〔18〕





 その日は、朝からとてもいい天気で。実家兼職場のガレージのシャッターを開けた暁は、空に顔を向けて、思いきり腕を上げて大きく伸びをした。

「今日もいい日になりそうだなっ」

 上機嫌な理由は、それだけではない。ほんの数日前、ここであった出来事を思い出すだけで、自然に口元に笑みがこぼれてくる。あの時の夕映ときたら、知り合ってからこれまでで一番ではないかと思えるほどの素直さと可愛さで、あれがもしもこんなガレージなどでなくて、アパートの自分の部屋であったりしたら、間違いなくそのまま押し倒していただろうと確信できるほどだった。惜しかったと思う一方で、恋敵の市原に悪いとも思ってしまって、複雑な気分になってしまうのもまた事実。

 まあ仕方ないよなあ……男なんざ、そんなもんだし。

 そう言えば市原もわかってくれるだろうと思いながら、きびすを返して、仕事に取り掛かり始めた。

 いい日になりそうだと思った暁の勘は当たっていたようで、その日はやけにいろいろとタイミングよくことが運び、非常にスムーズに仕事が進んだ。

「すげえなあ、まだこんな時間だってのに、予定してた仕事がほとんど終わっちまったぜ」

 時計は午後二時前を指していて、役所関係もまだ余裕で行ける時間であった。

「だったら…」

「へいへい、役所と陸運支局に行って来いってんだろ、わかってるよ」

 言いながら軍手を外し、水道へと向かう。もしも時間がとれるようなら今日のうちに、無理ならば明日に回そうと父親と話していた手続きがあったのだ。

「んじゃ、行ってくるから店のほうよろしくな」

「おー」

 よく晴れた夏空の下、愛車のアクセルを吹かして走り始める。こんなよく晴れた日には、仕事でなんかでなく遊ぶ目的で、夕映とどこかにでかけたいものだなと暁は思った。

そういえば、夕映とはまだプールや海などには行ったことがなかったなとふと思う。映画やアミューズメントパークなどの普通のデートもいいが、せっかく夏なのだから、愛しい彼女のもっと大胆な姿を見てみたいと思うのも、若い青年としては当然の気持ちで。次に連絡をとる時には、是非とも提案をしてみようと思った、まさにその時。暁の乗る二輪からそれほど離れてない距離なのに、スピードをまったく緩めることなく走り去っていく車輌に、驚いてしまった。

「わ…!」

 普通、車道の端のほうを走る二輪などを追い抜かす場合には、四輪はそれなりに距離をとった上でスピードも緩めるのが常識だ。そんな当たり前のこともしないような奴は、ろくな奴ではないだろうと思った暁の勘は、当たっていたようだ。暁を抜かしただいぶ先で、似たような車高の低い車とデッドヒートを始めたのが遠目にもわかった。

 あっぶねえなあ……そろそろ、小学校低学年の子どもなんかが下校する時間帯だぞ? あんなの夕映ちゃんや貴絵ちゃんが見たら、眼の色変えてとっ捕まえにいくんだろうな。

 そんなことを思いながら、それまでと変わらないペースで二輪を走らせていた暁の目が、信じられないものをとらえて……何が起こったのかと考えるより速く、身体が勝手に動いてハンドルを切るけれど、それでも間に合わず、結局状況を把握しきれないまま、暁はとんでもない現実の渦中に放り込まれることとなった………………。




        *               *     *




 ──────暁さん。暁さん。暁さん。暁さん。


 どこかから、夕映が呼んでいるような気がする。遠く、小さく……けれど、聞いているほうが胸が痛くなるような、いままで聞いたこともないほどに必死な声で────恐らくは涙のせいで、ところどころ声になっていない部分もあるが、それでも呼んでいるのは自分の名前ただひとつだということを、暁は確信していて…………。

 ああ。俺は、此処にいるよ……だから、そんなに泣くんじゃねえよ…………。

 彼女の姿すら見えない暗闇の中で、そっと手を伸ばしかけて……そうしてすぐに、違和感に気付く。腕が、動かないのだ。

 指先まで力を入れて、動かそうとしたとたんに走る激痛。それを合図にしたかのように、間髪入れずに全身のあちこちがせわしなく痛みを訴え始めて…現状を把握する前に、暁の精神はパニック状態に叩き落とされてしまった。

 な…んだ、これ!? 痛え、痛え、痛えっ!! 何でこんなに全身痛えんだ!? 俺の身体、いったいどうなってんだ!?

 身体を動かそうとするけれど、最初に力を入れた右腕以外────その右腕も変わらず激痛を訴えてはいるが、何とか動かせないことはない────がまるで動かない。何かで固定されているようで、自分の力ではどうにもできないのだ。真っ暗な中、暁は懸命に直前の記憶をたどっていく。

 確か…常識知らずな行動で暁のバイクを抜かして行ったいかにも走り屋といった感じの車が、暁の進行方向で似たような車とデッドヒートを始めて……どちらかの車がハンドル操作を誤ったのか、それとも幅寄せでもしようとしたのかまではわからないが、無茶な運転の果てに案の定クラッシュして。双方ともスピードが出ていたせいで、予想もつかない方向に二台とも弾き飛ばされてきて、結果接近しつつあった暁を二輪ごと巻き込んで、そこから先の記憶がない…。もしかしなくても、いまの自分はあの二台の間にでも挟まれている状態なのだろうか。

「レスキュー到着しました!」

「急げ!」

 暗闇の外から聞こえてくる、慌ただしい人声。何だかとんでもない大事になっているような気がして、何となく焦った瞬間、脳裏によみがえるのは、つい先刻聞いた気がする夕映の声。もしかして、夕映が近くに来ているのだろうか!? そして、自分が巻き込まれたことを知って、泣いている…!? 冗談じゃない、と思う。あの夏美の騒動の時、もう二度と泣かせたりしないと誓ったというのに。他の誰でもない自分が、彼女を泣かせてしまっているというのか。

 耳障りな、金属が擦り合わされるような音が響くが、身体が動かないのでは耳を塞ぐこともできない。何が起きているのか確かめたいけれど、目が開かなくて…けれど、しばし経った後に瞼に感じるのは暖かな午後の光。ああ、外の空気だと思った瞬間、耳に飛び込んでくるのは涙混じりの愛しい相手の声。

「─────暁、さ…!」

 ああもう、そんなに泣くな。自分は大丈夫だから。

何の根拠もなくそう思いながらそちらを向こうとするが、やはり身体は動かなくて……やがて、いくばくかの時間を経てから訪れる解放感。やはり、身体は動かないけれど。あれだけ全身を圧迫していたものがなくなっただけで、こんなにも楽になるとは思わなかったので、ホッとする。それから、幾人もの丁重な手で何かに乗せられて、持ち上げられて運ばれているのか感じる浮遊感。その間も、夕映の涙声で自分を呼ぶ声は続いていて……もう、泣かないでいいから。自分は大丈夫だからと告げて、指でその涙を拭ってやりたいのに、やはり瞼は動くこともなく、指一本すら動かすことはできなくて。

「このコ、この人の恋人なんです! だから、付き添わせてあげてください!!

 貴絵の、ハッキリきっぱりとした声。そうして、何か乗り物に乗せられた暁の傍らに、寄り添う夕映の気配。痛みは相変わらず全身を苛んでいるけれど、夕映がすぐそばにいるというだけで、安堵感は段違いだった。

「暁さん、暁さん…!」

「──────」

 声を、かけたい。名前を、呼んでやりたい。大丈夫だと言って、安心させてやりたい。動かない唇を動かすのに全神経を費やし、いま出せる力のすべてを振り絞って、たったひとことだけを……何とか声を絞り出した。

「…………ゆ……え──────」

 その瞬間、時が止まったような気がした。

「あき、らさ…!」

 夕映の、声を圧し殺して泣く気配。涙を止めてやりたかったのに、よけいに泣かせてしまった自分が悔しくて、情けなくて…。自己嫌悪に陥りながら、暁の意識はそこで途切れた…………。




        *                *      *




 診断。左腕複雑骨折、右脚骨折、左脚靱帯損傷、肋骨三本骨折、同じく肋骨二本及び右腕に不全骨折────要するにヒビのことだ────後はもう、暁本人にも覚えられないくらいだ。頭部だけはヘルメットのおかげで打撲程度で済んだので、ホッとしたが。あれだけの事故で、よくも内臓が無事だったものだと思ったが、比較的骨が丈夫だったおかげで何とか内臓は守られたのだと聞いて、両親が「やっぱり子どもの頃から魚を骨まで食べさせてたのがよかったんですね!?」と医師に向かって叫んだ時は、「おいおい」と動かない腕でツッコミを入れたくなってしまった。

 そして、後から貴絵に聞いた話だが、暁の手術中、夕映は待合室のソファでずっと泣き続けて、貴絵や市原がどれだけ励まそうとしてもダメだったとのことで……暁の手術が終わり、重傷ではあるが生命には別条ないと聞いた瞬間、張り詰めた緊張の糸が切れたのか、その場で意識を失ってしまったそうだ。

 また、泣かせちまったな…………。

 自分のほうこそとんでもない状態なのに、頭を占めるのは夕映のこと。さすがに意識を取り戻した時には、時間が時間だったので両親と妹しかいなかったが、見てもいないはずの夕映の泣き顔が脳裏に焼き付いて、離れなくなっていた。

「すぐにでも飛んできたいだろうに、『非番じゃないから』っつって、泣きはらした目で仕事してましたよ。まあおかげで、捕まえた違反者も必要以上に罪悪感を呼び起こされるようで、素直に罰金払ったり何やかやで仕事はスムーズに進んでいるようですけど」

 他者との面会が許可された次の日の午後、面会に来た市原が事前にそっと見てきたらしくそう告げたので、暁の胸まで痛くなってくる。折れた肋骨のそれとは、また違う痛みだ。

「俺や他の先輩が非番代わってやるって言ったんだけど、それはダメだって却下されちまいましたよ」

 真面目な夕映らしい。そんな彼女だから、好きになったのだけど。

「女の子って……弱いけど、強いっスよね…………」

 市原がしみじみと呟くのを、暁は黙って聞きながら、力強く頷いていた。

 そして、夕方。暁が誰よりも待ちかねていた相手が、やってきた。

「…………」

「よっ」

 包帯やギプスで全身を固められた暁の姿を見て、痛々しそうに眉根を寄せた夕映を前に、暁はあえて明るく比較的軽症な右腕を揚げてみせた。が、夕映はにこりともせずに、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってくる。

「い……」

「『い』?」

「生きててくれて……よかった──────」

 それだけ言うと同時に、夕映の両脚がくず折れて、ベッドの端に覆いかぶさるように両腕と顔を埋めて泣き崩れてしまった。

「ゆ……」

「…わたし……幼なじみが、いたんです…………」

 唐突な言葉に、意味がわからなくて暁は軽く首をかしげた。

「陽香ちゃんといって…双子の姉妹のように仲が良くて、いつでも一緒にいたんです」

 『陽香』────あの、墓地で聞いた名前か。

「だけど陽香ちゃんの10歳の誕生日の、あの、春の日。私と陽香ちゃんは暴走族のバイクにはねられて……私は何とか助かったものの、陽香ちゃんは…二度と還らぬ人になってしまったんです─────」

「…………」

 半ば予想はしていたものの…まさか夕映まで巻き込まれていたとは、夢にも思いはしなかった。

「だから…ずっと、祈っていたんです……『陽香ちゃん、どうか暁さんを連れて行かないで』って…………」

 そうか……そんな過去があったから、命を粗末にしようとした夏美にあんなに怒って…暴走族にあんなにも激しい憎悪をあらわにしていたのか。暁はこの時になって初めて、ほんとうの夕映の内面に触れた気がした。

 右手でそっと夕映の頭に触れて、そのまっすぐな髪を優しく撫でてやる。

「…ごめんな。心配かけて。だけど、俺はこうして生きてるから。閻魔さまも、『おめーみてーな奴はまだまだお断りだ』っつったに違いねーよ。だから……安心して、もう泣くな」

 やっと、言えた。

「ほんとうに…よかった…………」

 暁が渡したボックスティッシュを持って、個室の端────たまたまそこしか空いてなかったのだと聞かされた部屋だったその端のほう、暁からは死角になるところで夕映が身支度を整えている気配。さすがに女の子が見られたくないところを無理に見ようとするほどデリカシーがない訳でもないので、戻ってくるのをおとなしく待つ。最初に見た時よりも更に泣きはらした目元が痛々しいが、とりあえず落ち着いたようなので、ホッとする。

「もしかして……その陽香ちゃん? が俺のこと護ってくれたのかもな。夕映ちゃんをこれ以上悲しませないようにって」

 写真見ただけで、会ったこともないコだけどさ。

 そう続けると、夕映もやっとホッとしたように微笑んでくれた。

「そう…かも、知れませんね……陽香ちゃんは、ほんとうに優しいコだったから」

 ほんとうに大事な相手だったのだろうなと、暁は思う。これまで見たこともないほどに穏やかで優しい微笑みだったから─────故人でしかも女の子だとわかっているのに、思わず嫉妬してしまいそうなほどに。

 そんな思いをわざとらしい咳払いと共に振り払って。

「ところで」

 と、切り出す。

「はい?」

 それまでのどこか神妙な表情から、まるでいたずらっ子のように、人の悪い笑みを浮かべて。

「俺のことこんなにも心配してくれたのって、『友達』として? それとも…………」

 さすがにあんな極限状態でなら、夕映もほんとうの気持ちが見えたのではないかと思って、表情とは裏腹に、意を決して訊いてみたのだ。仮に、「友達として」と言われたとしても……これほどまでに心配してくれるほど大事に思ってくれているのなら。もう、悔いはないと思ったから。心臓は、もう爆発でもするのではないかと思うほどに動悸を訴えていたけれど、懸命に、小憎たらしい自信ありげな表情を浮かべていた────もしも自分の期待している答え以外を口にしようとしても、夕映が罪悪感を抱かないで済むように。

 自信なんて、欠片もなかった。夕映の性格ならば、あんな事故に巻き込まれたのが他の誰であったとしても、きっと同じような反応を見せただろうから。だから、まるで判決を待つ被告の気分で────表情はあくまでも変えないままだったけれど────夕映の返事を待ったのだけど。いつまで経っても答えが返ることはなかったので、不思議に思って下から覗き込んだ暁の目に入ったのは、俯いてこれ以上ないというほどに真っ赤になっている夕映の顔で…………。

「ゆ、えちゃん…?」

「わ…わたし、用事を思い出しちゃったんで、今日はもう帰りますっ!!

 まるで逃げるように、きびすを返して病室を出ていこうとする夕映を見た瞬間、何も考えられなくなって引き留めようと右腕を伸ばしかけた…のだけど。

「ま…っ! 痛てててっ!!

 とたんにあちこちから激痛が走って、そのまま動けなくなってしまう。

「暁さんっ! 大丈夫ですかっ!?

 まだ痛みは全身を苛んでいたけれど、このチャンスを逃してなるものかと、慌てて戻ってきた夕映のそのか細い手首を右手でつかむ。それと同時に右腕に再び痛みが走るが、そんなことを気にしている場合ではない。いまを逃したら、次にいつこんな好機が訪れるかわからなかったからだ。

「い…っ てえけど、痛くねえっ!」

「えっ!? 看護師さん、呼びましょうかっ!?

 夕映がナースコールをつかみかけるのを、首をぶんぶん横に振って制止する。

「いや、いいっ」

「でも…!」

「夕映ちゃんが逃げねえでくれるなら、我慢できるっ」

 だから、この手を振り切らないでくれ。そう言外に告げながら、まっすぐにその瞳を見つめる。そこまで言われては夕映もさすがに観念したらしく、それまでは落ち着きのない様子だった全身から力を抜いて、その場で静かに再び姿勢を正した。

「……わかりました。もう、逃げません─────」

 それを聞いてほうと息をつくと同時に、少しずつひいていく痛み。やはり、まだまだ無理は禁物なようだ。

「そこに椅子あるから…それに座ってくれよ。ゆっくり、話したいから」

 手を放してそう言うと、夕映はこくりと頷いて、黙って椅子を取ってきてそっと腰を下ろした。とりあえず、ちゃんと話をしてくれる気になったことを確認して、暁はもう一度ゆっくりと安堵の息をつく。

「でもって、話を元に戻すけど……この際だから、ハッキリ言ってくれ。俺は、夕映ちゃんのことを女の子として誰よりも好きだけど…夕映ちゃんは、俺のことどう思ってるんだ? もう覚悟はできてるから。頼むから、もうドきっぱり引導を渡してくれ!」

 あっ 怪我人だからって遠慮はなしなっ 夕映が気を遣わないで済むようにそこまで言ってから、今度は暁も俯いて答えを待つ。とてもではないが、もう顔が上げられなかったのだ。

「は、初めは……」

 小さな、震える声が耳をつく。

「『親切な人だと思ったのに、暴走族の人だったなんて最低』…なんて思ってました」

 あの、初めて逢った時のことだろうか? 驚いて顔を上げると、夕映も心底恥ずかしそうな顔をして俯いていた。

「だけどすぐに誤解だってわかって……ホントはいい人なのかなって思ったら、小学校の時の同級生の男子みたいに意地悪言うし、でも時々妙に優しかったりするし、何なのこの人って…混乱ばっかりして」

 ああ。何だか、その同級生の気持ちがわかる気がする。多分、その子たちも夕映のことが好きだったのだろう。けれど素直になれなくて、つい意地悪ばかりしてしまったのだろう。23歳にもなって、小学生と同じような行動パターンというのも、自分でもどうかと思うが。

「そしたら今度は、『彼女役やってくれ』とか言うし。理由が理由だし、少しの間だけなら協力してもいいかなって思ってたら、……なんかしようとしてくるしっ まるで市原くんに張り合うみたいに……なんて言ってくるしっ 私がどんなに混乱したか、暁さんにわかりますかっ!?

 ごにょごにょと濁しながら言った部分は、恐らく夕映には恥ずかしくて言えない言葉だったのだろう。暁自身でさえ、改めて言われると恥ずかしくなってくる。

「ハンセイシテマス……」

 そう言う他ない。

「でも……事故に遭ったって知って、陽香ちゃんみたいにいなくなっちゃったらどうしようって思ったら…もう、頭の中が真っ白になって……何も考えられなくなって…………」

 そこで夕映は、適切な言葉を探しているかのように、視線を空に彷徨わせた。

「重傷だけど生命に別条ないって聞いて、一刻も早くほんとうか確かめたかったけど、でも仕事は放ってこれないし、やっと来れて顔を見たら今度は涙が止まらなくなっちゃって……なのに、本人は何にも知らないで『自分をどう思ってるか聞かせろ』なんて言ってくるし、自分でも自分の気持ちがわかってないのに、引き留めるしっ」

 そこまで言ってから、再び感情が昂ってきたらしく、夕映の瞳に新たな涙がにじみ始めた。

「……でも。体温を感じたら、やっと実感がわいてきて…もう一度、確かめていいですか…? 暁さんがほんとうに生きてるって、自分の手で確かめても…いいですか──────?」

 控えめにだが、はっきりと、それも可愛らしい上目遣い付きで言われたりしたら、暁にはもう、断る理由なんかなくて─────否、むしろウェルカム状態で…………。

「構わないぜ。ほら、いくらでも確かめてみな」

 両腕を広げて、夕映の返答を待つ。「じゃあ…」と言いながら、夕映がゆっくりと手を伸ばして肩のあたりにそっと触れようとする手首をつかんで、ぐっと引き寄せる。細いその身体を胸に抱き留めたとたん、肋骨と腕がまたしても痛みを訴え始めるが、やはり無視を決め込むことにして、パニックを起こしているらしくじたばたとし始めた夕映の耳元で、そっとささやく。

「あー…あんま暴れられっと、折れたりヒビ入ってる肋骨や腕が痛むなー」

 その効果は絶大だったようで、暁の腕から逃れようとしていた夕映の動きがぴたりと止まった。

「……ほら。ちゃんと、生きてるだろ? 心臓、動いてるだろ?」

「…ホントだ……」

 暁の胸の鼓動を確かめるように耳を寄せて、夕映が安心したようにささやく。

「俺は、いなくなったりしないから。ずっと、夕映ちゃんのそばにいるから」

「ほんとう…ですか……? 約束、してくれますか……?」

「ああ。誰にだって、何にだって誓う。ずっとずっと一緒にいるって…約束するから」

 それは、本心からの言葉。

「…………好き、です───────」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

「……え…?」

「なっ 何度も言わせないでください、恥ずかしいんですからっ」

 ほんとうに恥ずかしそうな夕映の声と、俯いてしまったせいで表情までは見えないが、真っ赤に染まった彼女の首筋と両耳が、たったいま聞いた言葉は夢ではなかったことを教えてくれる。少しずつ、実感が胸に染み渡っていって……。

「あー…よく聞こえなかったなあ、もう一度言ってくれないかなあ」

 とぼけた口調と声で言うと、カッとなったらしい夕映が勢いよく頭を上げた。

「嘘言わないでください、この距離で聞こえなかったはずないでしょうっ!?

 真っ赤な顔で涙ぐんでいる夕映があまりにも可愛過ぎて、気が付いたら、その顔にみずからの顔を寄せていた。

「身体だけじゃなくて、こっちの体温も…確かめてみるか─────?」

「え…………」

 もう、言葉は必要なかった。ようやく手に入れられた愛しい存在を胸に、暁はいま間違いなく自分が生きているというこの現実を、その唇で存分に確かめた………………。



    





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2013.1.18up

紆余曲折を経て、ようやく気持ちを伝え合えたふたり…。
これで暁が全身ズタボロでなかったら、
もっとサマになったのでしょうけど(笑)
クリスマスイブにちょうどこのへんを
更新できてよかったです。
そして、最初から決まっていたこととはいえ、
ごめんよ、市原…(泣)

背景素材「空に咲く花」さま