それから二日ほど経って。逢いたい気持ちが抑えられなくなった慎吾は、亜衣子にメールで都合のいい時間を確認してから、電話で半ば強引にデートの約束をとりつけた。互いの大学はいまだ夏休みが続いているから、亜衣子の学校帰りに逢うことがまだできないので、自発的に約束をしなければなかなか逢えないのだ。
地元の映画館近くで待ち合わせをすることにして、必死で雑誌のおすすめスポットを読み漁るが────何しろいままでデートなどしたことがなかったから、女の子はどんなところに連れていけば喜ぶのか、さっぱりわからなかったのだ────どういうところがいいのかよくわからない。とりあえず、映画を観た後は適当に飲食店で食事を摂って、亜衣子の体力を気遣いながら近場の店を見て回ればよいだろうかと思いながら、前日の夜に実家に帰った慎吾は────映画館へは実家からのほうが近かったし、当日はできるだけ長く亜衣子と一緒にいたかったから、前夜から実家に帰ることにしていたのだ────リビングにいた両親に声をかけてその脇を通り過ぎようとしたのだが、一瞬いまいるはずのない人物の姿を見たような気がして、足を止めて再び中を覗き込んだ。両親の真向かいに座っていたその人物は、慎吾の視線に気付いてか、いつもと変わらぬ笑顔で声をかけてくる。その腕との膝の間に、見覚えのある厚手の冊子を抱え込みながら!
「あら慎ちゃん、お帰りなさーい。あの彼女って、合唱部だったのねえ、ちなみにパートはどこー?」
「み、みゆきさんっ!?」
みゆきが開いていたのは、高校の卒業アルバムの…部活紹介のページだったのだ!
「慎吾〜、可愛いコじゃないのー。三年間同じクラスだったんですって? 母さん、全然気付かなかったわあ」
高校じゃ、三者面談はともかく授業参観はないものねえ、とため息をつくのは、自分の母親で……。
「うむ、しかも控えめで礼儀正しい娘さんだと? 親御さんの教育がよろしかったんだろうなあ、いまどきなかなかおらんぞ、そんな娘さんは」
満足そうに頷くのは、父親。
「そういやさ、健ちゃんも言ってたけど、彼女と何かいいことあったの〜? 最近ずいぶんご機嫌だったらしいじゃな〜い?」
にやにやにや。ひとの悪い笑みを浮かべてみゆきが訊いてくるが、あまりにも唐突だったせいでとっさにポーカーフェイスを作ることができなかった。かーっと赤くなってしまう顔を隠すこともできず、慎吾は途方に暮れて立ち尽くしてしまう。
「な、何もないよっ」
即座に言い放つが、みゆきにはお見通しだろうと高坂は思う。昔から、このみゆきと母親にだけは勝てないのだ。
「ふうん? まあいいわ」
意外にもあっさりみゆきが退いたので、驚いたのは慎吾のほうだった。いつものみゆきなら、もっと食い下がってくるだろうに、いったい何がどうしたというのだろう? その謎は、すぐに解けた。
「慎吾〜っ この亜衣子ちゃん? うちに連れてきてよ〜。お母さん、こんな可愛らしいお嬢さんならぜひともお会いしたいわ〜。もうむさ苦しい息子たちには飽き飽きしてるのよー、お兄ちゃんと違ってあんたが初めて作った彼女なんだし、くれぐれもよろしくしておかなくちゃっ」
「しなくていいっ!」
亜衣子を紹介したくないとかそういう問題ではなく、まだ恥ずかしくて仕方ないのだ。そういうことが身内にバレるとここまで恥ずかしいということを、慎吾は初めて知った。祐真にバレたことを知った時の亜衣子の恥ずかしさを、いまさらながらに思い知った気がして、何となく罪悪感を覚えてしまう。
「何でよ〜、お母さんも亜衣子ちゃんに会いたーいっ みゆきちゃんだけ会ってるなんてズルいわようっっ」
「この頃よりずっと綺麗になってて、純情でホント可愛かったわよ、亜衣子ちゃん。慎ちゃん、おうちに連れて来なさいよ〜」
みゆきまで面白がって母親に加勢してくる。助けを求めるように父親を見るが、
「よそさまの大事な娘さんとお付き合いをするんだしな、くれぐれも我が家の愚息をよろしくとよく頼んでおかねばなるまい」
まるで助けにもならないことを口にしているのを見て、これはダメだと高坂は思わずにおれなかった。
「い、いつかそのうちなっ」
「いつかっていつ〜?」
「いつかはいつかだっての! とりあえずしばらくは俺たちのことは放っておいてくれよっっ」
言うだけ言って、慎吾は階段を駆け上がる。背後から母親とみゆきのブーイングが聞こえてくるが、もう知るものか。そうして階段の一番上まで上がりきったところで、兄の姿をみとめ、ほとんど反射的に恨みがましい目を向ける。
「…兄貴。あんまおふくろたちに、よけいなこと吹き込むなよ」
「よけいなことって? お前が彼女とピーッしたとかピーッしたとか?」
あまりにも直截的で、慎吾にはとても口にできないような単語を連発する兄の口を、「わあああっ!」と悲鳴にも似た叫びを上げて抑えつける。が、同じように長くスポーツをやってきた兄は力も慎吾と同じぐらいのものだったので、あっさりと手を振りほどかれて。
「その様子じゃ、ホント大した進展はしてないんだなあ。これやるから、まあ頑張れよ♪」
そう言って兄がポケットから出してきたのは、手のひらにすっぽり収まるほどの小さな四角形の物体……先日渡部からもらったものの中身と同じものだった。
ああもう、どいつもこいつもっ!!
そう慎吾が思ったとしても無理はなかろう。とにかく何とかしなければならないと思い────ポケットにでも入れておいて、万が一亜衣子の目の前で落としでもしたら、引かれるどころの騒ぎではないからだ────とりあえず自室の机の引き出しにしまっておく。掃除の際にでも母親に見つからないうちに、そのうちアパートの部屋に隠しておこうと思いながら…………。
次の日のデートは、慎吾にとっても幸せな初デートになった。記念に何かプレゼントでもしたかったけれど、遠慮深い亜衣子は何かを欲しがるような素振りも見せず、ほんとうに実用的な物を買うぐらいしかしなくて────それもとても記念にならないような消耗品などだ────結局自分のアパートの部屋の鍵がプレゼントになってしまったようなものだった。それでも、祐真にすら渡していないそれに亜衣子は喜んでくれたので、まあいいかと思う。とりあえず、服や他の日用品はともかく、下着だけは放置しないようにしようと誓いながら。
まさかその鍵を使って、自分の誕生日当日にあんなサプライズを仕掛けられているとは思わなかったけれど──────。
その時ばかりは、さすがに我慢できなくてほとんど本能のままに亜衣子の唇を奪ってしまった。自分も初めてだったけれど、亜衣子も初めてだとは思わなくて────漠然とそうではないかと思っていたが、まさかそんなことを直接本人に訊くことはできなくて、確信が持てなかったのだ────これまでの人生で一番嬉しいプレゼントになったことは、言うまでもない…………。
* * *
それから。
ふたりの付き合いは順調に進み────といってもそもそもふたりともそんなに積極的なほうでもなかったので、渡部や祐真に言わせれば亀の歩みといえるものだったけれど────夏休みが終わって学校が始まってからも、バイトを終えてアパートに帰ると亜衣子作の食事が用意されていたり、時折嬉しいことがあったりもした。何度かデートも重ね、毎日のように電話やメールをしたりして、そのたびに少しずつ親密度を深めていった。
互いに家族の「会わせろ」攻撃には辟易していたものの、何とかかわしつつ秋も過ぎ、季節は冬になろうとしていた。
やっぱり付き合って初めてのクリスマスだもんなあ。記念になるようなことしたいよなあ。
慎吾のほうから先に手を打っておかないと、亜衣子のことだからまたしても心尽くしの料理やケーキを用意してしまいそうで────もちろんそれが嫌な訳もなく、誕生日に続いて亜衣子にばかり負担をかけるのが嫌だったのだ────大学の友人におすすめのレストランを訊いてチェックしてみたり、女の子の好きそうな物を売っている店を覗いてみたり……さすがに後者は独りでは行きにくく、祐真と未唯菜に付き合ってもらったりもしたが。
「でもクリスマスですもんねー、ジュエリーなんてどうです?」
未唯菜に言われるまで、その発想がなかったことに気付く。
「そういうものなら長く使ってもらえますしねー。それにいつでも身につけていられて、好きなひとといつでも一緒にいるみたいで嬉しいじゃないですかー」
なるほど。女の子はそういう風に思うものなのか。慎吾自身、他の男子学生のようにピアスなどをつける習慣もなかったから、未唯菜の意見はとても参考になる。
「あ、でも指輪は今回はやめといたほうがいいですよ?」
「何で?」
これは祐真の疑問だ。
「だって亜衣子先輩、三月生まれでしょ? ならその時に誕生石…アクアマリンだったかな、それの指輪とか贈ったほうがいいと思うの」
「そういうものなのか?」
「そうですよー。女の子にとっては、クリスマスよりは誕生日のほうが比重が大きいと思うし。だってクリスマスはみんな平等に同じ日にやってくるけど、誕生日はある意味その人だけのものでしょ? どっちかというとそっちをメインにしてくれるほうが私なら嬉しいかなあ」
「未唯菜ちゃん、すげーっ」
「伊達に19年女やってません」
えっへんとでも言いたげに胸を張る未唯菜に、慎吾は目からウロコが落ちた気がした。
「指輪のサイズは私がさりげなく訊いておきますから、今回はそれに合わせた別のものとかどうでしょう? アクアマリンって水色っぽい色で、亜衣子先輩にぴったりだと思うんですよね〜」
やはり、本物の女の子に意見を聞くのは参考になるなあと思いつつ、慎吾はバイトが休みの日の学校帰り、亜衣子には何も言わず地元のジュエリーショップにやってきていた。大学の近くにはそういう店があまりないのと、「家の近くの店で買ったほうが、万が一壊れたりした時にアフターケアもしてもらいやすい」という未唯菜の助言に従った結果だった。男独りで行くにはかなり敷居が高かったが、慎吾を応対してくれた女性店員はかなり面倒見のよい若い女性で、事情を話すと非常に微笑ましいものを見る目になって、実に親身になって相談に乗ってくれた。揃いのものにするなら一緒に買ったほうがいいのはわかっているものの、懐事情的に厳しいかも知れないと危惧していた慎吾だったが、他の石と違いアクアマリンは比較的良心価格だと聞いて、男として少々情けないと思うが安心してしまった。世間一般的な感覚ならば、ちゃんと働いている社会人ならともかく、授業の合間にアルバイトをしている男子大学生としては、上出来なほうだといえるのだが。
そうして、揃いの指輪とネックレスを買って、それぞれ別に綺麗に包装してもらって店を出る。これを渡したら、亜衣子はいったいどんな顔をするだろう? 亜衣子のことだから恐縮してしまいそうな気もするが、それ以上に喜んでくれるといいなあと期待に胸をふくらませながら、アパートへと帰っていった……。
クリスマス数日前。事前にレストランの予約を済ませ────店のほうはレベル的にも価格的にも大学生が行くのにふさわしいところを、友人たちの意見を参考に決めた。ほとんどが大学に入ってからできた友人たちだったが、堅物で通っていた慎吾の初めての恋人とのクリスマスイブということで、皆温かい目で見守ってくれているのは、嬉しくもあり気恥ずかしくもあり────亜衣子には誕生日の時のように料理などは用意しないでいい旨をハッキリ伝え、イブ当日の約束を取り付ける。食事については亜衣子は少々困惑気味だったが、「地元でイルミネーションを見に行ってみたい場所があるから」と伝えると、すぐに納得してくれた。そんな素直なところも可愛いなあと思ってしまう。
そしてイブ当日。
「言っとくけど今日はラブホはどこもいっぱいだぞー」
「高坂にはアパートの部屋があんだから必要ないじゃん」
などとからかわれながら大学を後にして、まずはアパートへ向かって────もちろん友人たちの言葉を実行に移す準備をするためではなく、学校の荷物を置いて簡単に着替えを済ませるためだ。さすがにレストランには普段着ているようなラフな服でないもののほうがよいと思ったのだ────プレゼントを完全におさめられるバッグを持って再び部屋を出る。バイトは事前に休みをもらってあるし、約束の時間には余裕でまだ間に合うが、アパートで一人過ごすのも何となく落ち着かなかったのだ。
が、落ち着かなさ過ぎにもほどがあるだろうと、約束の時間までまだ30分もある待ち合わせ場所で、慎吾は思ってしまった。いくら何でも早過ぎると思い、そのへんのコンビニで適当に時間を潰そうかと歩み始めたところで、背後からかけられる声。女性の声だったが、亜衣子のものではないのはすぐにわかった。
「ねー、君一人ならさー、あたしたちと遊ばなーい?」
いかにもこれから遊びに行かんとしている若い女性たち────それでも慎吾よりは少々年上に見える。仕事帰りのOLあたりだろうか────だった。
「あー、悪いですけど待ち合わせなんで」
「せっかくのクリスマスイブなんだからさ、お友達も一緒に遊びに行こうよー」
しっかりきっぱり断ったにも関わらず、女性たちは諦めないで慎吾の腕にみずからの腕を絡めてくる。それよりも、待ち合わせの相手も男だと思っているような言い方に、慎吾は微妙に引っかかりを覚える。
俺はそんなに女に縁がなさそうに見えるのか!?
正確には「モテなさそう」というより「女性に対してストイック」なように見えるとは、後で訊いてみた渡部の答えだったりするのだが、この時の慎吾にわかるはずもない。さすがにしつこさに辟易して腕を振り払おうとした瞬間、細い腕が脇から伸びてきて、慎吾の腕から女性の手を引き離した。
「わ、私の大事なひとに勝手に触らないでくださいっっ」
いままで見たこともないほどに表情を険しくして────といっても、彼女の性格上迫力には欠けているけれど、普段の彼女を知る者だったなら驚くのは間違いなしなほどに頑張っているのがわかる、亜衣子だった。
「─────亜衣子」
そのまま空いた慎吾の腕にしがみついてくるのが、また可愛らしい。
「なあんだ、彼女持ちかあ」
「しゃーないなあ、行こ行こ」
勝手なことを言いながら去っていく女性たちを見送ってから、慎吾は眼下に視線を落として、優しい瞳と声で問いかける。
「……どうした? お前がそんなことするなんて、珍しいじゃないか」
普段の亜衣子は、よほどのことがない限り、誰かと諍いを起こしたりすることを望まない。そんな亜衣子が常になく表情を険しくして、しかも見知らぬ他人を相手にあれだけハッキリものを言うなんて。初めて見る新たな一面に、慎吾は驚きを隠せない。まだ自分の腕にしがみついたままの亜衣子の頭をもう片方の手で優しく撫でながら問いかけると、亜衣子は目に見えて気が抜けたように表情から力強さが消え失せて、普段以上に自信のなさそうな顔になって俯いてみせた。
「だ…だって……待ちきれなくて早く着き過ぎちゃったと思ってたら、他の女の人が……慎吾さんに触ってるの見たら…我慢できなくなっちゃったんだもの…………」
さっきの私…嫌な女、だったわよね……?
消え入りそうな声でそう続ける亜衣子は、ほんとうに可愛らしくて。普段以上に儚げな風情がまた、慎吾の中にいつも以上に庇護欲を駆り立てていることを、亜衣子はきっと知らないだろう。
「それ言ったら、女に助けられた俺はめちゃくちゃ情けない男ってことになるけど?」
敢えて淡々とした口調で答えると、亜衣子が慌てたように顔を上げて。
「そ、そんなことないっ 慎吾さんはいつも男らしくて、まっすぐ前を見てて……」
そこまで言ってから、楽しそうな顔をしている慎吾の真意に気付いて、拗ねたように頬をふくらませて手を放した。そんな仕草すら可愛く見えるのだから、自分はほんとうに亜衣子に惚れているのだなとつくづく実感する。
「冗談だよ。あれがもし逆の立場だったら、俺のほうがもっともっと嫉妬に狂って、さっきの亜衣子なんて目じゃないくらい見苦しいことしてたに決まってるんだから」
それは間違いなく本音。想いが通じ合ってからの自分ときたら、祐真以外の男が亜衣子に近付くだけでも嫌だと思うほど、いつでも嫉妬の炎に身を焦がしているのだ。亜衣子に知られたら間違いなく引かれる自信があるので決して口にはしないけれど。
「うそ…」
「嘘じゃないって」
亜衣子は自分に気に病ませないために慎吾が嘘を言っていると思っているのかも知れないなと、慎吾は思う。すべて、本心からの言葉なのに。
「さて、思ったより早く合流できたし、行こうか」
レストランの予約の時間にはまだ少し早いけれど、ゆっくりそのへんを見ながら行けば、ちょうどいいだろう。言いながら、すっとみずからの腕を差しだすと、亜衣子がきょとんとした顔で見返してきた。
「今日は人が多いからな。ちゃんとつかまってないと、はぐれちまうぞ?」
そう言ってやると、亜衣子にもようやく慎吾の意図がわかったようだ。ほのかに頬を染めながら、腕を絡めてくる様子が可愛らしい。やっぱり、亜衣子と他の女性は違うなとつくづく思う。先刻の女性に腕を絡められた時は苛立ちしか感じなかったが、亜衣子の時は幸福感しか込み上げてこない。ずっとこうしていたいとまで思えるほどだ。
ほぼ時間通りにレストランに着いて、何の躊躇いもなく入ろうとすると、亜衣子が焦ったように腕を引いてきたので、立ち止まって振り返る。
「どした?」
「今日はイルミネーションを見に行くんじゃなかったの? ここって何?」
「何って、レストランだけど。予約してあるから、席なら大丈夫だよ」
「き、聞いてないわよ!?」
「だって言ってないし」
言っているうちに楽しくなって、笑顔を浮かべながら答える。そう、この驚きようが見たかったのだ。自分の誕生日にはさんざんサプライズを仕掛けられていたから、今度は慎吾のほうが亜衣子を驚かせたくて。内緒でいろいろと考えていたのだ。
「いいから、入ろう。ちょうど時間だし」
肩に手をやって連れ立って入ると、亜衣子も観念したのか小さなため息をついてから共に席に着く。もともと落ち着いているほうの亜衣子のことだから、冷静にさえなれば立ち居振る舞いには問題はないだろうと思っていた慎吾の勘は当たっていたようで、作法も何の問題もなく食事を進めていく。
「…でも。一体いつの間に、こんなところ予約していたの?」
「大学の奴らに訊いて。一見高級そうだけど、お値段は意外とリーズナブルで、学生でも問題ないところなんだってさ」
そう答えたところで、亜衣子がようやくホッとしたように息をつきながら、みずからの胸をなで下ろしてみせた。この日のために用意したのか、今日の亜衣子は見たことのないピンクのワンピースを着ていて、それがまたよく似合っていて可愛らしい。
「よかったあ……慎吾さんのことだから、無理したんじゃないかと思って…」
そのへんについては否定できないのが自分でも悲しい。「お前って、『武士は食わねど高楊枝』を地でやりそうな奴だよな」と同級生他に言われたことも、一度や二度ではないからだ。
「大丈夫。亜衣子に関することで、無理はしないよ。だって、無理し過ぎて長く付き合っていけなくなったりしたら嫌じゃないか。ゆっくり、自分たちのペースで、一生そばにいられたらいいなと……俺は思ってる」
慎吾の言いたいことが通じたのだろう、亜衣子の頬も同じようにみるみる赤くなっていって……ウェイターが熱いコーヒーと共に冷たいデザートを持ってきてくれたので、ある意味クールダウンにはちょうどよかったかも知れない。
プロポーズをするのなら、ちゃんと就職して生活基盤を整えてからにするつもりだったけれど、とりあえず先のことまで考えていることは知っていてもらいたかったから。かなり遠回しではあるが、告げてみたのだ。世間はまだまだ不景気だし、普通に就職するだけでも厳しい昨今かも知れないけれど、亜衣子とそうなるためには努力を惜しまない覚悟はできているから─────まあ少々つい先刻告げた言葉と矛盾している気もしないでもないが、せめて亜衣子が不安な思いをしないように、それだけは伝えておきたかったのだ。
食事と軽い休憩を終えて、レストランを後にする。高坂に恥をかかせないためか、亜衣子は店を出たところで自分の分を出そうとしたが、
「前にも言っただろ、こういう時ぐらい、男にカッコつけさせてって」
そう答えて本心から笑ってみせると、渋々とだが亜衣子はそっとバッグに財布をしまって。
「ありがとう─────」
以前慎吾が言った、「『ごめん』より『ありがとう』が聞きたい」という言葉を覚えてくれているらしく、敢えてそういう風に表現してくれる亜衣子の気持ちが嬉しくて。つい、亜衣子の頭を優しく撫でてしまう。相変わらずのやわらかい髪の感触に、まんべんなく堪能したくなるが、街中だということに気付いて何とか自分を抑える。
そのままイルミネーションを見に駅前に行くと、亜衣子が駅に用があるというのでついていこうとした慎吾は、その手前で待っててほしいと言われてしまい、手持無沙汰な状態でベンチに腰を下ろした。バッグの中のプレゼントを確認して、亜衣子はどんな反応をするだろうと内心でいろいろ想像する。まず驚くだろう、その後は、喜んでくれるだろうか、それとも恐縮してしまう? そんなことを考えていた慎吾は、その後再び亜衣子にサプライズを仕掛けられ、自分が目論んでいた以上にみずからが驚かされることとなる…………。
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