ。正直言って、私も同感だもの」

 あまりにもらしいことを口にする従姉妹に、ついくすくすと笑いながら答える。そんな自分を、ギィサリオンがどんな眼差しで見つめているかなど、まるで知らぬままで……。


「悪いけど、あたしゃもう限界。ティナ、後片付けまかせてもいい?」

「いいわよ、さっきもいろいろ手伝ってもらったし。お休みなさい」

「悪いね、次はあたしがやるからさ」

 こちらを見ないまま手を振って去っていくサラスティアに、セレスティナは笑顔で応える。サラスティアがああ言うということは、焚き火は既にサラスティアの手を離れているから、後は水や砂をかければ容易く消えるということだろう。

「あ、サラちゃん、なら俺と一緒に寝ない? 疲れのせいか、なんか今日は人恋しくてさー」

 そんなことを言いながらサラスティアの後を追ったジィレインの顔面に、サラスティアの容赦のない拳が見舞われる。

「人恋しきゃ、てめーの従兄弟とでもくっついて寝りゃいいだろが」

「サラちゃん、それはあまりなお言葉……何が悲しくてあんなごついのと密着して寝なきゃならないのさ…」

 芝居がかった様子でよよよと泣き崩れるジィレインと、彼をまるで歯牙にもかけないサラスティアのやりとりは、何だか喜劇を見ているようで、悲壮な現実を束の間忘れさせてくれる。

「…面白い方ですのね、ジィレインさまって」

 ある意味、サラととても気が合ってるみたい。くすくす混じりにそう続けて、後片付けに取りかかろうと振り返ったセレスティナは、真剣な瞳で自分を見つめているギィサリオンの視線にとらわれて、そのまま指一本動かせなくなってしまった。

「あ…あの……?」

 心臓が、早鐘のように鼓動を早め始めて…呼吸すら、うまくできない。

 何故、ギィサリオンはそんな表情で────痛みすら感じさせるような、真剣極まりない表情と瞳で自分を見つめるのだろう? セレスティナは、真剣にわからない。

「─────ひとつ、訊ねたい。セレスティナどのは……リオディウスさまをどう思われているのか?」

「リオディウス…さま?」

 何故、ここで彼の人の名が出るのだろう。どれだけ考えても、やはりわからない。

「お、王の弟君で、王同様ご立派な方だと思っておりますが」

 それは、半ば嘘。王については治世についてはそれなりに評価しているが、人間性についてはまるで好意を抱いていない。そんなことは、決して表には出せないけれど。だがリオディウスについては、その人間性も勤労ぶりも────あの王を、かろうじてだが暴走させきらない手腕は、実は王以上に評価している。他の皆も恐らくは同様に思っているだろうが、やはり表には決して出せない、正直な思い。

 それが何か、と問うと、ギィサリオンはどことなく辛そうに目を伏せた。彼の言いたいことが、わからない。

「そうではなく……いまここは、地の精霊たちによって隔離されていて、何を話しても決して外に洩れることはない。だから、正直に話してほしい。貴女はもしや、彼の御方に敬意以上のお気持ちを抱いているのではないか?」

 あまりにも唐突な言葉に、セレスティナは一瞬何を言われたのかわからなかった。誰が…誰に好意を抱いていると? セレスティナが? リオディウスに? 敬意は確かに抱いているが、それ以上の感情など、考えたこともない。でなくても、彼の人には美しい婚約者がいることもちゃんと知っているし、自分だって誰よりも大切なひとがいるのだ、もともと抱いていた感情以外、抱きようがない。

「そ…それは、絶対にあり得ませんわ。だって、あの御方には誰よりも心を通じ合わせている婚約者の方がいらっしゃることも、ちゃんと存じておりますもの」

 ギィサリオンの真意がつかめなくて、炎に彩られた闇の中、セレスティナは真剣に首を傾げてしまった………………。



    




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2012.3.14up

何やら誤解をしているかのようなギィサリオン。
セレスティナは誤解を解くことができるのでしょうか。

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