〔8〕





 いまでもたまに夢に見る。

 目を開けてられないくらいの眩しい光─────一瞬スポットライトに照らされたかと錯覚するほどの光が目を直撃し、その後はまるでスローモーションのように迫ってくる車に気付いて、自分と車の間に真一がいることを目の当たりにした瞬間、勝手に身体が動いて真一の身体を力の限り突き飛ばしていた。直後、自分に襲いかかる衝撃と痛みと……けれどすぐに意識がなくなったから、それ以上の苦しみはなかった。

 しばらく海の中を漂っているような浮遊感を味わっていたと思ったら、急速に水面に引っ張っていかれるようなせわしなさを感じて、何か騒がしいところで引っ張り出されて目が覚めたとたんに周囲がやたら騒がしくなって、目を開けたらその前のものほどではないけれどやはり眩しい蛍光灯の光の中でようやく目が慣れてきたと思ったら、見覚えのある顔がいくつも涙でぐしゃぐしゃになった顔でこちらを見ていて…………。

『志郎っ! お母さんがわかるっ!?

『志郎、自分の名前を覚えているかっ!?

 ああ、母親と兄貴だと思って頷こうとしたのに、首すらも自分で動かせなくて。自分はどうなったのかと思っているうちに白衣を着た男女が駆け込んできて、母親たちを押しのけて何を言っているかわからない叫びにも似た声と共にいろんな器具を自分の身体に取り付け始めて、「なんだなんだ」と思ったことを覚えている。

 それが、ある意味自分の人生の分岐点だった。もしあのまま、海のようなものの底に沈んでいっていたら、いまごろどうなっていたのかと考えると恐ろしい気さえする。あれが、生死を分ける境目だったのかも知れない。そんな時は独り膝を抱えて恐怖と戦っていたものだけど……。

 入院生活のかたわら、無茶ともいえるリハビリをこなし、死にかけた身としては最短記録といってもいいかも知れない短さで退院し、何とか留年しないように勉強に精を出して…無理をするなと口々に言う仲間たちとどうしても共に卒業したくて、学校と家と病院とを行ったり来たりした。脚が思うように動かなくても、仲間の手やみずからの身体の自由の利く腕で車椅子や杖で乗り越えて、学校にも通い続けた。サッカーはもうできない状態だったけれど、それでも状況が許す限りサッカー部の試合の応援には駆けつけ、声が涸れるほどに誰よりも大きな声を張り上げて声援を送った。

 自分ができないならせめて指導する側に回りたいと思い、体育教師になろうと思ったのもこの頃だった。皆の応援を受け、逆に皆の目指す道への応援もし、無事に高校を三年で卒業し、志望大学へも現役で合格してみせた。できるだけ身体を使わないで済むアルバイト─────塾などのテストの採点やあちこちの会社のデータ入力などもこなしながら、人体のつくりやさまざまな運動についてのあれこれも必死で知識をつけた。多少の後遺症は残っていたが、短時間なら走っても大丈夫なほどに回復できたのは、尋常ならざる努力のおかげだと医者も手放しで褒めてくれた。現在でも多少の通院を必要としているが、日常生活、及び目指した職に就けたことは、自分でも誇りに思っている。

 そして、恩師の紹介で現在勤めている私立藤林学園高等部に就職できて、いままで大変だった人生もこれからやっとほんとうの意味でリセットして再起動だと思っていた矢先。事故の時以来の衝撃を受けるような、恋をした。

 それまでにもつきあった女性はいないこともなかったが、初めに自分の身体の事情────わりと頻繁なリハビリを必要としていること、将来のために勉強すべきことがたくさんあること、アルバイトにかなり時間をとられて他の同年代の男と違ってあまり構ってあげられないことをちゃんと一から説明していたのだが、これは現在の志郎自身も反省している通り、互いの未熟さのために双方共に相手への配慮や気遣いが足りなかったのだろうと思う。結果、心も身体も問題ないといえるようになるまでは、恋人を作るべきではないと思っていたのに。就職したとたんにそんな固い決意をすべてぶち壊すような相手に出逢えるなんて、夢にも思わなかった。

 落ち着きのある、向けられるたびに安堵をくれるような笑顔にまず惹かれた。何かとかしましい他の女性から感じたことのないそれは、彼女の管理している一室にあたたかな午後の日差しの中ゆるやかにおだやかに微睡んでいるような錯覚を覚えるような雰囲気を漂わせ、彼女のそばにいるだけで心身のすべてが癒されるような気がした。これは恋ではないと─────彼女は誰にも平等に接するのだと思い込もうとしていたが、業務で使うのであろう物品を誰かに頼むこともせずに一人で運ぼうとする彼女がよろめいたのを見て、考える間もなく駆け寄って背後からその肩を支えると、志郎が見ていたことにまったく気付いていなかったらしい彼女が驚いたような表情で振り返り、気恥ずかしそうに小さく笑みを浮かべて礼を述べるのを見て、心の中の何かがはじけたのを覚えている。初めて触れたその肩が、いつも感じていた彼女の包容力とは相反して、ちょっとしたことですぐに壊れてしまいそうなほどに華奢だったことにも衝撃を受けた。彼女が取り落としかけた荷物を代わりに持ち、どこへ運ぶのか問うた時初めは遠慮からか断ろうとしていた彼女が志郎の熱意に負けてほんとうに申し訳なさそうにかすかに頬を染めて心持ち俯き加減で目的地と感謝の気持ちを伝えてきた時、志郎は完全に観念してみずからの恋心を自覚した。

 自覚しないまま、ほとんど無意識に中高生のようにただ見つめ続けるだけで三年近く。彼女の表情や言葉、仕草、一挙手一投足に至るまで神経を張り巡らせて三年近く。自覚した途端、数えきれないほど彼女の夢を見て、とても他人には言えない─────と言っても中高生時代からはポピュラーな方法ではあるが、二十代も半ばになってそんなことをしているとはやはり同性であっても言えないような方法で自分を慰め続けて三年近く。彼女に男の影がないことに安堵しつつも、いつまでも覚悟の決まらない自分にとことん嫌気がさしてはいたものの、きっかけすらなかなかつかめないまま……三年近く。やっと巡り巡ってきたチャンスを逃す気は志郎にはもうなかった。身体のハンディキャップなんて、自分の中ではただの言い訳に過ぎなかったことを、その時になって嫌というほど思い知らされた。自分はただ、拒絶されるのが怖かっただけだ。彼女がそんな人間ではないとわかっていたはずなのに。


 そして、いま─────────

「…あっ んうっ」

 ベッドの上で前のめりになっているみずからの身体の下で、淡い色のカバーがついた枕に顔を埋め、背をしならせ尻を高く上げるような体勢でかのひとが艶めかしい声を上げている。そのひとの秘所にこれ以上ないぐらいにぎちぎちに埋められているのは、己の雄としての猛り。温かいというより熱いといってもいいほどに存分に潤っているそこは、まるで志郎のソレから何かを絞りとらんとするかのように蠢いていて、気を抜くと意識を持って行かれるのではないかと思うほどの快感を志郎にもたらせてくれる。

「あ、やの、さん…すごい締めつけてくるよ……この体勢、そんなにイイ…?」

「…っ!」

 その言葉に彼女のナカがまた少し温度を上げた気がした。

「んっ」

 腰を大きく動かして彼女のナカにあるモノを大きくグラインドさせると、彼女が悲鳴にも似た声を上げ、更に志郎のソレを締めつけてきた。

「すげ…いまの、これまでで一番かも知れねー」

 彼女の背後から手を回し、両の手で乳房をこねると、耐えきれないような嬌声が上がる。

「あと綾乃さんはここもイイんだよね…?」

 言いながら彼女の下腹部に手を移し茂みの奥に隠れている花芽を指の腹で弄ると、彼女の全身がびくびくと震える。肩のあたりで切りそろえられた艶やかな黒髪が左右に分かれてあらわになった首筋や肩にくちづけながら、みずからの腰を再び動かし始めると、普段の彼女なら絶対に上げないような高い声がその喉から迸った。

「あ…っ しろ、く…そん、な弱いとこ、ばっかり……っ」

「貴女のそんな声と反応が見たいからわざとやってるんだよ」

 と正直に気持ちを告げると、泣きそうな声で────おそらくは表情もそうであろう可愛らしい声で「馬鹿〜っ」と聞こえてきて、いつもならつけている薄い膜もなしで挿入しているソレにダイレクトにかすかな振動が伝わってきて、あまりの気持ちよさに危うくイッてしまうかと思った。

 ほんとうは、初めての夜の記憶も曖昧にだが残っている。あの時も、ようやくこの腕に抱き締められた存在に浮かれ、彼女のナカに初めて入れたという感動もあってかつてないほどに快感を得たものだが、何も着けないまままさに互いに生まれたままの姿になっての今回の比ではないことも覚えている。あの時は、彼女に初めて受け容れてもらえたという歓喜もあったから。

「ああ…綾乃さん綾乃さん綾乃さん……っ 愛してる。誰よりも…っ」

「しろう、くん…お願い、そっち、向か、せて……」

 彼女のナカに猛りを埋めたまま、彼女の身体を反転させて正面から顔を見合わせると、額に汗をにじませていた彼女の表情がまるで蕾が一気に花開くようにほころんだ。

「私も…愛してる。どうしても、顔を見て言いたかったから……」

「……っ!!

 かーっと顔が熱くなって、気付いたら彼女の唇を貪るように奪っていた。

「俺も…愛してる。絶対に、この腕の中から離さないから。覚悟してて」

 さらに大きくなった気のする猛りで彼女のナカを突くと、小さな悲鳴が上がった。それに呼応するかのように彼女の内側が締まり、志郎は耐えきれなくてその中に己の精を放った。まるで、天にも昇るかのような快感だった。

 あの後──────真一と結実と別れた後、のんびりと歩いて帰ってきたふたりがまず向かったのは浴室だった。浴槽で湯を沸かしながらシャワーで互いの身体を洗って汗を流して、湯船に重なるように入っていた時、ついムラムラしてその背後から綾乃の胸や脚の付け根のあたりを撫で回していたら、息が上がりかけていた綾乃が、恥ずかしそうにか細い声で、

「今日…は、大丈夫な…日だ、から……」

 と言ってくれたのだ。お互い保健体育に関わる身だから、彼女の言わんとしていることはすぐにわかった。もし間違っていたとしても、順番が変わるだけで結果は同じになる覚悟はとうにできていたから、構いはしないけれど。

 そして、バスタオルで身体を拭くのもそこそこに、ふたり全裸のままベッドへともつれ込んだのだ。いつも以上に丁寧な愛撫を施すつもりでいたのに、その前に綾乃に潤んだ瞳で見つめられ、堪えられなくなって早急に彼女のナカへと自身を挿入した。まさか、挿入と同時に彼女が突然達してしまうとは、予想外だったけれど。

「あ…ああ…っ」

 息も途切れ途切れのまるでせつない吐息のような声を聞いたら、もうダメだった。理性も自制心も何もかも吹っ飛ばして、まるで獣のように彼女の身体を貪ることしかできなかった。何度彼女に休息を懇願されても己を止められなくて、何度彼女が絶頂に達したのかすら覚えていられないほどだった。

 できることなら、自分以外の他の誰の目にもふれさせず誰の声も聞かせず誰とも接することもなく誰も知らない場所に閉じ込めておきたいけれど。そんなことは不可能なことはわかっているし彼女もそれを望まないだろうから。他の誰も行けないほど彼女から一番近い場所は、絶対に誰にも譲らないと決めた。

 それからどれほどの時間、どれほど濃密な時間を過ごしたか、もはや志郎自身にもわからなかった。




      





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2017.3.27up

前回のお話からほぼ二年近く…大っっ変お待たせして申し訳ありませんっっ

最初で最後の志郎視点のストーリー。
綾乃に恋する前後の彼の心境の変化とは…?


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