〔14〕





 初めて逢った頃には、こんなに本気になるとは思っていなかった。

いつものように、ゲームでもするような感覚で楽しめればいいと思っていた。だけど、恋愛に不慣れな小娘のように、自分の言動に一喜一憂して可愛い反応を見せる彼女に、とらわれたのは自分のほうだった───────。

 外見が理想そのものだっただけでも既に予想外だったというのに、彼女の内面を知れば知るほど目が離せなくなって。気がついたら、彼女のすべて────現在も未来も、過去さえも────欲しいと願う自分がいた。彼女を過去傷つけた男さえ、八つ裂きにしてやりたいと願う自分まで。こんなにひとりの相手に執着したのは初めての経験で、明人自身でさえ自分をもてあますほど、彼女に心奪われていた。いまだ、心はおろか身体すら満足に手に入れていないというのに───────。

『明人、さん─────?』

 自分の名を呼ぶ時でさえまだ戸惑い気味の声すら愛しくて。何度その肢体をこの腕に抱き締める夢を見たか知れない。そうして目が覚めた時、不意に軽く感じる腕に一抹の虚しさすら覚えるのだ。まだロクに触れたこともない素肌に焦がれ、何度眠れぬ夜を過ごしたか。きっと彼女は夢にも思わないだろう。これでは十代の、ロクに女性を知らない少年と変わらないではないか。もう三十路も過ぎているというのに……そんな自分を自覚するたび、明人は自嘲の笑みを浮かべるしかない。

 身体を手に入れるだけなら、簡単だろう。彼女はその親友と違って、男性と付き合った経験があるわりに初心(ウブ)だから、明人のいままで培った手腕にあっさりとひっかかりすぐに落ちるだろうことは目に見えていた。けれど、それでは意味がないのだ。自分が欲しいのは、身体のみならず、心も伴った彼女のすべてだから。明人だけを欲しいと彼女が願わない限り、何度身体を重ねてみても同じことだったろうと思う。

 思えばこの二ヶ月強、よく我慢したものだと自分を褒めてやりたくなる。以前の支社にいた頃は、我慢をするまでもなく女性のほうからお誘いがかかったし、「据え膳食わぬは男の恥」がモットーだったから。適度に時間をおいて、適度につまみ食いをすることが日常だったから、常に満たされていたし欲求不満なんて感じる暇もなかった。もちろんそれは身体に限ったことだったが、それで不自由を感じるような精神状態でもなかった、あの頃は。

 けれど。今年の春、ようやくかなった故郷の支社への異動の末に、すべてが変わってしまった。凛子と、出逢ってしまったから───────。


 不思議な女性だった。初めは単なる恋のゲームを楽しむだけのつもりだった自分をどんどん変えていき、気付いたらまるで初めての恋に夢中になっている十代の少年のようにしてしまったのだから。その結果、すべてを悟っていたらしい彼女の親友には「ヘタレ」扱いをさんざんされてしまったが、それも楽しく思えるほど毎日が充実していた。身体ではなく、心が。

 けれど、変わったのは自分だけではなかった。あれほど頑なだった凛子の心も、明人の真心が通じたのか少しずつほぐれていき……とっておきの場所に連れていこうと思っていた自分の前に、いままでとはまるで違う姿をして現れた彼女を見た時は、よくその場で理性のタガが外れなかったものだと自分で自分を褒めてやりたいぐらいだった。軽口っぽく言ったが、ほんとうにそのままホテルに直行したいぐらい、その時の彼女は段違いに魅力的だったのだ。

「すご…い────。百合って……こんなに色がある花だったの? 知らなかった……すごく綺麗…………」

 綺麗なのは君のほうだと、何度そんな陳腐なセリフを言いかけたか知れない。口にしたところで、自分に自信が持てないらしい彼女はまるで本気にしなかっただろうけど。

「ありがとう……こんな、素敵なところに連れてきてくれて──────」

 信じられないぐらい素直にこの胸に飛び込んできた彼女の唇を、今度こそ満喫しようと思ったその瞬間、よりにもよってそんな時にあのガキどもに邪魔されるとは!!

 その後は怒涛の展開で、本家に連れていかれた凛子の緊張度合いは、見ていて可哀想なぐらいだった。こんな思いをさせたくなかったから、あえて連絡もせず人目につかない場所から花を眺めに来たというのに、あのガキどもときたら!! まあ、伯父や伯母、従兄弟たちもが加わって、何とか場を和ませてくれたからよかったものの……あのまま彼女を緊張させたままにするぐらいなら、早々にかっさらって別のところに河岸を変えるところだった。


『いいか、明人。嫁さんにするなら、薔薇みたいな女じゃなくて、百合みたいな女にしとけよ?』


 遺影を見た瞬間、幼い頃祖父によく言い聞かされた言葉がよみがえる。あの頃は意味がわからなくて、祖母の名前が「百合子」だったことから祖母のような女を嫁にしろということかと思っていたけれど─────いまなら祖父の言わんとしていたことがよくわかる。

 じーさん。見つけたよ、俺だけの百合の花を───────。

 凛子に本気で惚れたと自覚した時、明人は初めてその意味を理解した。返事の意をこめて、仏壇のリンを小さく鳴らす。

凛子が子どもたちに囲まれている頃、伯母にこっそり呼び出されて車のトランクに花束を入れられた時には驚いたが、いまにして思えばあれがよかったのかと思う。さすが女の勘とでもいうのか、何も話していないのに伯母にはすべてお見通しだったようだ。自分たちがあとほんのちょっとの後押しで先に進める状態だったということに────────。

 事実、あれで凛子の決心が固まったようだったから。

「もうひとつだけ、連れて行ってほしいところがあるの」

「それは構わないけど、いったいどこに…」

「──────貴方の部屋」

 彼女のほうから言い出すなんてあまりに信じられなくて、何度も訊き直してより一層恥ずかしい思いをさせてしまったことは、いまでも悪かったと思う。だけど、それぐらい信じられなかったから。顔を真っ赤にして俯く彼女は可愛い過ぎて、あやうくその場で押し倒すところだった。砕けかけた理性の欠片で何とかそれだけは阻止したけれど。

 いざその時になったとたん、怖気づいたように動きが止まってしまった彼女。ハッキリ聞いたことはないが、少なくとも一人か二人は男と付き合ったことがあっただろうに、まるで未経験の少女のように震える彼女が愛しくて、おどけたように抱き上げてベッドまで運んだ。彼女の緊張をほぐすために、素直に自分の本心を吐露すると、彼女が初めて「好き」と言葉で告げてくれた。その時の自分がどれほど天にも昇る気持ちだったか……彼女はきっと、知りもしないだろう。

 そして。

「は…あっ んっ!」

 いまこの腕の中に、夢にまで見た彼女がいる。自分の与える愛撫に、顔だけでなく全身の体温を常より明らかに上昇させて、可愛らしい声を上げながら応えてくれている。すぐにでも彼女の中に突入したがっている自身を抑えるのに、明人がどれほどの忍耐を強いられているか、きっと彼女は知らない。

 西尾に以前聞いた話では、

『はっきり本人に聞いた訳じゃないですけど…少なくともここ五、六年は男の影は見えなかったようですよ』

 だそうだから、生真面目な凛子のことだ、きっと自暴自棄になったとしても適当な誰かと一夜の過ちを犯すなどできるはずがないだろう。ということは、今夜はかなりの勇気を出して、その身を自分に差し出してくれたのだろう。そんな彼女に、もう二度と辛い思いなどさせたくはなかった。だから、自分の持てるすべての知識や手管をもって、ゆっくり彼女の身体を慣らしていくことから始めた。自分の欲望など、二の次だ。とはいえ、既に限界は近いのだけど。

「ふ、あ…っ」

 一度緩やかに高みに押し上げて、絶頂へと導いた彼女の呼吸が整うのを待って、声をかける。久しぶりとはいえ、彼女の中は既に熱く潤っていて、もうすっかり自分を受け容れる準備はできているように思えた。それでも一応、彼女の意思を確認するために問いかける。

「凛子…いい……?」

 自身はもはや暴発寸前といっていいほどだったけれど、何よりも大切なのは、彼女の気持ちだ。かつて彼女を傷つけた男と同じになど、死んでもなりたくなかった。

 まだどこかぼんやりとしたような光を瞳に浮かべていた凛子は、それでもハッキリと頷いて、それからゆっくりと両腕を明人へと伸ばして、みずからへと引き寄せてくる。

「きて──────」

 そんな、ささやくような言葉が聞こえた気がした。

 その後は、もう無我夢中だったと思う。最後の理性で何とか避妊具を装着して、これまでにないぐらいに慎重に、自身を凛子の中に沈めていった。その時、凛子の身が大きく震えた気がしたけれど、もう止めることはできなくて。すぐにでも暴れたがる自身を必死に御しながら、ゆっくりと行動を開始する。

予想はしていたが、それよりも遥かに彼女の中は狭く温かく、心地よさをもたらしてくれるものだった。ゆるゆると腰を動かすと、そのたびに凛子は敏感に反応して、少し辛そうな、けれどどこか甘さを含んだ声を洩らした。それを聞くたびに、背中にぞくぞくとした感覚が走り、すぐにでも激しく動きたくなるのを制するのが大変だった。そのうちに、こちらの心理をわかってくれているらしい凛子に、「構わないから、好きに動いて」と言われたとたん、理性は完全に決壊して、がっつくように激しく動き出してしまったことはいまでも恥ずかしく思う。初めて女と寝るガキでもあるまいに…。

それでも、切れ切れに聞こえてくる凛子の声に、快楽を感じているような響きも宿していたように思えたのは、自分だけの思い込みではないと…思いたい。自分だけでなく、彼女にもちゃんと快感を与えられていたのなら、よいのだけど。あまりに心配だったので、一度終わった後につい口に出して訊いてみたら、顔を真っ赤にした彼女に間髪入れずに枕をぶつけられたので、多分大丈夫だと思うけれど。

「…………」

 そう。何よりも待ちわびた時を迎えて、明人が一度で満足できるはずはなかった。彼女が以前付き合った男たちへの嫉妬はとりあえず脇に置いておいて、久しぶりとはいえ彼女にそれなりに経験があったからこそ、一度で終わらないで済んだことはラッキーだった。でなければ、このもう胸の内だけでは抑えきれなかった彼女への愛情が、どう暴走するかわからなかったから。

「えっ ま、またっ!? 嘘でしょ、もう無理…んっ」

 今日はもう何度目かわからない口づけを彼女に贈りながら、両手でそのやわらかな胸をもみしだき、硬くなり始めた先端を指先で弄ると、離した唇から可愛らしい声が洩れる。本気で惚れた女のそんな声を聞いて、誰が我慢できるというのだろう?

「ね、ねえ、冗談よねっ!?

「冗談? せっかく凛子のほうから俺の胸に飛び込んできてくれたこんな晩に、冗談でこんなこと言えると思う?」

 自分の股間で既に硬さを取り戻しつつあるソレに、凛子の手を取ってそっと導くと、明人の言葉がまぎれもなく本気であることを悟った凛子の顔が、赤いのか青いのかよくわからない顔色になったので、思わずくすりと笑ってしまう。

「ほら、ね?」

「『ほら』じゃないわよ、絶対無理っ 私、何年ぶりだと思ってるの!?

「大丈夫、優しくするから」

「大丈夫な訳…あ、んっ!」

 左手と唇、それに舌で両方の胸を愛撫しながら、右手を再び凛子の内股へと潜り込ませると、慌てて脚を閉じようとするけれどもう遅い。

「あ…っ やあ、ん、そ、そこは…っ」

「ん? ここがいいんだ?」

「ち、ちが…っ」

「ええか〜、ええか〜、ええのんか〜」

 以前テレビで見たギャグを真似た口調で言ってやると、耐えきれなかったらしい凛子が吹き出した。

「ちょ…ここでそのギャグは反則…きゃあっ」

 吹き出した拍子に力が抜けた隙に、中心へと手を伸ばし、先刻の行為で把握した凛子の感じるらしい箇所を重点的に攻める。

「あっ あっ んんっ」

 凛子の嬌声と蜜の潤い具合を頼りに、焦り過ぎないように慎重に、けれど確実にことを進めていく。さすがに二度目なだけあって、最初の時ほど自分も余裕がない訳ではなかったので、今度はゆっくりと、そのきめ細かい白い肌のところどころに口付けて、自分のものだという証しを刻んでいく。

 もう離さない。俺だけの凛子だ──────絶対誰にも渡したりしない。

 彼女の過去に嫉妬しないといえば嘘になるが、そんなことより彼女を傷つけたことに対する怒りのほうが大きい。お前たちが好き勝手に心を弄んで手放した女性が、どれだけ素晴らしい宝だったかということを、いつか絶対思い知らせてやる。その時どれだけ後悔して歯噛みしても、もう遅い。自分は彼女を二度と放す気はないのだから。

「あ、き…ひと、さ……」

 自分の身体の下で、呼吸を乱しながら凛子が自分の名前を呼ぶ。快楽と羞恥の狭間で揺れているのか、潤んでいる瞳と濡れたように光る唇にぞくぞくする。本能のままに唇を寄せてその唇を塞いでからより深く突き上げると、わずかに離れた唇の隙間から悲鳴に近い凛子の声が漏れた。

 これまで待たせてくれたお返しに、今夜はもう眠らせるつもりはなかった。これまで覚えていた以前の男のことなど、今夜すべて忘れてしまえ。凛子の許容量を超えるほどに、全部自分だけで埋め尽くしてやる。そんな決意を胸に、明人は持てるすべての手管を持って、凛子を貪り続けた。




                   *     *




 カーテンから漏れる、すっかり日が高くなった太陽の光のおかげで、凛子は目を覚ました。

……あら…? あんなとこに、あんなビルあったかしら…………。

 いくら目が悪いとはいえ、カーテンの隙間から見える窓の外のビルぐらいは判別できる。いつも自分のベッドから見える風景とは違うそれに、何となく違和感を覚える。ベッドに横たわったままぼんやりとしていると、窓と自分との間、要は自分のすぐ隣で黒っぽい何かが動いたのがわかって、ぎょっとする。薄い上掛けの中から見知った顔が出てこなかったら、あやうく小さく悲鳴を上げるところだった。

「──────おはよう」

 明人の、満面の笑顔。その瞬間、昨日の記憶がすべてよみがえって、一瞬のうちに顔が真っ赤に染まる。

「お…おはよう」

 恥ずかしくて顔を直視できなくて、凛子は上掛けの中にもぞもぞと顔を埋める。とてもではないが、昨日の今日でマトモに顔なんて見られそうにない。そんな凛子に不満を感じたのか、明人の頭が再び上掛けの中に潜ってきて凛子のすぐ目前にまでやってきたので、凛子は今度こそ小さな悲鳴を上げてしまった。

「ひどいなあ、化け物かい、俺は」

「ごめんなさい、だ、だって…!」

 謝りながらも反対側を向こうとする凛子だったが、すかさず明人の手に両手をとらわれて身動きがとれなくなってしまう。

「や、放して…」

「何で逃げるの」

 わかっているくせに問いかけてくる明人は意地悪だと凛子は思った。泣きそうになるのをこらえていたら、突然唇を奪われた。

「ん、んんっ」

 それと同時に身体に手を伸ばされてきたことに気付いて、何か言おうとするが、明人の唇に阻まれて言葉にできない。ようやく解放された時には、既に明人は凛子の身体にみずからの身をすり寄せていた。

「ちょ、ちょっと待って、こんな朝っぱらから…!」

「朝じゃないよ、どっちかというともう昼近いかな」

 そういえば、昨夜やっと眠れたのはもう丑三つ時をとっくに過ぎていた頃だったことを、凛子はこの時になって思い出す。

「じゃ、わたし朝昼ご飯作るからっ だから」

 いまは待ってと続けようとしたが、明人には通じなかった。

「うん。だから、まずは凛子から食べたい───────」

 そうして。目覚めの運動と言わんばかりに、しっかりとご賞味されてしまったのである………。



    





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2013.1.23up

ようやっとラブラブな時間に突入でございます。
長かったね、明人くん(笑)
でも手加減はするように。何せ相手は久しぶりですから。
と言っても、無理な相談でございました。合掌(凛子に向けて)。

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