『Sweet Lovers』こぼれ話





「だーかーらー、こっちのがバランスがいいって言ってるだろ
!?

「それはわかってるけど、女性にはこっちのほうが受けがいいって、何度も言ってるじゃない!!

 二枚の紙に描かれたスイーツの完成予想図を前に、この洋菓子店『アリス』の従業員である桐野と瀬川が、互いに一歩も譲らない攻防戦を繰り広げていた。ちなみに店長の本田拓は、ふたりの間に挟まれて、その気迫に完全にのまれまくっている。容貌的にも三人の中でもっとも強面で、立場的にも一番強い権限を持つ人物だというのに、だ。

「な、なあ、ふたりとも落ち着いて……」

「店長は黙っててくださいっ!!

「……はい」

 その大きな身体をこれ以上ないというほどに小さく丸めて後ろを向いて、携帯の待ち受けになっている笑顔の恋人に向かって、ぽつりと語りかける。

「……蘭子さん。俺店長なのに、ふたりが怖いよー」

 恋人である蘭子が聞いたら、「情けないわねっ」と叱咤激励しそうなほどのダメダメっぷりだ。まあそれがふたりの性格なのだから、仕方ないというべきか。

 それが、三人のいつもの日常だったりしたのだが。

 定休日前日の仕事帰り、買い物を済ませてそろそろ帰路につこうかとしていた瀬川は、街中の噴水の縁でぼんやりと座り込んでいる桐野を見つけた。どうしてこんなとこにいるのだろう? 疑問を胸に近づいていく。桐野は今日、付き合って三ヵ月になる彼女とデートだと言っていたと思っていたが……。

「桐野くん。何やってんの?」

「…あー。瀬川かー……」

 緩慢に顔を上げる桐野の顔つきからは、終業時にはあった輝きがまったく感じられない。

「フラレちったー……やっぱ土日休みじゃない男なんて、やだってさ…」

 はは…と笑うが、その表情にも声にもやはり力がない。

「そう……」

 何と言ってやったらいいかわからずに、そっと桐野の隣に腰を下ろす。土日が休みでないことから生じる弊害は、瀬川にも心当たりがあったからだ。

「男でパティシエやってんのも嫌だったみたいでさ。『友達の彼氏はスーツ着てカッコいいのに』って、言われちったよ……」

 これには瀬川も俄然腹が立った。

「何よ、その女っ! 男でパティシエのどこがカッコ悪いのよっ!? 世界的に有名な人だってたくさんいるじゃないのっ パリッとした白衣だってカッコいいじゃないのっ そんなこと言う女なんて、別れて正解よっ!!

 そう。それは瀬川の偽らざる本音。学校に行っていた頃だって同年代に何人もパティシエ志望の男子はいたし、みんなでスイーツの味比べをしているのだってほんとうに楽しかった。男女の区別もなくできる職業はたくさんあるのだと、瀬川はその頃からずっと思っていた。

「…ホントにそう思う?」

「思う思う。同業者の欲目ってだけじゃないわよ、蘭子さんみたいな女性だっているじゃない。その女の器が小さ過ぎたってだけよ、気にすることないわ」

 そう言ってやると、桐野の表情が少し明るくなったような気がして、ホッとする。桐野の元気のないところなんて、見たくないのだ。いつだって明るくて、いつだって自分と対等にやりあっていてくれないと、淋しくて仕方がない。

「ほんじゃさ。ちょっと慰めてくんない?」

「えっ!?

 その言葉にどきりとして思わずそちらを向くと、桐野は二枚の長方形の紙片をちらちらと見せてきた。

「こないだ始まった恋愛映画の前売り券なんだけど、彼女と行こうと思ってたのにこうなっちゃったからさ。休みだし、明日にでも一緒に行ってくんない?」

 ああ何だ、そういうことか。

「いいわよ。明日なら、あたしも空いてるから」

「よかった。んじゃ、明日の10時くらいにここでいいか?」

「うん。あ、あたし、そろそろ帰らなきゃ」

「あ、送ってくよ」

「いいわよ、傷心の人はさっさとおうちに帰って寝ちゃいなさい」

 瀬川の発した言葉に、桐野が小さく呻いて胸をおさえた。

「じゃ、また明日ね」

 桐野と別れ、ひとり歩きながら瀬川は思う。何で自分はこう、可愛くないことしか言えないのだろう? ほんとうはもっと、拓と蘭子のように仲良くしたいのに。自分の気の強さがとことん嫌になってくる。もう少し…そう、ほんとうに少しでいいから素直になりたいと。家路を急ぎながら、瀬川は心からそう思った。


 そして翌日。桐野の趣味か元の彼女の趣味かはわからないけれど、件の映画はなかなか感動できるいい映画で。その上桐野のおすすめだというお店での昼食も美味しくて、瀬川はすっかり上機嫌になってしまった。自分でも、単純だと思うけれど。

「あー、美味しかった♪ 桐野くん、いいお店知ってるのね」

 楽しく思う心のままに笑顔で告げると、桐野は少々驚いたような顔で瀬川を見返していて。瀬川は何となく、居心地の悪い気分を味わってしまう。

「な、なに? あたしの顔に何かついてる?」

「あ、いや。お前も素直にしてれば結構可愛いなーと思って。いつもはクールだったり、でなきゃ議論かましてっから気付かなかったけど、いつもそうしてたら俺とっくに惚れてたかもなー」

 …冗談だと、わかってはいる。もちろん、わかっているのに。頬が、かあっと赤くなってしまうのは、止められなくて……。桐野の顔が更に驚愕に彩られているのも、気が付いているのに──────!

「……瀬川?」

「う、うるさいうるさい、こっち見んじゃないわよっ!」

 とっさに背を向けて叫ぶが、効果はなくて。

「せーがわっ」

 瀬川の前に回り込んできた桐野がめちゃくちゃ楽しそうに名前を呼んでくるので、またもや回れ右をするが、またしても回り込まれるので堂々巡りで…。

「せーがわっ お前ホント可愛いな♪」

「うるさい、黙りなさいっっ」

 キツい口調で叱ってみても、止まらない。

 にこにこにこ。何だか幸せそうな顔をしている桐野に、本来だったら喜びを感じるところだろうけれど、瀬川の心を占めるのは羞恥ただ一色で。もう、どうしていいのかわからなくなってしまった…………。

 それからというもの。

「瀬川ー、パウンドケーキの型取ってくんね?」

「はいはーい」

 型を手に取って瀬川がくるりと振り返ると、実に楽しそうな桐野の顔が目に入った。

「…何よ」

「んー? いや、素直で可愛いなあと思って」

 桐野の頭に、瀬川が放った型が命中した。

「き、桐野、大丈夫かっ!?

 拓が慌てふためいて訊くが、桐野は笑顔のままだ。

「あははー、店長ー、ツンデレも可愛いもんっスねえ」

「まだ言うかっ」

 二個目の型が再び桐野の頭に命中する。拓は青ざめるが、それでも桐野は笑顔のままだ。

何だかんだ言って、うまくいっているようであった…………。



〔終〕




  




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2013.2.1up

こちらもうまくおさまった…のかな?
瀬川さんが折れるまで桐野くんの身体がもつのでしょうか(笑)

背景素材「空に咲く花」さま