〔7〕





 いままでの経験から、多少は女性の手管に翻弄されても、最後まで相手に主導権を渡したことはなかった。けれど、彼女だけは違っていた。

「ん…あっ そこは…!」

 由風の胸の先を口に含み、片手で反対側の乳房を弄んでいた一馬のもう片方の手が下腹部に伸びたとたん、由風は普段よりも甲高い声を上げて上体をそらした。多少の違いはあれど、女性の身体の弱いところは熟知している。由風は慌てて脚を閉じようとするが、もう遅い。既に熱く潤み始めているそこに手を差し入れて、まずは外側からゆっくりと指先で撫で回す。

「ふ、ん…っ」

 そうして、もう大丈夫そうだと思ったところで、ゆっくりと指を一本差し入れていく。昨夜の反応からして、経験はそれなりにありそうだと思ったからこその行為だが、その勘は間違っていなかったらしい。由風のソコは、まるで待ちかねていたかのようにスムーズに一馬の指を飲み込んでいく。しばし一本の指でゆるやかに掻き回してから、もう一本指を増やして動きにも緩急やバリエーションをつけていく。胸への愛撫もあいまって、由風の息がだんだんと上がっていき、声もかなり甘さを含んだものになってきた。その声は、普段の威勢のいい彼女の声とまるで違っていて、少なくとも会社の中の人間は、誰もこんな彼女を知らないだろうと思うと────凛子が言っていたことだが、彼女は自社の人間や仕事で関わりのある相手とは絶対そういう関係にならないようにしているらしいので、普段周囲にいる人間は誰もこんな彼女を知らないはずだ。「身体で仕事を取っている」と思われるのが嫌なのだろう────優越感にも似た感情が心を満たしていく。

 ある程度ほぐしてから、少しずつ頭を下へとずらしていって、舌での愛撫を続けながら下腹部へとたどり着く。一馬の意図を悟ったらしい由風が慌てたようにその頭を抑えつけようとするが、無理な体勢、更に快感に翻弄されて力もろくに入らないであろう腕では、一馬を止めることはできなかった。そのまま、予告もなしに小さな花芽を舌先でつつくと、由風の身体が目に見えて反応した。

「や、やめ…っ!」

 どんなに身体を鍛えても、どうにもならない部分は男にも女にも存在する。自分にはないそれを刺激された由風が、格段に色気を増して嬌声を上げる姿を見たとたん、自分の中の余裕が少しずつなくなっていくのを一馬は自覚していた。

 うっそだろ、こんな可愛い姿見せられたら、我慢なんか効かなくなっちゃうじゃんっ

 それほどにいまの由風は、普段の男勝りの面などどこかに吹き飛んでしまったかのように、「女」の顔を見せていた。それは、普段から女らしくしている女性がそうするのとは訳が違い、そのあまりのギャップが一馬から自制心を奪っていく。

「あ、んんっ も、もうダメぇっ」

 まるで別人と思えるような声が耳をつき、震えるその全身がもう彼女自身の限界が近いことを教えていた。

「いいよ、イッて」

 言うと同時に、しばし放置していた花芽を唇の上下で挟んで吸い上げると、一際甲高い声を上げて由風の全身ががくがくと震えた。

 こんな彼女の姿を見たのも、周囲では自分だけだろう。今度はまぎれもない優越感が心を満たしていくのを感じながら、すっかり濡れそぼった自分の口元を拭い、指先に残る滴を舐めとる。けれど、余裕を見せていられるのはここまでだった。力が入らないらしい由風が危なげな様子で起き上がろうとするのを、慌てて支えて抱きとめてやる。

「よくも…やってくれたね」

 普段のものとそう変わらない調子の声を聞いた時点で、気付くべきだったと思ったのはだいぶ時間が経ってからのこと。この時は何も気付いていなかった一馬は、みずからの胸に頭を寄せていた由風のそれがずり下がったのを見て、反射的に手を伸ばしたが、その前に突如予想もしていなかった刺激が下腹部から走り、思わず動けなくなってしまった。

 えっ うそだろ、いまイッたばっかで!?

 いまや由風の右手は、しっかり存在を主張している一馬自身を力なく掴んでいるのだ。掴むというのにはまだ力が足りないように思えるが、前述の男の側の「鍛えようのない、どうにもならない部分」を文字通り握られているのだ、おいそれと動く訳にもいかない。

「今度は…あたしの番だよ……」

 まだ完全に回復していないだろうに、由風の手がゆるゆると動き始める。自身を上下に扱くような動きに、知らず吐息が洩れる。やはり彼女は積極的な女性だったらしく、その動きに迷いは一切感じられない。

「う…あっ」

 気が付けば、由風の肢体はベッドに横たわっていて、悩ましげな嬌態を繰り広げている。故意なのか無意識なのか、判断がつかないそれは、一馬を更に高みへと押し上げていく。その間にも由風の唇は、すっかり硬くなった一馬自身の先端に触れており、小さくちゅっと音を立てながら口づけてから離れる。その口元に浮かんでいるのは、間違いなく楽しそうな笑み。手にとったままのソレをためらいもなくその中に含んで、手と同時に舌を動かし始めた。

「あっ 由風さん、それは…!」

 やはり由風は手慣れた女性だったらしい。先端から根元にかけて、途中のくびれに至るまで、あますところなく手でも舌でも絶妙な強弱や緩急をつけた愛撫を施してくる。このままではいけないと思いつつ由風の身体を自分から離させようとするが、先刻と違い、力の入れにくい体勢であることに加え、由風にひっきりなしに与えられる快感がそれを阻む。それでも懸命に堪えていた一馬だったが、下腹部を中心に背筋を走って全身に広がっていく快感には抗いきれず、とうとう欲望を吐き出してしまった。

「…………」

 身体を震わせながら呼吸を整えようとする一馬の前で、由風は口を固く閉ざしたまま近くを探してティッシュボックスからティッシュを数枚抜き取る。その勝ち誇ったように見える態度の端々に、何だか彼女が優越感を抱いているように見えて、無性に悔しくなってくる。いままで、こんなにもあっさり女性に主導権を奪われて、最後まで好き勝手にされたことはなかった。あくまでも、主導権は自分。ずっとそうしてきたというのに。その気持ちが一馬の身も心も奮い立たせ、分身ともいえる部分が元気を取り戻していく。

「いやー、さすが、二十代。回復も早いねー」

 すっかり処理を終えたらしい、普段と何ら変わらない由風の軽口も、一馬の神経を更に逆撫でする。

「……これで終わりだと思わないでくださいよ」

「へ?」

 一瞬、何を言われたのかわからないように顔をする由風を、再びベッドに引き上げて押し倒す。

「負けっ放しは性に合わないんで。これからがほんとうの勝負ですよ」

 そう言ってやると、由風は実に楽しそうな表情で笑みを浮かべた…………。




                    *      *




────戦績。一勝一敗。


 あれから。

「西尾ー。これ、F社さんの売上関係ね。今月分のまとめ、頼むわ」

「はい、わかりました。いつまでですか?」

「いつもと同じくらいでいいよ。いまのとこ急ぎのアポもないし」

「了解です」

 由風とは、会社内ではいつもと変わらない関係を保っていた。営業と営業補佐という関係上、取引先によっては営業担当は同じでもそれを補佐する人間は違ったりするので、由風も凛子以外の補佐と組んで仕事をすることも多い。一馬もその中の一人ではあったが、それにしてもここまで平常通りの顔で仕事上の接し方をされると、こっちのほうが内心で戸惑ってしまう。

 彼女にとっては……僕なんて、ただのつまみ食いに過ぎないのかな…?

 何となく淋しく思っている自分に、一馬自身が驚いてしまう。自分だって、似たようなことをさんざんしてきたし、相手の女性がそう思っていることに気付きながらも平気でいられたのに。どうして由風が相手だと、そう思ってしまうのだろう? 本性を全開で見せて接した、表の顔も知る初めての相手だから? 考えてもわからない。

 けれど、ある意味身体は正直だ。

「……っ」

 一馬の攻めに敏感に反応して、目前の裸体の女性が声にならない声を上げた。その直後、一馬もすべての緊張から解放されて、力なく女性の身体の上にくず折れた。しばしの間、激しく乱れた呼吸を整えながら、汗ばんだ互いの肌を密着させて……ただ、黙ってぼんやりとしていた。

 女性なんて、多少の差異はあれど大きな違いはないと思っていた。だけど。彼女だけは、何かが違うと思った。

「…どうしたの? 珍しくぼんやりしてるじゃない」

「え…そう? ちょっと疲れただけだよ」

 前髪をかき上げつついつもの笑顔を浮かべて、女性の身体から離れる。

「誰か…別のひとのことを考えていたでしょ」

 後処理をしながら投げかけられた、予想もしなかった言葉にどきりとする。まさか、見抜かれているとは思わなかった。

「やだなあ、そんな失礼なこと、するはずないでしょ」

「どうかしら」

 言いながら、女性はみずからの身を起こして、一馬の腹部の下へと手を伸ばしてきた。

「素直じゃない子には、お仕置き」

 まだ先刻の余韻が残るそこに新たな刺激を与えられて、一馬は何とか声を堪えながら、背をそらせる。されていることは同じようなものなのに、やはり彼女とは、何かが違う。たったいま自分で否定したことをまたしても頭に思い浮かべながら、一馬は与えられる快感に身を委ねる。

 学生時代の例の彼女には、こんなことまでされたことはなかった────年齢が年齢だったのだから、当然かも知れないが────だから、それとは違う感情なのだけど、いま目前にいる女性とあの女性との違いが、考えてもどうしてもわからなかった。目前の女性にはそんな一馬の困惑などお見通しに違いなかっただろうけど、彼女は何も告げないまま行為を続行し、一馬の身体の上に器用に体重をかけ過ぎないように乗ってきて、みずからの身を激しく揺らし始めた。そうして一馬の思考も、まるで白濁していくかのように意識の底へと沈んでいった…………。


 そして。

「私、ちょっとお手洗いに行ってくるわね」

「あ、じゃあ僕も…」

 例の週末、「迷惑をかけたお詫び」と称して凛子と由風に誘われた食事の際に、食後凛子と神崎が立て続けに席を外した隙に、一馬は向かいに腰掛ける由風に話しかけた。

「せっかくの機会だし、神崎さんにもう一度チャンスをあげませんか?」

「それって、あたしらはとっとと抜けようってこと? 今日なら凛子もほぼ素面といっていい状態だろうし……リベンジするにはもってこいって感じか。これでダメだったら、指差して笑ってやる」

 非常に楽しそうな笑みを浮かべて────というより悪魔の笑みとでも評するべきだろうか────由風は笑った。詳しくは知らないが、前回別行動になった際に神崎は非常に紳士的に凛子を送って、そのまま帰ったと聞いている。由風に言わせれば、「ヘタレの証拠じゃん」だそうだが、一馬にしてみれば本気だからこその結果ではないかと思えて、どうしたらそんな風に純粋に誰かを好きになれるのかと真剣に訊いてみたいほどだった。あの直前までは、神崎は確かに自分や由風寄りの考えの持ち主だったと思うのに。

「いいよ、とっととバックれよっか」

 当然というか性差とでもいうか、予想通りに先に戻ってきた神崎に数枚の札を押しつけて、由風はバッグを手に席を立つ。何が何だかわからずにいる神崎に、同じように席を立った一馬がフォローを入れた。

「僕たちはここで席を外しますので、あとはおふたりでご自由に、ということですよ」

「えっ!?

 それを聞いた神崎の表情は、歓喜というより戸惑いのほうが大きいようだった。

「んじゃね」

「ちょ、ちょっと待って…!」

 神崎に反論する間も与えず、由風はスタスタと店を出ていく。それに倣いながら、一馬は「頑張ってくださいね」とだけ告げて、後に続く。後に残された神崎は困惑の表情を浮かべているが、彼ならうまくやるだろうと思いながらもう振り返ることもしなかった。あとはふたりの問題だ。これ以上、自分たちが口を挟むことではない─────というのは建前で、他人の事まで考えている余裕がないというのが本音だった。

「さーて、凛子が出てこないうちにとっととこの場を離れるか。どっか飲みに行く? いいところあったら教えてよ」

 早足でとりあえず出てきた店を離れながら、由風が振り返る。その顔を見た瞬間、自分の意思とは関係なく、一馬の唇が言葉を紡いでいた。

「……先日の決着をつけるというのはどうですか? 白黒がつかないままというのも、なかなかスッキリしないものでしてね」

 それは、嘘。一馬はもともと、曖昧なことが嫌いではない。ハッキリさせないままのほうがよいことも、世の中にはあることも知っているから。それでも、そんな言葉が口をついて出たのは、確認したいことがあるから。先に述べたことと矛盾している気もするが、それだけはどうしても真実を知りたかったから。

「あたしにリターンマッチを仕掛けようっての? 面白い。こっちもほとんど引き分け状態で、苛ついていたところだよ」

 由風のこれは、本音だろう。彼女は、営業という職のせいかそれとも元からの資質のせいか、勝敗がハッキリしないことを好まず更に負けず嫌いときているものだから、入社して間もなくの頃に「ゲームでも何でも、自分が勝つまでやめないものだから、あの子に安易に勝負を挑まないほうがいいわよ」と凛子に忠告されたことを覚えている。仕事上ではそんな機会はないが、凛子はプライベートでいろんな時間を共有しているからこそのセリフだったのだろう。

「望むところです」

 そう言って、いつもとまったく違うしたたかな笑みを見せると、由風が軽く目をみはるのがわかった。

「何ですか?」

「いや…ホント、外面と内面が違う奴だなあと思ってさ」

 それは千秋にも言われたこと。

「僕は結構気に入っていますけどね、この性格」

 両親があんなに早く亡くならなければ、自分もこうはならなかったかも知れない。けれど、いまさら言ってももうどうしようもないことだ。

「それとも由風さんは、こういう人間はお嫌いですか?」

 笑顔でそう返すと、由風はきょとんとした顔で答えてみせた。

「別に。みんながみんな、見た目通りの性格じゃ面白くないしね。かといって、神崎みたいなのはごめんだけどさ」

 それを聞いた瞬間、何となく救われたような気がした……。



    






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2013.8.8up

少しずつ変化していく一馬の心…。
最後に行き着くところはいったいどこなのか。

背景素材「空に咲く花」さま