〔5〕





 もうすっかり、世間がクリスマス一色に染まってきた頃。


「え? クリスマスイヴ?」

 昼休みの保健室で、綾乃は思わず聞き返していた。その視線の先に座っていたのは、男女織り交ぜた数人の生徒たち。暖房の効いているここは職員室ほど敷居が高くないらしく、毎日のように昼休みにはどこかのクラスの生徒が入り浸っている。まあもちろん、静養させるべき生徒がいない時に限る話だが。

「そう。染井先生美人だし、絶対彼氏とかと過ごすよねーってみんな噂してるのよ?」

「フリーだったとしても、この学校内だけでも独身の男の教師が何人もいるしさ、お誘いとかこねーの?」

 その言葉に内心でどきりとするが、そんなことはおくびにも出さずに笑ってみせる。

「お誘いなんて、こないわよ。皆さん、もっと他にいいひとがいるだろうし」

 少なくとも嘉月が遥子を誘うことはないだろうと確信しているが。遥子のほうはその気満々だろうが、嘉月には何とか逃げ切ってほしいものである。

「えー、じゃあ先生イヴにぼっちなの!?

「友達と食事の約束くらいはしてるわよ」

「何それー、世の中の男って見る目なーいっ」

「おだてたって何も出ないわよ」

 「友達」とごまかしはしたが、相手が女だとはひとことも言っていないのだけれど、それをわざわざ生徒たちに教えるつもりは、綾乃にはない。ただでさえそういう話題に敏感な年頃の生徒たちに、格好のゴシップのネタを与えるほど、綾乃も迂闊ではないのだ。

 そんなことを話しているうちに、午後の始業分前を告げる予鈴が鳴り響いた。

「はいはい、そんなことよりもそろそろ授業が始まるわよ、教室に戻りなさい」

「はーい」

 生徒たちはまだ何か言いたげではあったが、綾乃の指示に従っておとなしく保健室から出ていく。何も知らないはずなのに────否、知らないからか────時々鋭いところを突いてくるのはさすがというか何というか…。先ほど少々話に出た「この学校の独身男性教師」のひとりと既にそういう関係だと知ったら、どんな騒ぎを引き起こすことか。想像に難くないので、綾乃は沈黙を守るのだ。

「さて…と」

 机の抽斗から取り出すのは、つい最近買ってきたクリスマス特集を前面に出している雑誌。志郎とちゃんと約束こそしていないものの、恐らくは一緒に過ごすだろうと思っているからこそ、「彼を驚かせちゃおう、おうちでクリスマス!」などと謳っていたこの雑誌に目をひかれ、ついつい買ってしまったのだ。自分で言うのも何だが、手料理に関しては綾乃はそこそこ自信がある。志郎が寸前に「予定が立たなかった」と言っても大丈夫なように、クリスマス用のディナーのメニューの研究に余念はない。綾乃だって、たまには凝った料理を食べてもらいたいから。

 こうして仕事の合間に、他人に見つからないようにいろいろ考えていたりするのだ。


 放課後。もう、帰宅部の生徒はほとんど帰ったであろう時間に、戸をノックする音。返事をすると、静かに戸が開いてそこに立っていた人物が姿を現した。数学教師の佐々木大輔だった。

「どうなさいました?」

「ちょっと、書類で指を切ってしまいまして…絆創膏をいただけますか」

「あ、はい、念のため消毒もされますか?」

「いえ、そこまでひどい傷ではないので大丈夫です……」

 そこまで言った大輔の視線が、机の上の他の冊子で隠してあった例の雑誌に留まったことに、背を向けていた綾乃は気付かない。

「はい、絆創膏です。一応予備でもう一枚お渡ししておきますので…」

「…染井先生は」

「はい?」

 絆創膏を渡すと同時に名を呼ばれ、思わずきょとんとした顔で大輔を見上げる。

「クリスマスイヴの夜のご予定はおありですか」

 思ってもみないことを問われ、一瞬思考が止まる。

「えっと、それは…」

「もしご予定がなければ、食事にお誘いしたいのですが…もちろん、ふたりきりで」

 思わず大輔の顔をまじまじと見やると、そこにあったのは真剣極まりない表情…なのだが。何か感じるものがあって、綾乃はふっと微笑う。

「…嫌ですわ、佐々木先生。そういう日は、ほんとうに大切なひとと過ごす日ですのよ。申し訳ありませんが、私も既に予定が入っておりまして」

 大輔のことを、そんなによく知っている訳ではないけれど。真剣極まりない表情に見えるそれの中に、何故だか虚構の光を感じ取って、考えるより早く綾乃はそんな言葉を口にしていた。このひとがほんとうに求めているのは自分ではないと、女の勘とでもいうべきものが、直感でそう自分に教えている気がしたのだ。

 一瞬驚いたような顔を見せた大輔だったが、綾乃の内心に気付いたのか、口で言うほどさして残念でもなさそうな顔で微笑った。

「……これは残念。あっさりフラレてしまいましたね」

「あんまり、罪なことをなさってはいけませんよ?」

 何の根拠もなく、ほぼ直感が告げるままに口にした言葉だったが、大輔にとっては痛いところを突いた言葉だったらしく、一瞬の間だったが大輔の瞳に陰りが走った。それを目の当たりにした綾乃は、やはりこのひとには、他に大切なひとがいるのだと確信した。

 そんなことを考えていたから、いつもなら気付くはずの保健室の戸の外の気配に気付かず、更にその人物たちがすぐに音もなく去っていったことにも気付けなかった。そのことを綾乃が知るのは、しばし後のことだけれど。




                    *     *




 その日の晩。いつもよりせわしなく押される部屋のチャイムに驚いて、綾乃は立ち上がる。インターホンのモニターに映るのは、見慣れた志郎の姿。けれど、心なしかどこか焦りを帯びているようにも見えるのは気のせいか。

「いらっしゃい、どうしたの? 連絡もなしに」

 普段学校で会っている時とは違い、くだけた口調と態度で招き入れ、ドアの鍵をしっかりとかける。

「あ、夕食はもう済ませたの? 簡単なものでよければすぐに用意できるけど……」

 問いかけながら振り返ったとたん、正面からぎゅっと抱き締められて驚いてしまう。

「え…志郎、くん? どうしたの?」

「……生徒たちから、聞いた…」

「え?」

 いったい何を、聞いたというのか。そして、この行動に出た意味は。綾乃にはさっぱりわからない。

「綾乃さんが保健室で、佐々木先生にクリスマスイヴの誘いをかけられてたって……誘い、受けたの? 約束しちゃったの…?」

「!」

 確かに誘われたのは事実だが、その直後にきちんとお断りしたところまで、その生徒たちはしっかり確認しなかったのだろうか? 中途半端に聞きかじったことだけで勝手に判断して、こんな風に無責任な噂を流すなんて────少なくとも志郎と綾乃の仲は誰にも知られていないはずだから、志郎限定でその話をしたとは思い難い。もし志郎だけにピンポイントでその話をしたのなら、志郎もまずそっちについてふれているだろうから、恐らくは違うのだろう────早とちりにも程がある。その生徒には、個人的にしっかり指導をしなければいけないなと思った所で、志郎にソファに押し倒されて、ハッとする。

「ねえ…ほんとうに佐々木先生に誘われたの? それで、約束したの……?」

 いつも陽気な色をたたえている志郎の瞳が陰りを帯びていることに気付いて、とにかく早急に訂正をしなければと思い立つ。

「誘われたのは事実よ、でも…」

 自分はちゃんと断った、とまずそれだけを先に伝えようとした、その矢先。まるで最後まで聞きたくないとでも言いたげに唐突に唇を塞がれて、何も言えなくなってしまう。

「ちょ…っ」

 最後まで聞いてほしいと思って抵抗するが、さすがに男性の力にはかなわなく、更に不安定なこの体勢では身動きすらままならない。

「私は…っ」

 言葉を続けたくても、逃れた唇を追ってすぐに志郎の唇が迫り、またしても単語のひとつも出せなくなってしまう。更に舌まで絡め取られては、まともな声すら発することもできず、どこか湿った音だけが部屋の静寂の中響き渡る。

「ん、はっ」

 執拗に舌を絡ませられ、呼吸すらままならない。そのうちに志郎の中の何かに火がついたのか、服の上から胸元をまさぐられて、考えるより先に身体が反応してしまう。もどかしさをも感じるその感覚が、甘い疼きとなって胸先から全身へと広がっていく。もっと欲しいと思ってしまう心は、綾乃自身にもどうしようもなくて……。

「おれ、の…ものだ…!」

 振り絞るような、吐息のようにも聞こえるほどの音量の声だった。

「他の…誰にも渡さない…っ!」

 激しいくちづけの合間に洩れる、切羽詰まったような響きの呟きが綾乃の胸を打つ。これまで、こんなにも強い口調で、言葉で、自分を欲してくれた男性がいただろうか? こんなにも強く、痛いほどの力をもって自分を抱き締めて態度で示してくれた男性は…いただろうか。

 こんなにも、強く激しく、自分を欲して求めてくれるなんて、驚くと同時に嬉しく思う気持ちが心を満たしていく。束縛や執着が嫌と思うより早く、これほどまでに自分を愛してくれていると思うと嬉しくてたまらない。女として、これ以上ない喜びを感じてしまうのだ。

「しろ、くん……」

 その名を呼びながら、みずからの両腕を彼の首に巻きつけて引き寄せ、今度は自分からその唇を寄せる。突然の綾乃の行為に驚き戸惑いながらも、すぐに志郎は応えてくれて、より一層強く綾乃の細身の身体を抱き締めてくれた。もう、何も考えられなかった。

 ウエスト部分からまさぐるように服の中に侵入してきた手が、下着の上から綾乃の胸に触れる。

「あ…っ!」

 待ち望んでいた直接的な刺激に、身体が震える。もっと、こんな下着越しなどではなくその熱い手でこの身に直に触れてほしい。その思いが通じたのか、志郎が一枚ずつ丁寧に綾乃の着ているものを剥いでいく。暖房をつけているとはいえ、少しずつ肌が外気にさらされていく感覚が、綾乃の身に寒さからではない震えをもたらして。

「…寒い…?」

 心配そうな志郎の声に、綾乃はそっと首を横に振った。

「ううん…それより、もっと触って……」

 寒さなんて感じる間もないくらい、外から内から、自分の身を温めてほしかった。それを許せるのは、いまや志郎だけだから。だから、遠慮なんてしないで自分のすべてを奪ってほしかった。

「…っ!」

 その言葉に触発されたのか、中のブラジャーをずらされたキャミソール越しに志郎が片方の胸の頂に唇を寄せて、ぱくりと咥え込んだ。生温かい感触が突起を包み込み、キャミソールの色がじわじわと変わっていく。湿ったやわらかい舌に転がされ、時折吸われたり軽く甘噛みされたりして、それを左右交互に繰り返しては、綾乃の中の快感を高めていく。

「あ、ん…ふ、う……あっ」

「気持ち…いい……?」

 その問いかけに顔がかっと熱くなるが、それよりももっと強い快感が欲しくてたまらなくて、素直にこくんと頷くと、志郎は嬉しそうに笑ってから既にスカートを脱がされていた下肢へと手を伸ばしてくる。脚にまだ残っていたストッキングをゆっくりと、丁重に脱がせながら、さりげなく脚に触れてくる指の感触に、綾乃の身体が小さく震える。

 やがて完全に脱がされたストッキングが床に落とされ、ようやく待ち望んでいた指先が下着の上からそこに触れた時は、綾乃の身体は歓喜に震えていた。確認しなくても、そこが既に布地に染みるくらい潤っているであろうことが、自分でもわかっていた。けれど、やはり恥ずかしいと思うより先に、もっと快感が欲しくて腰が勝手に動いていて…。

「あ…」

 恥ずかしいと感じる心に気付いた時には、既に志郎の指が動いていて、布越しに綾乃の敏感な所に触れていた。

「あ、や…っ」

 一瞬電流が走ったような感覚に襲われ、思わず背を反らせた所で、志郎に見せつけるかのように丸出しになった首筋に這わされる舌。ぞくぞくとした感覚が全身に駆け抜ける。

「あ、あ…ふあっ」

 それと同時に、なぞるようにやはり布越しに秘裂を撫で始める指先。更にもう片方の手や舌で胸の突起ももてあそばれて、綾乃の思考は既に活動を停止していた。あまりの快楽に、ひとりのただの女として、その身を差し出すことしかできない。

「しろう、く…っ いいの…そこ、いいのぉ……」

 もはや自分自身ですら何を言っているのか把握していない。

「ここ? ここがいいの? もっとしてほしい?」

「おね、がいぃ……」

 普段の大人としての常識も冷静さも、虚勢までも吹き飛ばして懇願する自分を、誰でもない綾乃自身が恥ずかしく思い志郎の前に顔さえ見せられなくなるのは、また後での話。この時の綾乃は、とにかく自分の中で渦巻く熱を何とか解放してほしくて、志郎の顔をみずからの胸に押しつけるように抱き締めるほど、救いを求めていた。

「…うん。素直になってくれたご褒美をすぐにあげるから、少しだけ待ってて」

 綾乃の胸と腕から名残惜しそうに抜け出してから、志郎は綾乃の着ていたキャミソールや既に用を為していなかったブラジャーとショーツを取り去って、他の服と同じようにソファの下に落とす。自分の脱ぎかけていた服や下着も同様だ。

「すごい…溢れてくる。ソファを汚しちゃうから、こっちから先に何とかしないとね」

 言うが早いか、快楽を欲してひくついていた綾乃の中心へと顔を埋め、その舌で溢れ出る蜜を舐め取った。

「あ、ああんっ!」

「すごいいっぱい出てくるよ……そんなに、気持ちよかった?」

「や、そういうこと、言わないで…っ」

「でももっと気持ちよくしてあげるから…いくらでも溢れさせていいよ?」

 志郎の言葉を理解する前に、次から次へと舌や指で快感を与えられ、綾乃はもはや限界寸前だ。指でナカをかき混ぜられたと思えば、今度は舌で敏感な花芽を嬲られ、時にはふっと軽く吐息を吹きかけられ、唇で挟むように扱かれる。

「あっ いやっ ダメ、そこ、もうダメっ」

 頭の中が真っ白になったその瞬間、綾乃の全身がびくびくっと震えた。

「あっ ああ─────っ!」

 …他に物音のしない室内で、ふたりの激しい息遣いが響き渡る。ようやく現実世界に戻ってきかけていた綾乃の精神は、またすぐに襲ってきた快感にさらわれかける。

「あ、んあっ」

「綾乃さんのここ、まだ俺の指を締めつけてる。もっと、気持ちよくしてあげるよ」

「ま、待って、志郎くん…あっ!」

 まだ絶頂の余韻が残るそこに埋め込まれたままの指が、綾乃のナカで再び動き出したとたん、綾乃の全身に残る快楽の残り火が再び力を取り戻して燃え上がり始める。

「まだ、ダメ…そんなにされたら、わたしまた……っ」

 必死に言い募るが、志郎の動きは止まらない。綾乃の唇から洩れるのは、もはや意味を為さない言葉だけ。後は、迸る嬌声に塗り替えられる。

 それから数回絶頂へと押し上げられてから、ずっと望んでいた指や舌とは違う質量のそれを与えられるのは、もう少し時間が経ってからのこと──────。


 途中から寝室のベッドへと連れて行かれ、圧倒的な存在感を持つモノで翻弄されて疲労困憊になるまで啼かされた綾乃がようやくまともに志郎の問いに答えられたのは、一時間以上経ってからのことだった。

「え…誤解?」

「そうよっ 私は佐々木先生に誘われた時点で即答でお断りしたっていうのに、いったいどこの誰にそんな中途半端な情報を伝えられてきたのよっ!!

 少しでも悩んだのならともかく、綾乃は考える間もなく速攻で断りの返事を口にしていたのだ。志郎に情報をもたらした相手がせっかちの極みといっても過言ではないだろう。それに対する志郎の返答はといえば。

「い、いや、前々から俺が綾乃さんに惚れてることを知ってた生徒が、『いつまでもトロトロしてるから、よその男に取られちまっただろうが!』って言ってきたものだから、ついカッとなって……」

 あ、既にこういう関係になってるってことまではバレてないから、とフォローのように付け足してきた言葉も、もはや火に油を注ぐ結果になっているだけだということに、志郎は気付いているのかいないのか。

「と・に・か・く! このおとしまえは、きっちりつけてもらいますからねっ ちゃんと断ったっていうのに疑われて、この仕打ち…酷過ぎるにも程があるわ! その生徒も、その電光石火の早とちりを直さないと、この先進学するにしても就職するにしても障害にしかならないもの、しっかり教育し直さないと……」

 それでもやっぱり生徒のことを忘れずにいるあたりは、教育者の鑑といえるだろう。

「ご、ごめんなさい、綾乃さんっ 俺が悪かったです、どうかご機嫌を直してください、この通りですっ!!

 ベッドの脇、床の上で全裸で土下座する姿は、間抜けそのものだ。綾乃はもはや、呆れることしかできない。

「まったく……。なら、約束して。これからは、ちゃんと私に確認しないうちは変な噂とかを真に受けないって。言うべきことがあったら、私はちゃんと直接伝えるから、別の人の無責任な言葉を信じないで。まるで私のことを信じてもらえてないみたいで、すごく傷つくから…………」

 それはかつて、綾乃の恋人に横恋慕した上に綾乃が他の男と浮気していると嘘をついて、まんまと恋人を奪った同級生がいた経験からの言葉。あの時のように、ほんとうのことしか言っていないのにも関わらず、信じてもらえずに冷たい目と言葉で突き離された辛い思いは……もうしたくない。結局、その後ふとした綻びから女の謀略が明るみになって、真実を知った恋人────その時には既に綾乃の中では元恋人になり下がっていたが────が慌てて謝罪と復縁を迫ってきたが、綾乃は自分がされたのと同じように冷たく突き離し、彼は共通の女性の友人はおろか男性の友人たちにまで縁を切られたと聞いた。もう、思い出したくもない過去の話だ。

 そんな綾乃の内心を知ってか知らずか、志郎は綾乃を背後から優しく抱き締めてくる。

「…うん。ホント、ごめん。もう絶対、綾乃さんの気持ちを疑ったりしない。約束するよ」

 嬉しくて、涙がこぼれそうになる。あんなに辛い思いをしたのも、すべてこの時のためだったのかと何の根拠もなく思ってしまうほど。

「お詫びって訳じゃないけど、クリスマスイヴは夜空けておいて? 是非とも、連れていきたい所もあるし」

「え、平日だから家でディナーをご馳走しようと思ってたのに?」

 生徒たちは既に休みに入っている頃だが、教師、とくに志郎のように部活の顧問を受け持っている者、更に養護教諭である綾乃にとっては休みではない可能性が高いのだ。

 驚いて振り返ると、目に飛び込んでくるのは苦笑いしている志郎の顔。

「はは、そこまで貴女に負担をかけるつもりはないよ。とにかく、楽しみにしておいて」

「うん……」

 志郎の温かい腕と胸に全身をあずけながら、綾乃はそっと瞳を閉じた…………。




                     *     *




 そしてこちらは、おまけのお話。

 志郎に大輔と綾乃についての間違った情報を与えた生徒のひとりから、ひょんなことから情報を仕入れた遥子は、ひとり内心でほくそ笑んでいた。うまくすれば、遥子の恋路を何かと邪魔するあのにっくき綾乃から、幸せを奪ってやることができるのかも知れないのだから。

 情報によると、彼らが行動を起こすのはクリスマスイヴだという。しかしその日は平日なので、狙うならばその直前の祝日の前日しかない。だから、遥子はいつもと少し違って密着しなければ露出に気付きにくい服を着て────目標とつつがなく密着することさえできれば、その服の隙間から見える遥子の肢体に相手の視線は釘付けになるはずということを計算して、実にさりげなく目標とぶつかるふりをして密着して見せた。思った通り、目標の視線は遥子の豊かな胸元に釘付けとなり、「相談したいことが…」ともちかけたとたんあっさりと了承の意を示してみせた。

 その後は実に簡単だった。お洒落なバーで酒を酌み交わした後、「酔っちゃったみたい…」と相手にしな垂れかかれば、相手は断る術も抵抗する気力もなく遥子が誘導するままに近くのホテルへと一緒に入って、そして…。あとは遥子の手管に夢中になる、そのはずだった。しかし。

「……染井先生に…悪いことをしてしまったわ────」

 事が済んだ後、ようやく思い出したように罪悪感でいっぱい、といった表情で目を伏せて告げると、返ってきたのは夢にも思わなかった言葉。

「染井先生? どうして?」

 相手の平然とした声に愕然とする。

「だ、だって、貴方と染井先生は、そういう仲だって…!」

 内心で焦りながらも、外面は何とかそのままの素振りを保っていた遥子に投げかけられたのは、遥子にとってはまさに爆弾発言ともいえる言葉。

「いいえ、イヴにお誘いしたことはしたのですが、あっさりお断りされてしまいましてね。私は気楽な独り身ですから、どうぞご安心ください」

 そう言って、表情に一片の曇りすら浮かべずに相手────大輔は笑った。ワイシャツのボタンを留めた後は、椅子の背もたれにかけてあったスラックスを悠々と穿いて、ネクタイを軽く畳んでポケットにしまう。

「うそ……」

 それがほんとうなら、遥子の策略そのものが何の意味もなかったことになってしまう。それどころか、ヤられ損と言ってもいい。

「ここの代金は置いていきますから、どうぞごゆっくり支度をなさってからお帰りになってください。何ならお泊まりになっていかれても結構ですよ? ご自宅までお送りできなくて申し訳ないのですが」

 自分の内心に気付いていないのかと思っていた遥子だったが、その次にかけられた言葉で、大輔がすべて承知した上で遥子とそういう行為に及んだことに気付く。

「染井先生も魅力的だし、うまくこぎつけられればラッキーと思っていましたが、思わぬところからボタモチどころじゃない幸運がやってきてくれて、僥倖でした。おかげで最高に素敵な時間を過ごせましたよ、ありがとうございます」

「な…っ!」

「それではまた、学校でお会い致しましょう」

 パタン…と閉められたドアを前に、未だベッドで全裸のままだった遥子の頭の中は、まるで活火山のように瞬時に噴火した。

「あん…の糸目! 紳士ヅラしてひとのことバカにしてーっ!! クリスマスどころかいますぐにでも、どこかで病気もらってくればいいのよ、エロ教師──────!!

 と、決して他人のことを言えないような叫びと共に、枕を力いっぱいドアに向かって投げつける遥子の姿があった……。





      





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2014.8.27up

誤解も解けて、より深まったふたりの仲。
幸せいっぱいのクリスマスはもう目の前です。

そして遥子さん、策士策に溺れる、という言葉を贈ります()


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