〔5〕





 渋滞の波を越えてようやく明人の家に着いてから、今度はちゃんとアルコール分の入ったビールの缶をそれぞれ手に持って、そっと明人の隣に座る。そのとたん、明人は一瞬緊張したような表情を見せたものの、すぐに普通の笑顔になって凛子がその腕にもたれかかるのを支えてくれた。

そんな様子に、やはり不審なものを感じて凛子は意を決することにしたが、その前にお好み焼きやたこ焼きを食べた時の青海苔が気になったので、飲み終わったビール缶を片付けてから先に歯みがきをしてしまうことにした。明人もその後に続いたので、ふたり並んで洗面所の鏡の前で歯をみがき始めるが、温泉旅館等のそれでない浴衣姿の男女が並んで歯みがきをする図というのもなかなかシュールな光景であった。そのまま明人は風呂のスイッチを入れて、沸かし始める。

「沸いたら、凛子が先に入っておいで」

 いつもだったら、冗談であれ本気であれ「一緒に入ろう」ぐらい言うところなのに、やっぱりおかしいと凛子は思う。なので、行動に出ることにした。コンタクトレンズを外して化粧を落としてから、先に戻った明人の隣にストンと腰を下ろし、その胸に頬を押しあててみる。が、明人の態度はやはり変わらず、優しく微笑んで凛子の身体を支えるだけだ。これにはさすがの凛子も我慢の限度を越えてしまい、即座に口を開いた。

「ねえ?」

「ん?」

「どうして、今日はそんなに紳士的なの? いつもなら、私がこんなことする前にとっくにちょっかいをかけてきているはずでしょう?」

 凛子の質問は完全に核心を突いていたようで、明人の顔が実に奇妙な表情に彩られた。口元を手で覆い、凛子の前で「ちょっと待って」と言わんばかりにもう片手のひらをかざして見せる。

「──────自分に課した、罰のつもりだったんだ……自分の欲望だけで身勝手なことをやって凛子を傷つけてしまったから…今日の残りの時間は、凛子を楽しませるためだけに自分のすべてを費やそうと。凛子さえ幸せに過ごせれば、それでいいと思って…………」

 そんなことを考えていたのか!? 凛子は半ば呆れてしまって、声も出せない。昼間のことなら、ちゃんと謝ってもらったし、凛子だってもうまったくといっていいほど気になんかしていない。いま明人に言われるまで、忘れてしまっていたほどだ。そんな些細なことにいつまでも囚われて、あんな、まるで執事のように振舞っていたというのか。

「あんな、大したことないことにまだこだわっていたの?」

「凛子には大したことなくても、俺にとっては大問題だったんだよ」

 ふいっとまるで拗ねたように顔をそむける明人が何だか可愛くて。

「だから、今日は絶対手を出さない。それが、俺が自分で決めた罰だから。たとえ凛子が許してくれたとしても、俺が俺自身を許せないから、だから」

 何とまあ。頑固な一面があることは知っていたが、そんなことを考えていたとは思いもしなかった。気持ちはわからないでもないのだが、そんな状態では凛子の目論見がだいなしになってしまう。

凛子の目論見────花火大会に行く前ならともかく、行った後ならば浴衣がどれだけ乱れようが構わないし、明人も喜んでくれるに違いないと、とてもではないが他人の前では口に出せないようなことを考えていたので、非常に困ってしまった。この様子では、凛子がいくら「気にしていない」と告げても、明人は頑としてテコでも動かないだろう。どうしたものかと考えて、ふとひとつの妙案を思い付く。

「……明人さん自身の意思では、絶対に私に触れないと言うのね?」

「そう。必要がない限りね」

「で、でも、私が望むなら、話は別なんでしょう?」

「え?」

 明人が驚いた表情で、振り返ってくる。自分の顔はいま真っ赤になっているだろうと凛子は思うが、ここまできたらもうどうしようもない。スッと髪をまとめていた簪(かんざし)を外すと、上げていた髪がぱさりと下りてきて……肩や背に覆いかぶさってくる。

「なら、遠慮なく私の望みを言わせてもらうわ。私は、明人さんに触れてもらいたいの。髪も手も唇も……どこも、かしこも…………」

 言っているうちに恥ずかしさに耐えられなくなって、語尾は消え入りそうな声になってしまい、顔も上げたままでいられなくて俯いてしまう。正座したままの膝の上で両手の拳を握り締めて。もうこれ以上、何も言えそうにない、恥ずかし過ぎて。

お願いだから、何でもいいから、何か言葉を発してほしい。こんな、早鐘のように鳴り響く心臓の鼓動の音まで聞こえてしまいそうな沈黙の中では、羞恥のあまり死んでしまいそうなほどだ。

 そんな凛子の内心の声が届いたのか、明人の右手が音もなく動いて、凛子の頬にそっと触れながらささやいてくる。

「そんなこと言っちゃって…後悔しても知らないよ……?」

 優しい、優しい声──────。

「こ、後悔なんてしないわっ」

 とっさに答えて顔を上げると、優しい微笑みが視界に飛び込んできて、どきりと胸が高鳴ってしまう。

「…姫のご要望ならば、従うしかありませんな」

 言うと同時に凛子の背と膝の下に手を回して、凛子を抱き上げるようにして明人が突然立ち上がったので、凛子は小さく悲鳴を上げて明人の首に腕を回してしがみついてしまう。そのまま寝室へと連れていかれて、電気をつけた後そっとベッドへと下ろされて……ドアとカーテンを閉めて戻ってきた明人に、優しくうつ伏せに体勢を変えさせられて。帯に手をかけられたのが感覚でわかるが、その後手が動く気配がないので、不思議に思って首だけを後ろに向ける。

「これ…どうやって解いたらいいんだ……?」

 本気で困惑しているような声に、思わず吹き出してしまう。そういえば、解き方をまだ教えていなかったと思いながら、口頭で指示を出し始める。シュルシュルと音を立てて解かれる帯と、同時に腹部の圧迫から解放されていく感覚。ころん、と仰向けに転がされて、完全に解かれた帯がベッドの脇に落とされるのを横目で見ながら、ぼやける視界の中明人の顔をまっすぐに見つめる。いつもならここでキスのひとつも落とされるところだけれど、明人はまだこだわっているのか、それ以上顔を近づけてこようとはしない。

「そしたらね……キ、キスして─────」

 初めて、自分から求めてしまったことが恥ずかしくて、凛子は思わず両手で顔を覆ってしまう。

「顔を隠しちゃったら…出来ないよ……?」

 優しいけれど、どこか悪戯っぽい響きを宿した声と同時に、そっと両手を外されて。そっと、口づけられる。伝えたいことはまだまだあるけれど、これ以上はとても恥ずかしくて口に出せそうにない。それを察したのか、眼鏡を外してベッドサイドに置いた明人が、耳元でそっとささやいてくる。

「これ以上、姫のお手を煩わせるのも心苦しいことですし、よろしければわたくしめが僭越ながらお心を汲んで先を進めますが。いかがでしょう?」

 凛子の内心などとっくにお見通しだと言わんばかりに、わざとらしい口調で問いかけてくる明人に、凛子の内側がかあっと熱くなる。悔しくて、仕方がない。

「よ…よきにはからえっ!」

 ヤケになって叫んだ言葉に、明人が満足そうな笑顔を見せるのがまた、悔しさを煽って仕方がない。凛子が先ほど教えた解き方を応用して、明人がみずからの腰に巻かれた帯を解いていくのを横目で見ながら、凛子は枕に顔を埋めて。彼の次の行動を待つ。

「姫君の、お心のままに──────」

 言うと同時に明人の身体が凛子の上に覆いかぶさってきて、シュル…と胸紐の端をつまんで解いていく。帯さえ解いてしまえば後は簡単だから、説明など要らないはずだ。そう思ったとたん、首筋に唇を這わされて、思わず小さな声がもれる。それと同時に下半身に手を伸ばされて、腰から下は何とか原形を留めていた浴衣の裾がはだけられ、白い太腿があらわになる。昼間とは違い、もう抵抗感はなかった。

「…………何か…エロいな」

 ごくりと喉を鳴らしながら、明人が呟く。帯も胸紐も解かれた状態だから、浴衣の胸元も緩み放題だし、肌着も乱れてしまっているのだろう。自分では、どのくらい見えている状態なのかわからないが、明人の興奮度合いがいつもとは段違いなことだけはわかる。

「え…何が……?」

「和服って、乱れると洋服以上にそそられるものなんだな、初めて知った……」

 そういえば、いままでの彼氏の前で和服など着たこともなかったし、故にそれが乱れた時に男性の心情にどういう効果をもたらすものなのか、凛子にはわからない。

「ダメだ……こんなの見せられたら、自分で課した罰なんてあっという間に吹っ飛んじまうよ…………」

 腰紐を引かれ、緩んだところから手を入れられて、肌着の紐も引かれてそちらの胸元も緩み始める。それから、何をする訳でもなくただ凛子の全身を眺めているだけなので、何となく気恥ずかしくて凛子は頬を赤らめながら問いかけた。

「ど…どうしたの……?」

「ん? いや、花火は終わっても、俺の腕の中にはまだ花が咲いているなと思ってさ」

「花?」

「うん。季節が何度巡っても決して枯れない、凛とした百合の花がさ」

「……っ!」

 その意図を悟った瞬間、凛子の顔だけでなく全身にまで熱が回る。あまりにも恥ずかしいことを言われたせいで、もうまともに顔が見られなくて、両手で顔を覆ってしまう。

「あれ? さっきまで白百合だったのに、今度は赤い…いや、ピンクかな?」

 楽しそうな明人の声に、もう顔を見せられなくて、両手で覆ったまま横を向いてしまう。その隙を突いて、明人の手がするりと胸元に入り込んできて、凛子は思わず声を上げてしまった。

「あ、ん…!」

「何か、町娘を手籠めにする悪代官になった気分」

「ば、馬鹿っ」

 もっと何か言ってやりたいところだったが、後はもうそれどころではなかった。あっという間に唇をふさがれ、舌で唇の輪郭をなぞられてから、もう堪えきれないとでも言いたげに性急に口腔内に侵入してきたそれにみずからのものを絡め取られ、息をつく暇もないほど激しく蹂躙される。

 ずっと堪えているつもりだったと言う彼の中に、こんなに激しい情熱が潜んでいたなんて、凛子は予想もしていなくてただ驚くことしかできなかった。こんなにも熱い想いを、自分のために圧し殺そうとしていたなんて、彼の意思の強さだけでなくそれだけ深く自分を想ってくれていた証しのように思えて、喜びが驚きを凌駕していく。

 ようやく唇が離れた時には、凛子の呼吸は既に乱れており、それを整える間も与えないまま、明人の片手が凛子の胸元に伸び、唇は耳朶を甘噛みをしてから耳の後ろから首筋をなぞり、もう片方のふくらみへとたどりつく。それから、同時に与えられる愛撫。それぞれ感触の違うそれに翻弄されながら、信じられないほど急速に身体の内側から熱を引き出されて行く。凛子の唇からは、もはや意味のある言葉など出てはいない。途切れ途切れの嬌声のみが部屋に響いて、身体の中心が次第に潤っていくのが自分でもわかった。こんなにもがっつくようにことを進められたのは、彼に初めて抱かれた時以来だろうか。そうでない時の彼は、凛子の身体を無理なく高めていくことを優先して、こんな、着ているものも完全に脱がされぬまま求められることなどなかった。

「ふ、ああっ」

 あまりにもいつもより急速に快楽を引き出されたためか、早く触れてほしい場所があるけれど、どうしても口には出すことができない。そのせいかほとんど無意識に腿を摺り寄せている凛子の様子に気付いたらしい明人が、口元に笑みを浮かべるのを目にしたとたん、凛子の中で羞恥がはじけた。

「ああ…気が付かなくて、悪かった。凛子が恥ずかしがり屋なのは、俺が誰よりも知っているのに」

「や…!」

 何もわざわざ口に出して言わなくてもよいではないか。恥ずかしくてたまらなくて、思わず両手で顔を覆ったところで、そろりと内股の両側を撫でながら更にその奥へと指が進んでいく。指がそこに触れた瞬間、かすかな水音が聞こえた気がした。更なる羞恥が全身を駆けめぐる。まだ触れられ始めてそんなに時間が経っていないのに、そこまで蜜を溢れさせているなんて、自分でも知らないうちに淫乱になってしまったような気がして、目尻に涙がにじむ。

「すごい……待たせてしまって、ほんとうにごめん。今夜は、いままでで一番気持ちよくしてあげるから……」

「そ…っ」

 そういうことを言わないでと、続けるつもりだった。けれど、凛子の言葉はまたしても最後まで紡ぐことはできず、唇からは嬌声が洩れるだけ。指の動きは優しいのに、それでも確実に凛子の弱い部分を攻め始めたからだ。もちろん一番敏感な花芯さえも常になく優しく愛撫するものだから、快感が絶え間なく電流のように全身を走り続け、凛子を何も考えられない状態へと導いていく。

 準備を整えた彼の熱い高ぶりがゆっくりと自分の中に入ってきたのにも、一瞬気付かなかったほど、凛子の思考回路もすっかり蕩けきっていて……そのせいか、彼がゆるゆると律動を開始した時も、いつも以上に衝撃を感じた。

「ん、あっ!」

 凛子の太腿を抱え上げた明人の身体が、押しては返す波のように、退いたと思えばまたすぐに凛子のナカを埋め尽くしていく。

「…っ 気持ち、いい…?」

 問われても、もはやまともな返答などできる訳もなく、喉から迸る嬌声や互いの蜜が絡む音でしか、応えることができない。

「凛子のナカ…すごく気持ちいいよ……まるで俺を悦ばせようとしているみたいに、すごい締めつけてくる…」

 そんな自覚などないところで言われても、ただ羞恥を煽ることにしかならない。恥ずかしくて思わず顔をそむけたというのに、明人の手が頬に伸びてまっすぐにそちらを向かされて、唇にキスを落とされる。

 そして再び快楽の海に引き戻された後、凛子はその全身で明人の熱と想いを受け止めた…………。





    






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2013.4.11up

ついに明かされた互いの胸の内。
明人の鉄の意思も、素直になった凛子の前では完敗だったようです。

背景素材「空に咲く花」さま