祐真から電話があったのは、それから二日後のことだった。

『先輩、明後日の土曜ってバイトもガッコもないっスよね、暇っスか?』

「あ? まああいてるが」

『なら、一緒に鷹急ハイランドに行かないっスか?』

「鷹急ハイランド? ああ、最近新アトラクションができたとか何とか…」

『それがなかなか面白いらしいんスよ。行きましょうよ』

「たまにはいいか」

『そういや、前に誕生日にプレゼントした青いシャツって着てくれてます?』

「あ、悪い、まだ着てなかった」

『絶対似合うと思って買ってきたんスから、その時はそれ着てきてくださいよ、たのんますよ』

「へいへい、わかったよ」

 慎吾も祐真同様あまり着る物に頓着しないほうだが、他人の厚意を無碍にするのも気がひけるので、了承の意を返す。

『んで、時間なんスけど…』

 慎吾は、祐真と二人だけで行くものだと思って軽く考えていたから。この日、いったいどんな出来事が自分を待ち受けているのか、まるで知らないでいた…………。


 待ち合わせの場所の鷹急ハイランドの前は、さすがに土曜日だけあって人が多く、祐真の姿を探すのも一苦労であった。新アトラクションの影響だろうか? ようやく祐真の姿を見つけて歩み寄っていくと、その隣に先日バイト先に来た少女の姿があるのが目に入った。

 なに? 俺と二人で来るんじゃなかったのか? 俺独りあぶれさせて、てめーは女の子といちゃいちゃしようってのか?

 祐真のそばまで歩いていって、苛立ちのままに不機嫌丸出しの声で告げると、祐真の前に立っていた後ろ姿の女性が振り返った。見知らぬ人を不快にさせてしまったか?と慎吾が一瞬焦ったその前で驚きに目をみはった顔を見せたのは。誰よりも愛しく、できることなら一生守っていきたいと願っていた─────大切な相手。

「……笹野……?」

「高坂くん……?」

 数秒か、それとも数瞬か……互いの瞳を見つめ合った後、亜衣子はようやく現状に気付いたらしく、未唯菜と祐真に向き直る。

「ちょっと!? これどういうことなのっ!?

 いつもの亜衣子らしからぬ、姉として弟を叱る口調で亜衣子は祐真に詰め寄った。

「えー、だってテーマパークなんて、男同士で来ても面白くないじゃん」

 当の祐真は、けろっとして答える。

「だったら、あんたが未唯菜ちゃんとふたりで来たらよかったでしょう!? 何で私や高坂くんまで巻き込まれなきゃならないの!?

「だって、未唯菜ちゃんが……」

「え?」

 話をふられた未唯菜を見ると、未唯菜はその大きな瞳をうるうるとさせながら、亜衣子を見上げていた。

「だって…やっと亜衣子先輩に会えたから、亜衣子先輩と遊びたかったんです……高校時代はいつも部活のみんなと一緒で、全然プライベートでは遊べなかったから……私…私……っ」

「あっ ごめんね、未唯菜ちゃんを責めてるんじゃないのよっ ただ、事前に言ってくれたほうがよかったってだけで…っ」

 いまにも泣き出しそうな後輩を抱き締めながら、亜衣子は慌てて相手をなだめていたから、気付かなかったらしいが……。未唯菜が亜衣子と遊びたい気持ちは、まあわかる。自分たちの学年と祐真や未唯菜の学年は、一年しか高校では一緒に過ごせなかったから。男同士でテーマパークに来てもつまらないと思う気持ちも、わからんでもない。普通こういうところは、家族連れか恋人同士、もしくは女同士か男女混合グループで来るのが適していると思うから。だったら、亜衣子と未唯菜、もしくは祐真と未唯菜がそれぞれ別の機会に来ればいいことであって、慎吾と亜衣子がふたりにつきあって一緒に来る理由にはならない。亜衣子は後輩の涙のためか、さりげなく論点がすり替えられていることに気付いていない。見た目通りの明るいだけの少女ではないなと、慎吾は理屈ではなく感覚の部分で感じとっていた。

 けれど、慎吾はそう簡単にほだされはしない。あちらに直接手を出す訳にはいかないので、代わりに祐真の耳を指でつまんで持ち上げる。

「あっちの気持ちはまあわかるけどな。それで何で俺まで巻き込まれなきゃならないんだ?」

「いてっ 先輩、痛いっスよっ」

「痛くしてるんだから、当たり前だ。高校時代なら、打ち込み百本にランニング倍をプラスさせるところだぞ?」

 高校時代の部活のノリを思い出しながら告げているところで、目の端に亜衣子の心配そうな表情が見えて────とりあえず未唯菜との邂逅は終わったようだ────慌てて手を放す。いくら生意気なことをやってくれた後輩でも、亜衣子にとっては大事な弟だ。亜衣子の前であまり痛めつける訳にもいかない。亜衣子の表情がホッとしたようなものに変わるのを見て、慎吾も内心で胸を撫で下ろす。

「だって、先輩呼ばなかったら、姉ちゃんがあぶれちゃうじゃないっスか。それとも先輩は、姉ちゃんが全然知らない別の先輩とか呼んだほうがよかったとか? 少しでも姉ちゃんも楽しめるようにと配慮した結果なんスけど」

 痛いところを突かれて、慎吾は一瞬言葉に詰まる。こいつはもしかして、自分の気持ちをわかっていて言っているのか? 確かに他の男を呼ばれるぐらいだったら、多少気恥ずかしくても自分が同行するほうがいいに決まっている。たとえ亜衣子に他に好きな男がいたとしても、それぐらいは許されるだろうと思うから。

「と、とにかく、笹野も言ってた通り、そういうことなら事前に言えって言ってんだ。それなら、俺だって嫌とは言わないから。こういう騙しうちみたいなことはすんなっての」

 言いながら、既に未唯菜と身体を離していた亜衣子のほうをちらと見て、それからほとんど無表情で顔をそらしてしまう。とてもではないが、今日の亜衣子の姿は直視できないものだったから。

 いつもならもっと露出度の低い服を着ているのに、今日に限って胸元がわりとあいているキャミソールを着ていて────もちろん上着は着ているが、レース編みのように一部が模様のようになっていて、そのところどころの隙間から素肌がちらちらと見えて刺激が強い。しかもいつもより短めのスカートをはいているせいか、下を向くとすぐに綺麗な素足が視界に飛び込んできて……更にはいつもはおろしている髪を三つ編みにしているせいで────まあこれは邪魔にならないようにだろうが────白いうなじが丸見えで、もうどこを見ていいのかわからなくなってくる。生来控えめな性格の亜衣子のことだ、今日は女同士で遊ぶつもりでそういう格好にしたのだろうが、慎吾にとってはそういう格好は目の毒としか言いようがない。その上、本人には自覚はないだろうがスタイルも決して悪いほうではないから、先刻からちらちらと見知らぬ男たちが楽しそうに亜衣子と未唯菜を見比べているのに気付いて、どうにも面白くない。

「おい、祐真」

 女性陣に聞こえないような小さな声で、祐真を呼び寄せて。それから低い、半ば強制的な響きを宿す声で言いたかったことを告げる。

「今日は一日、絶対あっちのコから目を離すなよ。はぐれたりよその男に声をかけられたりしても、俺は一切関知できないからな。わかったか!?

 自分は今日は、きっと亜衣子から目を離すことはできないだろうから────自分でも矛盾していると思うが、はぐれたりよその男に声をかけられたりされることを考えたら、自分の理性を総動員して自制しているほうがよっぽどマシだと、慎吾は結論を出したのだ。

「わかってますよー。俺だって、よその男に持ってかれたくはないですもんよ」

 「俺だって」の部分が多少気になるが、この際とりあえずよしとしておこうと思い、そこからは普通のトーンの声に戻して、慎吾は切符売り場を指差した。

「そろそろ、中に入るか」

 祐真と半分ずつ出し合って、四人分のチケットを買うと、祐真が二枚分のチケットを差し出してきた。ほとんど無意識に受け取ってしまってから、その意図がわからずに首をかしげていると、祐真は未唯菜の目前へと歩いていく。ああ、そういうことかと思ってから、はたと気付く。ということは、自分から亜衣子へ渡せということだろうか!?

「全員分買っといたから」

 何気なさを装って渡そうとすると、彼女は慌てて自分の財布を出そうとする。「女なんだから奢ってもらって当然」という思考回路は彼女には存在しないらしく、もう少し甘えてくれて構わないのにと思いながら、「気にするな」とだけ告げる。

「えっ でも…!」

「まあ気にすんなって、姉ちゃん。俺たち、バイトしてるから小金持ち〜♪」

「深夜とか早朝とか、結構時給がいいからよくシフト入れてるんだ、俺たち」

 彼女に気を遣わせないように祐真に続いてフォローを入れるが、亜衣子はまだ納得しきれないようで。

「でも…二人の貴重な労働の上での報酬なのに、やっぱり悪いわ」

 ほんとうに、生真面目というか優しいというか……そんなところも、慎吾が好きな亜衣子の美点なのだけど。

「あっ じゃあさ、今度どっか行く時に未唯菜ちゃん、弁当作ってくんない?」

 祐真の口から飛び出した言葉に、おやと思う。以前は「彼女は友達だ」と言っていたのに……知らないうちに、恋心に発展していたのだろうか?

「高坂くんは…何がいい?」

 亜衣子に唐突に声をかけられて、ハッとする。見ると、頬を赤く染めた亜衣子が、恥ずかしそうに言葉を紡いでいて……そのあまりの愛らしさに、慎吾の頬も紅潮しそうになるのを、懸命に堪える。

「私にできることだったら何でもするけど……」

 未唯菜に便乗して簡単に済ませてしまわないあたりが、ほんとうに亜衣子らしい。半ば無意識に口元に笑みを浮かべながら、慎吾は答える。

「なら……俺も弁当がいいな」

「え」

「後で好物教えるから、おかずはそれにしてくれ」

 誰よりも愛しい彼女の手による、好きな物ばかりが入った手作り弁当────しかも味は既に保証済みだ────それ以上の至福が、この世に存在するだろうか? 否、ある訳がない。

「わかったわ。腕によりをかけちゃうから、期待してて」

 更に可愛い笑顔付きとくれば、男冥利に尽きるというものだろう。内心で、「よっしゃあっ!!」とガッツポーズをとってしまうが、それでも表面には決して出さないようにつとめる。

 ああもう、先に言ってくれた祐真に感謝だぜっ 嬉し過ぎて、俺もう鼻血出そうだ。

 かつて、剣道の試合で強敵に勝てた時でさえ、ここまで興奮したことはなかったかも知れない。それでも平静を装って彼女にチケットを渡して、祐真と共に先頭に立って中へと入っていく。

「さて。まず、何から乗る?」

「やっぱ新アトラクションでしょ、先輩。面白いって評判っスよ」

 祐真が答えたとたん、亜衣子の身体がぎくりと強張ったのを、慎吾は見逃さなかった。そうではないかと思っていたが、やはり亜衣子は絶叫系が苦手らしい。祐真との気性の差異から、半ば確信に近くそう思っていたので驚きはしない。

「ばっか、いきなりそんなハード系に行けるか。女の子もいるんだぞ」

 諭すように言うと、祐真は意外とあっさりと退いたので、よかったと思う。女性陣が園内の案内図を見に行ったのを追おうとしたところで、祐真からかけられる声。

「女の子って…可愛いっスよね〜」

「ああ」

「身内のひいき目かも知んないけど、うちの姉ちゃんも今日は結構可愛いと思わないっスか?」

「…ああ」

 ほとんど無意識に答えてしまってから、ハッとする。何を訊いてくるのだ、いったい!? 思わずそちらを見た慎吾に、祐真はそれ以上何も言わず、ニッと楽しそうに笑うだけだ。何やら嵌められたような気がするのは、決して気のせいではないだろう。「ところで」と、祐真が口を開く。

「慎吾せんぱーい、うちの姉貴を『笹野』って呼ぶのいい加減やめないっスかー? 俺も名字は『笹野』だから、時々自分のことかとドキッとすんですよね」

 今度はあっちの二人にも聞こえるほどの声で言い出したので、慎吾も今度は慎重に答えを返す。

「…じゃあ何て呼べってんだよ。『姉』『弟』って呼べってか?」

 どこぞの芸人相手じゃあるまいに。

「何でそうなるんスか。俺のこと『祐真』って呼んでんだから、『亜衣子』でいいじゃないっスか」

「なっ 何言ってんだよっ!!

 あまりにも予想外のことを言われて、不覚にも顔が真っ赤に染まってしまう。

「そうよ祐真、何言ってるのよっ」

 亜衣子も顔を真っ赤にして叫ぶが、彼女の場合、たとえ慎吾でない違う男だったとしてもそうなってしまうだろうと思うのに、反射的に嬉しくなってしまう単純な自分自身に、慎吾は内心で呆れ返ってしまう。

 『亜衣子』だなんて、呼べるはずないだろうが。逢えなかった間は時々、再会してからは結構な頻度で夢に現れる彼女を、そちらでは何の躊躇もなくそう呼んでいることはとりあえず置いておくことにして。何故なら、その夢の中の自分は、本人の前では口が裂けても言えないような行為を彼女にしてしまったりしているから─────万が一にも知られるような事態になってしまったら、軽蔑されるどころの騒ぎではない。

「な…何を言い出すんだろうな、あいつっっ」

「ね、ねえっ 高校に入った頃から、何を考えてるのかわからなくなっちゃって、あたしも困ってるのよ、ホントっ」


 どことなくしらじらしい気がしないでもない会話を、亜衣子と続けていたところで、かなり意外なことを言われて驚いてしまう。

「高坂くんて、いつもまっすぐで凛としてて……悩みなんて振り切って、前だけを見つめてる印象があったから」

 誰が? って俺が!? 彼女から見た俺は、そんな風に見えていたのか!? こんな、悩んで迷ってばかりで、ついでに言うと煩悩にまみれまくったこの俺が!?

「買い被り過ぎだよ。俺だって……悩んで迷って、自分が嫌で嫌でしょうがなくなる時もあるさ。だから……」

 誰よりも何よりも純粋な君に惹かれるのだと。続けてしまいそうになっていた自分に気付いて、慎吾は慌てて口をつぐむ。たとえ、自分のものになってくれなくてもいい。彼女が笑っていてくれるなら。幸せになってくれるなら─────それだけが自分の願いだというのに、無意識下に近いところでは、他の誰にも渡したくない、自分だけのものにして誰の目にも手にもふれさせたくないとまで考えてしまっている自分自身も確かに存在していて、慎吾を悩ませる。

 突然黙りこくってしまった慎吾を不思議そうに見上げる亜衣子の瞳は純真無垢そのもので、とてもまっすぐその目を見返すことができなくて、少々不自然に目をそらしたところで、かけられる声。

「おーいっ 姉ちゃん、慎吾せんぱーいっ」

「行こう」

 亜衣子を促して、ずいぶん先へと行ってしまっていた祐真と未唯菜を追いかける。つい先刻のやりとりなどすっかり忘れてしまったかのような亜衣子の様子に、安堵の息をもらしながら……。




    


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2012.12.21up

祐真と未唯菜にしてやられた、予想外のWデート。
むっつりすけべ(笑)の慎吾は、
最後までポーカーフェイスを保つことができるか!?(大笑)


背景素材「tricot」さま