〔7〕





 どうして暁が絡むと、自分は何かしら面倒なことに巻き込まれることになるのだろう。



 そう、夕映はしみじみと思い返していた。そういえば、そもそもの出会いからして最悪だった。自分の誤解が大半を占めていたとはいえ、よりにもよって陽香の命日の墓参りの直後に暴走族としか思えないような相手と出会うなんて、誰が予想できようか。あの晩は、怒りと哀しみのあまりなかなか寝付けなかったことを覚えている。

 その翌日には、あのスクーターを買う買わないの騒ぎで、その後は夕飯にご招待までする羽目になったし……そして今度は恋人役。よくよく考えてみると、最初と最後以外はほとんど貴絵に引きずられる形だったようにも思うが、それはまあいつものことなのでスルーしておく。

「…とりあえず、そんなとこかな」

 暁の勤め先兼実家でもある二輪車専門店の応接コーナーで細かい話────暁とどういうきっかけで出逢って、どういう経緯の果てに付き合うことになったか、などという辻褄合わせと言ったほうがいいかも知れない────をとり決めて、「着替えてくる」と言う暁に頷いて、暁の父であり雇い主でもある店主と、親友の貴絵と共に椅子に腰かけたまま待つ。今日はとりあえず、貴絵のスクーターだけ店主である男性に点検をしてもらって、夕映のものは明日の昼間に暁がしてくれるというのでこのまま暁と共に夕食を摂りに行こうという話になったのだ。何しろ、例の夏美がどこで見ているかわからないから、久しぶりに逢えた恋人同士としてはそのほうが自然だろうということで。

「…………」

 妙なことになったものだと思いつつふと横を見ると、貴絵が何か言いたそうなニマニマ顔でこちらを見ていたので、飲みかけていたお茶のお代わりを危うく吹きこぼすところだった。

「な、何よ貴絵、その顔はっっ」

「ん〜? べっつに〜。『面白いことになった』なんて思ってないわよ〜。夕映ってば、大変なことになっちゃったな〜って同情してたとこよ〜」

「その顔は、全然そう思ってない顔よっ どうせ、前者のほうが本音でしょうにっ」

「あら、わかる?」

「あんたと何年付き合ってると思ってるのよ」

 思わず貴絵の両の頬をつまんだところで、帰り仕度を終えてきたらしい暁がドアを開けて住居部分から戻ってきたので、慌てて手を離す。

「何やってんだ?」

「な、何でもありませんっ あ、準備できました?」

「ああ。あ、ほらメット。これかぶってな」

「え、バイクで行くんですか? 歩いていけるお店でいいんじゃないですか?」

「いや、下手げに近いとこに行くと、夏美に尾けてこられそうな気がしてな。今日はまだ打ち合わせしたばっかだし、あんま会いたくねえかなと思ってよ」

 友人としては大事に思っているからだろう、普段は何でもテキパキしている印象の暁にしては、どことなく歯切れが悪い。渡されたヘルメットを手に立ち上がろうとすると、視界の端に再び貴絵の人の悪い笑みが見るともなしに飛び込んできて、何とも落ち着かない。

「じゃあ貴絵、悪いけど、私はお先に帰らせてもらうわ」

「どうぞどうぞ、ごゆっくり〜」

 暁との恋人としての付き合いは演技だと、貴絵もわかっているだろうに────否、わかっているから余計かも知れない────ニマニマは止まらない。居心地の悪さを感じながらも、暁に続いて店舗から出ようとしたところで、その背にかけられる声。

「おう夕映ちゃん、そいつが何か悪さしようとしたら、遠慮なくこっちに言いな。いっくらでも制裁加えてやっからよ」

「するか、んなこと!」

 苦笑いを浮かべながら挨拶をして、ガレージへと歩いていく。ショルダーバッグを念のため斜めがけにして、それから自分の今日の服装に気付く。フレアのロングスカートとはいえ、あまり大股を開いて乗りたくはないなと思っていたところで、何か気付いたらしい暁が声をかけてきた。

「あ、今日はスカートを穿いてきちゃったから、どうしようかなと思って…」

「気をつけて運転するし、横乗りでも構わねえよ」

 ほんとうに気にしていない口調で暁が答える。最近気付いたことだが、言い方はぶっきらぼうではあるが、暁は根は優しいらしく、相手に気を遣わせないすべを心得ているように思える。相手が女性ならなおさらだ。夏美についても、これからも友人としては付き合いたいと思っているからか、取り返しのつかない事態にはならないよう気をつけているように見える。外見がこうだから、誤解を招きやすいけれど。

 いつか、そういうところをわかってくれる女性と出逢えるといいのに。

 と、夕映は他人のことを心配しているどころではないだろうことを、ぼんやりと考えていた。

「おい? 何ボーっとしてんだ、ちゃんとつかまってないと危ねえぞ」

 そう言われてハッとした瞬間、腕を掴まれて、ぐいと引っ張られて…ぽす、という音が聞こえるかのような軽い勢いのまま、暁の背に密着させられてドキリとする。思春期を経て以来、異性とこんなに密着した覚えがなかったからだ。

 何ドキドキしてるのよ、いくら免疫がないからってっ 暁さんはきっとそれなりに女性慣れしてるんだろうから、こんなことぐらい多分平気なんだから。こんなことぐらいで慌ててたら、この先思いやられるわよ、私っ

 そんなことを思いながら、あんまり密着し過ぎない程度に暁の背に抱きつく。ここで必要以上に意識していたら、暁に変に思われるだろうと思ったからだ。

 暁が連れて来てくれたのは、市内にあるファミレスのチェーン店のひとつだった。「悪いな、急だったからこんなとこしか思い浮かばなくて」とほんとうに申し訳なさそうに言うので、懸命にフォローをして────実際、ファミレスで別段文句がある訳ではまったくなかったので、素直に笑顔でそう伝えたのだ────すると暁にもその気持ちがちゃんと伝わったらしくすぐに浮上してくれたので、ホッとする。

「今度どっかに改めて行く時は、ちゃんと考えて連れてってやっから、期待しててくれな」

 店に入る前にそう言いながらぽんぽんと頭を軽くたたいてくれたので、ほんとうに根は優しい人なんだなと夕映は思った。そうなると、ますます初対面の時の誤解が申し訳なく思えてくる。

 店員に訊かれて暁が人数を答えると共に、ほとんど待たされずに席に案内される。てっきり喫煙席を選ぶと思っていた暁が選んだのは禁煙席で、夜のこの時間ともなれば煙草を喫う客のほうが多いだろうし、漠然と暁も喫うものかと思っていたので、店員に訊かれた時に迷わず禁煙席を選んだのが意外だった。

「…?」

 そんな思いが顔に出ていたのか、夕映の視線に気付いた暁が振り返って問うてくる。

「あっ あんたは煙草なんて喫うタイプじゃないなと思ってたから禁煙席を選んじまったけど……喫煙席のほうがよかったか?」

「あ、違うんです、私は喫いませんけど、何となく暁さんは喫う人かと思っていたので……」

「俺? 喫わねえよ」

 席に着いたとたんに不思議そうな顔で返されたので、更に驚いてしまう。

「煙草なんか喫ってるより、バイクで風切って走ってるほうがよっぽど気持ちいいしな。それに、整備中に煙草なんざ喫ってたら親父にぶっ飛ばされちまうよ、オイルやらに引火でもしたらどうすんだって」

 それもそうだ。ただでさえガソリンやら危険なものを積んでいる二輪をいじるのに、そんなことをしていたら恐ろしくてたまらない。交通課に籍を置いているだけあって、信じられないことが原因で炎上したり、トラブルを起こして結果事故につながった車輌を、いくつも見てきた夕映には納得のできる理由だった。

「さて。そんなことはいいとして、どれ頼む?」

 そういう風に外見で誤解されることには慣れているのか、別段気にした様子もなく、メニューを広げ始める。そんな彼を見ていたら、またしても見た目で勝手に判断したことが申し訳なくなってきて、思わず小さな声でささやいてしまう。

「……ごめんなさい」

「? 何が」

「気付かないうちに、また見た目で判断しちゃってたみたいで……」

 本気で自分の視野の狭さに嫌気が差していた夕映の頭を、暁はテーブル越しに腕を伸ばして、優しく撫でてくれる。驚いて、俯きかけていた顔を上げると、暁はニカッとしか表現のできない表情で笑っていて……その笑顔には、嫌味たらしさの欠片も感じられない。

「まあ気にすんなって。実際、男の喫煙率は女に比べて断トツ高いんだ、吸ってると思ってたって何の不思議もないさ」

「ありがとう…ございます……」

 そう告げると、暁が少々驚いたような顔をして夕映を見つめてきたので、夕映も驚いて見返してしまう。

「な…何ですか?」

「いや…あんたも素直に礼が言えるんだなと思ってさ」

「な…っ 私をいままでどんな目で見てたんですかっ!?

「だって、あんた俺相手だといつも何かケンカ腰っつーか変に構えてるじゃねえかっ」

「これでも初対面の時のことはいまだに悪かったと反省してるんですよ、なのにそんな風に思われてるなんてあんまりですっ」

「いや、悪い悪い。デザート奢っちゃるから許せや」

 口ではそう言いながらも、暁の顔は楽しそうに笑っている。それを見た瞬間、夕映も本気で怒っているのが馬鹿らしくなって、「まあ、もういいですけど」と言いながら浮かしかけた腰を再び椅子に下ろした。そうして、暁に促されるまま食べたい料理とデザートを選んで、店員に告げる。

277kcalか……」

 夕映の頼んだデザートのカロリーの数値を呟く暁の小声に、夕映の耳がすかさず反応した。

「何ですか? 奢ると言っておいて、『太るぞ』とか言うつもりですか?」

「何でそうなるんだよ、逆だ逆。もっと太ったほうがいいぐらいだっての。大体女は肉がついてるほうが抱き心地も触るのも楽しいってもんで…って、何でんな呆れた目で見るんだよ!?

「…いえ。男の人というものは、いつもそういうしょうもないことを考えているのかと思いまして。ああでも、男の人の皆が皆そういう人種と思い込むのも失礼ですね、トオルくんのような理性的な人もいるんだし」

「俺に言わせりゃトオルくんがそういう面を出さなさ過ぎなんだよ。ああいうタイプは意外にむっつりだったりするんだぜ、今度貴絵ちゃんに訊いてみな、絶対ふたりきりの時にはすごいだろうから」

「そんなこと訊けますかっ」

「何でだよ、女同士なんだし、堂々と訊いたらいいじゃん……」

 それまで楽しそうに話していた暁の表情が、一瞬にして凍りついて。まるで頭を抱えるかのように、まだ料理の来ないテーブルに突っ伏してしまったので、夕映は驚いて声をかける。

「暁さん? どうしたんです?」

「うっそ…だろお……」

「え?」

 それまでとは打って変わったような小声になって、暁が答える。

「夏美。尾けてきやがったのかよ……一人じゃ入りにくいとでも思ったのか、ご丁寧に慎二まで連れてきてやがる…………」

「!」

 その言葉に、考える間もなく夕映は振り返っていた。その瞬間、いくつかテーブルを挟んだ向こう側で、先刻暁の実家で見た覚えのある女性と目が合って…キッと鋭い目つきで睨まれて、一瞬怯んでしまった。夏美の変化に気付いたのか、こちらに背を向ける形で座っていた男性が振り返って、夕映と目が合うと同時にすぐに前を向き直って夏美に何ごとかを告げている気配。その言葉を受けてか、夏美の表情が不承不承という感じだったがいくらか和らいだので、夕映もホッとして前を向き直る。

 それにしても、と思う。夏美は見るからに気の強そうな女性だが────これは暁の時に反省したように外見だけのイメージからではなく、その意思の強そうな眼差しからもうかがえることだ────慎二のほうは失礼だがそのへんで普通に歩いていそうな男性だった。良くも悪くも、アクが少ないタイプとでもいうのだろうか。

「あの男性が慎二さんという方なんですか?」

「ああ。別にとくに気が弱いとかいう訳でもないんだけど、夏美に頼まれると弱いみたいでさ。いままでは幼なじみの範囲内で収まる程度の頼みごとだったから俺たちも別に何とも思ってなかったけど、これ以上慎二を振り回すようなら、いっぺんハッキリ言ってやったほうがいいかもな。もちろん、慎二の気持ちは伏せた上での話だけどさ」

「…………」

 夏美はともかく、慎二ともこれが初対面の夕映には、何を言うこともできない。ふたりのこれまでの関係を知らない自分には、言う資格も権利もないと思っているから。だから、暁の考えに反論するつもりもなかった────下手に口を挟んでボロを出さないとも限らなかったので。

 そのうちに頼んだ料理もやってきて、一時的にではあるがゆっくりと舌鼓を打つ。高級レストランなどでなくても、夕映を満足させるには十分なレベルの料理で、デザートまでしっかり食べ終わる頃には夕映の機嫌も完全に上機嫌になっていて、現在の状況をすっかり忘れてしまっていた。

「美味かったか?」

「はい!」

「満足したか?」

「はい!」

 だから、暁が申し訳なさそうな顔をするのが不思議になって、思わず首をかしげていた。

「食後の行動としては最悪な部類に入ると思うけど、協力よろしくな」

 伝票を持って立ち上がる暁の姿を訳がわからないまま視界にとらえながら、夕映はようやく現状を思い出した。そうだった。こんなにのん気に食後の充足感を満喫している場合ではないのだ。暁に続いて出口に向かうと、暁があえて避けて通ったらしい通路のそばのテーブルから、二人の男女が立ち上がるのが見えた。

 うそぉ……もしかしなくても、いきなり直接対決ってヤツ?

 じわじわとわき起こる焦燥感のおかげで、つい先刻までの満足感があっという間に霧散してしまった。暁の言う通り、「最悪の食後」となりそうな気配だ。

 暁と夕映の危惧通り、ふたりが店の外に出たとたん、それは起こった。

「─────暁。そっちの彼女も一緒に、ちょっと話があるんだけど」

 苛立ちを隠そうともしない声が、夕映の中に学生時代から何度もあった修羅場の気配を思い起こさせる。修羅場といっても、夕映はほとんど男女交際には縁がなく、たいてい勝手に男子側に想いを寄せられて、その相手の恋人なり彼を好いている女生徒なりからいちゃもんとしかいいようのない因縁をつけられるのが大半だったのだけど。

 暁が、「やはり来たか」と言わんばかりの顔で小さく舌打ちをする音が耳に届いた。他の人の邪魔にならないところへ行こうということで、駐車場の端に四人並んで移動して、二対二となるような位置関係で対峙する。

「……どういうこと? 先週あたしが告った時には、確か『お前を女として見たこともないし、これからも見られない』って言ったわよね? 彼女がいるなんて、一言だって言ってなかったわよね? なのに、何で今日になっていきなりそんな相手ができてる訳? 不自然じゃない?」

 鋭い切り口の言葉が夏美の唇から放たれる。けれど暁も負けてはいない。

「確かに『彼女がいる』とは言わなかったけど、俺はこないだに限らず最近は『好きな女がいない』とも言ってないよな?」

「どういう意味よ」

「こいつ……有川夕映っつーんだけど、お前らとは別方面のダチの彼女の親友でな。以前偶然会って以来、少しずつ好きになってたんだよ。んでこないだお前に言われた時には既に気持ちを伝えてて……返事待ちだっつーんな状況で、他の女になんか応えられっかよ」

「ならその時にそう言えばよかったじゃない。何か、とってつけたみたいな理由で、急には信じられないわよ」

「ならお前なら言えるってのか? お前と違って、長く友達付き合いしてた訳でもない、自分のことどう思ってんのかすらわかんない相手に告って、断られる可能性のが断然高いってのに、いま返事待ちですー、なんてよ」

「…っ」

 これにはさすがの夏美も返事に窮したようだ。それまで立て板に水とばかりに質問を重ねていた夏美が、言葉に詰まったように夕映には見えた。

「じゃ、じゃあ、そっちの彼女に訊くわ。こうなってるってことは、暁のことを好きってことよね、いったいどういうところが好きだってのよ、言ってごらんなさいよっ」

 自分に話を振られるのも想定の範囲内だったので、半ばヒステリックな声に応えるかのように、夕映は暁の背後から大きく一歩足を踏み出した……。





   





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2013.1.7up

いよいよ始まった「恋人のふり」。
夕映と暁は危機をうまく切り抜けられるのか?
次回、女の戦い勃発!?

背景素材「空に咲く花」さま