〔4〕
まだ明るいうちだったが、同じところに行くのだろう浴衣や甚平姿の男女の姿も多く、ホッとする。やはり浴衣は夜にこそ似合うものだろうと凛子は思っていたので、昼間のうちに着ているふたりはもしかしたら浮くかも知れないと、危惧していたのだ。コンビニの中はそれなりに買い物客がいたので、浴衣を着た明人は普段より多く見知らぬ女性たちの視線を集めていたが、本人はまったく意に介していない様子だったので、凛子は内心で胸をなで下ろすと同時にちょっとした優越感に浸ってしまった。 ちょっと嫌な女かも知れないけど……心の中で自慢するくらいは、神さまも許してくれるわよね…? 明人に、「誰でも持つ感情だ」と言われたけれど、やはりあまりよいものだとも思えないので、凛子はできる限りそんな感情を表に出さないように気をつけていた。そんな罪悪感も多少あったせいで、普段以上に頼りなさげな風情が見知らぬ男性たちをも惹きつけ、そのたびに明人が自分に気付かれないように他の男性陣を牽制していたことも、凛子はまるで知る由もなく。「ほんとうに、恋愛には鈍い」という他者の一致した意見を強く再確認させる結果になっていたことを、知らぬは本人ばかりなり、であったりした。 「確かに凛子が言ってた通り、下駄って慣れないと長く歩くと疲れそうだな」 「でしょう? 私も久しぶりだし、辛くなっちゃいそうだったから」 「よく時代劇とかで、女性の鼻緒が切れて、男が手拭いをピーって裂いて直してやるっての見たような気がするなあ」 「そうそう、それで恋に落ちちゃう、なんて、当時も女の子の憧れだったのかもね」 「凛子も憧れた?」 「さすがに時代が違うから無理だと思ってても、憧れはしたわね。いまだとヒールが折れて、とかかしら」 「さすがにそれは、靴屋でもなきゃ直してやれないなあ」 しみじみと言う明人に、凛子は思わず吹き出してしまう。たとえ靴屋だったとしても、街中や駅などのその場で突然靴を直しだす男性の姿はとてもシュールで、想像したら何だか笑えてしまったのだ。 そんな他愛のない話をしているうちに、時間は過ぎて。だんだんと、周囲の空いていた場所も隙間なく埋まっていくのを見て、早めに来ておいてよかったと凛子はつくづく実感する。 「まだ少し早いし、そのへんを歩いてみる? 出店とかもいろいろあったろ、後で買うのに何がいいかとか目星をつけておこうか」 そう言う明人の提案に乗って、団扇と巾着を手に取る。ビニールシートには念のため端にイニシャルを入れてあるし珍しい柄のものを選んだので、とりあえず場所ともども他人にとられる心配はなさそうだった。先に下駄を履いて明人が手を差し伸べてきたので、半ば反射的にその手を取って立ち上がる。 「あ、ありがとう…」 「どういたしまして」 明人の紳士ぶりはそれだけではとどまらず、歩調も凛子に合わせてゆっくり歩いてくれたり────まあこれは普段もなのだが────人にぶつからないようにさりげなく庇ってくれたり、歩きにくいところでは必ず手を貸してくれたりと、普段も気をつけてくれていることに加えて更に丁重に扱われている気がして、何となくくすぐったさを感じると同時に、どこかで嬉しく感じている自分もいたりして、凛子は少々戸惑ってしまった。 「凛子は焼きそばとお好み焼きとどっちが好き?」 「どっちも好きだけど、強いて言うならお好み焼きかしら。実家でもやったけど、一人暮らしを始めてからも由風のリクエストでよく焼いたりしたわ」 「焼くのは俺もわりと得意だよ。入社してから行ってた支社がお好み焼きが人気な地域だったから、先輩や同僚に自分で焼く店によく連れていかれたなあ」 当時のことを思い出したのか、明人はふっと遠い目をして、ここではないどこかを見ているような表情を見せた。 「今度、作って食べさせてあげるよ。結構いろんなアレンジがあって面白いんだ」 「楽しみにしてるわ」 明人がいた支社か……いままではあまり気にしたこともなかったけれど、どんなところだったのだろう。 「いつか……凛子も一緒に、あっちに旅行とかで行ってみたいな。で、向こうの仲間に自慢しまくりたい。俺の彼女はこんな美人なんだぞーって」 「もうっ」 くすくすくす。明人の巧みな話術のおかげで、凛子は笑いが止まらない。そんな凛子を見て、明人もまた嬉しそうな顔をしていることにも気付かないままで。 適当に辺りを見て、以前とは違っているところに驚いている明人に説明をしていたりしたら、時間はあっという間に過ぎて。だんだんと辺りも暗くなり、周囲の人々も来た頃とは比べ物にならないほどに増えてきていた。 「とりあえず、シートのとこに戻ろうか」 「あ、車の中の荷物を取ってこないと…」 「いいからいいから」 有無を言わせない口調で言いながら手を引く明人に従って、凛子は疑問を抱えながらシートへと戻る。明人に促されるまま、シートに腰を下ろした凛子は、明人が立ったままでいることに気付いて声をかける。 「明人さんは座らないの?」 「俺、車から荷物取ってくる」 「あ、じゃあ私も…」 「凛子はここにいて。少し疲れただろ、休んでて」 言うだけ言って、ひとりでさっさと行ってしまう明人の後ろ姿を見つめながら、凛子は首をかしげてしまう。今日は、どうしてこんなに優しいのだろう? いや、明人はいつも優しいが、今日はいつもに増して気を遣ってくれている気がするのだ。凛子には心当たりがないので、ほんとうにわからなくて不思議に思う心のままつい首をかしげてしまう。ほんの数時間前にあった出来事もすっかり忘れ、そして明人の内心をまるっきり知らないからこその疑問だった。 とりあえず下駄を脱いで横座りで座ると、とたんに隣が空いていることに心細さを覚える。いつの間にか、隣にいることが当たり前になっていて。親友の由風ともまた違う安心感を与えてくれていた、彼。まだ出逢って五カ月目だというのに、一体いつの間にこんなに好きになっていたのだろう。仕事の時にはほとんど気にならないのに、プライベートのふとしたこんな時に、こんなにも痛感してしまう自分に、凛子自身が一番驚いていた。 「…………」 車から荷物を取ってくるだけにしては妙に長くかかっている気がして、凛子は手持無沙汰でつい携帯をいじってしまう。明人にメールを送ってみようかとも思ったが、こんなちょっとした時間も待てないような女だと思われるのも嫌で、我慢する。代わりに、いつの間にか届いていた愛理や紗雪からの首尾を訊いてくるメールに問題なしの旨を返信して携帯を閉じようとしたところで、突然鳴り響いた着信音に驚いて慌ててオンフックボタンを押す。周囲に迷惑だと思い、相手の名を確認することもせずに。 「はい…」 『凛子っちゃーんっ うまくやってるうっ!?』 聞き慣れた声が大音量で響いてきたので、凛子は無意識に携帯を耳から離してしまう。あのまま耳につけていたら、鼓膜が破れそうだったからだ。 「ゆ、由風?」 『そうよーんっ 由風ちゃんですよーんっ』 いくら由風でも、このテンションの高さはいつもと違い過ぎる。 「…由風。もしかしなくても飲んでるでしょ!?」 『はいはーい、飲んでますよーんっ』 「こんな早くから…」 凛子が思わず頭痛を覚えた時、電話の向こうで何やら話している声が聞こえて、次の瞬間、由風のそれとは全然違う落ち着いた声が聞こえてきた。 『もしもし、凛子さんですか? 西尾です』 「西尾くん? いまどこにいるの?」 『あ、僕の家ですから、由風さんなら大丈夫です。うちのベランダから、花火がバッチリ見えるんですよ』 「ああ、そういうこと。それならよかったけど…由風のことちゃんと見張っててね。あんまり飲ませ過ぎると、虎になって手がつけられなくなるわよ」 「西尾くんなら、大丈夫だと思うけど…」 ふいに聞こえてきた声に顔を上げると、いつの間にやら明人が戻ってきていた。 『じゃ、そういうことで。また月曜日にお会いしましょう』 「ええ、それじゃ」 通話を切ってから、マナーモードにして携帯を巾着に戻す。それから明人のほうを見やると、下駄を脱いでシートに上がってきた明人の手には、クーラーボックスの他にお好み焼きやたこ焼き、それにりんご飴やウーロン茶などが入った袋がぶら下がっていた。遅かったのは、買い物をしていたからだったのかと凛子は納得する。 「電話、西尾くんから?」 「正確には酔っ払った由風から、だったんだけど。西尾くんの家だって言うし、彼がついているなら大丈夫でしょう。それより、買い物までしてきてくれたの? 大変だったでしょ、言ってくれれば一緒に行ったのに」 「あ、いいんだ。凛子は今日はゆっくりしてて」 やはり凛子は疑問に思うが、理由にまでは思い至らない。明人が隣に座って一安心したところに、夕刻を過ぎたこともあり、クーラーボックスをテーブル代わりにして少々早い夕食を摂ることにする。他愛のない話をしながら食べていたところで、どこからか突然、腹の底から響くような大きな音が辺りに鳴り響いて、一瞬の間を置いて暗い夜空を鮮やかな色彩が彩った。 「わあ…!!」 周囲から、一斉に歓声がわいた。慌てて携帯を見てみると、ちょうど花火大会の開始時刻だった。 「すごい、いまの見た?」 興奮気味に凛子が言うと、明人も目を丸くしたままうなずく。 「ほら、また次が来るわ」 「すごいな、こんな近くで見るの久しぶりだから、びっくりしたよ。こんなに大きい音だったっけ?」 「そうよ。そういえば去年は、由風や愛理たちと五人で来たの。愛理たちはいいんだけど、由風が飲み過ぎちゃって大変だったのよ」 「あれ珍しい、麻美香ちゃんも一緒に来てたの? 彼女はいつも彼氏がいるんじゃなかったっけ」 「去年は、その直前にフラレちゃったって言って、後から『仲間に入れてください』って参加してきたの。だから、麻美香を励ます会のつもりだったんだけど……」 「介抱役が四人もいるから安心♪」と由風が調子に乗って飲み過ぎたせいで、帰りにタクシーに乗せるのも一苦労だったのだ。女が五人もいるとナンパ男も蚊の如く寄ってくるし、そのたび暴れようとする由風をなだめるのもまた大変で、最後にはタクシーの運転手の手も借りて、凛子の家まで何とか連れて帰ったことも記憶に新しい。今年は西尾が苦労しているのかも知れないが、まあ家にいるなら去年よりははるかにマシだろう。 話している間も、ふたりの目は夜空に釘付けになっていて、次々と打ち上げられる花火を見ては、歓声を上げる。昔と違って、最近の花火は色も形状も大きさも種類が豊富で、去年も見たからといって飽きることもなく、ふたりを含む観客たちをどこまでも楽しませてくれる。中には、一般から公募したメッセージ付きの花火────といっても花火で文字を表すようなものではなく、アナウンサーが情感を込めて読み上げるようなものだったが────もあったりして、家族や連れ合い、友人、中には愛の告白や恋人へのプロポーズなどのメッセージもあったため、観客の大半がその後の経過を知りたくて悶絶する一幕もあったりした。 「凛子もああいうプロポーズしてほしい?」 などと明人が唐突に訊いてきたので、一瞬何を訊かれたのかわからず、凛子はきっかり二秒ほど考えてから意味を理解して、顔を赤らめてしまった。プロポーズという事柄だけでも一大事だというのに、こんな公共の場で、さらにこんな大勢のギャラリーの前でなんて、恥ずかしくて死んでしまうかも知れない。その返答を聞いた明人は、「やっぱりね」などと言いたそうな顔で微笑んでみせる。凛子の性格など、明人にはとうにお見通しだということなのだろう。顔の火照りをおさめるために、凛子はクーラーボックスから出したノンアルコールのビールを飲んで、クールダウンをはかる。 「まあ、プロポーズするなら、ふたりっきりというのを前提に、もっとちゃんとしたシチュエーションを考えるから、楽しみにしててよ」 明人のとどめともいえるひとことに、凛子の顔が再びオーバーヒートした。 今日の明人さんは、やっぱり変。いつも優しいけど、今日は「優しい」を通り過ぎて「過保護」って言ってもいいぐらい。 先にも言った通り、凛子は昼間の出来事を完全に忘れていたので、理由がまったくわからない。人前や運転中に訊けることでもないので、とりあえず明人の家まで我慢することにした。 彼の家に着いたら、何をおいてもまず理由を問い質してやると心に誓いながら…………。 |
2013.3.17up
ついに、花火大会開幕です。
甲斐甲斐しい明人の内心に気付かない凛子は、鈍いのか心が広いのか…。
背景素材「空に咲く花」さま