──────人は、自分にないものを持っているひとに惹かれることが多いそうで……。
20××年秋。K警察署少年課に勤める本橋茜は、職場の当番である日の22時も過ぎた頃、市内の繁華街のゲームセンターを見回っていた。平日だというのに、明らかに中高校生にしか見えないような少年たちが、ゲームに興じている。そんな少年たちに向かって、迷わず歩み寄ろうとしていた茜は、突然背後から肩をたたかれて、驚いて振り返ってしまう。そこに立っていたのは、高校時代の二年後輩である服部直人。剣道部という体育会系の部活のわりに頭脳明晰で理論派という珍しいタイプだったので、印象深い相手だった。
「服部…? こんな時間に未成年が何やってるのさ、さっさと帰りな」
素っ気なく言い放つと、服部はまるで気にしていないような笑顔で答えてみせる。
「あれ、ご存知ありませんでした? 僕は四月生まれなので、とうに成人していますよ」
「なら、いいけどさ。いまあたしは忙しいんだよ、あんたの相手をしてる暇はないんだ」
「はいはい。先輩のお邪魔はしませんよ」
服部の言葉を聞き終えるより早く、再び服部に背を向けて茜は歩き始める。職務を全うするために。
「ちょっと、あんたたち」
茜が声をかけると、少年たちはちらとこちらを一瞥しただけで、すぐにゲーム画面に視線を戻した。予想内の反応とはいえ、毎度毎度腹が立つ反応だ。
「市の条例ではさ、18歳未満は夜10時過ぎたらこういうところへの出入りは禁止されてんだけど。知ってる?」
「だから何だよ」
「だからさっさとおうちに帰んなって言ってんの。わかる?」
「てめーにゃカンケーねーだろ」
ここで茜の中で何かが切れかけるが、必死の思いで平常を保つ。
「カンケーあんのよ。こっちゃ警察官なんでね。そういうのを見て見ぬ振りはできない訳」
その言葉を聞いた瞬間、ゲームをやっていた当人たち以外の少年たちが立ち上がり、茜の前に立ちはだかった。中高生とはいえ男だ、茜も女性にしては背が高いほうだが、それと同じくらいか少し高いぐらいの身長で威圧してくる。もっともそんなことでビビるような茜ではなかったが。
「女独りで何ができるってんだよ。痛い目に遭いたくなかったら、あんたのほうがとっとと帰ったほうが身のためだぜ?」
どっと起こる嘲笑。女だからとなめられるのは慣れているが、やはりあまり気分のいいものではないなと茜は思う。
「ガキが粋がってんじゃねーっての。学校ぐらいしか社会を知らないようなひよっこが、数に頼って大口たたくんじゃねーよ」
「何だとうっ!?」
案の定、ちょっとした挑発だけで頭に血が上る子どものくせに、言うことと弱い者に粋がるのだけは一人前だ。とたんにいきりたつ連中を前に、茜は心身ともに準備を整える。ただで済むとは初めから思っていなかったから、想定内のことだ。そのとたん、どこからか聞こえてくる鋭い声。
「先輩、後ろっ!」
聞き覚えのある声に身体が勝手に反応して、とっさに脇に避けたところで、それまで茜がいた位置で空を切る椅子。
「女相手、しかも多勢に無勢の状況で、とどめに不意打ちに凶器攻撃かよ。てめーら、それでも男かよ。幼稚園から教育し直してもらったほうがいいんじゃねーの?」
「このアマっ!!」
そこで茜に再びかけられる声。
「先輩、これって正当防衛の域に入りますよね?」
「完璧その範疇だね」
答えると同時に、差し出される長い柄のついたモップ。見ると、隣に立つ服部の手にも同じものが握られている。このゲーセンの掃除用具入れから取ってきたものらしい。
「さあ。いくらでもかかってきなよ。その腐った根性、とことん叩き直してやるからさ」
にっこりと挑発的な笑みをたたえて言ってやると、少年たちがとたんに咆哮を上げて襲い掛かってくるが、三年間もの厳しい鍛錬に耐えてきたふたりの敵ではなかった。
それから数時間後。事情聴取を終えた服部と共に────ちなみに服部は、茜と自分の防衛に終始していて自発的に手は出さなかったので、正当防衛以上のことには問われなかった────茜は職場を後にした。当然のことながらふたりは無傷で、傷、といっても軽傷を負ったのは、主に少年たちのほうであった。
「悪かったね、あたしの仕事なのに巻き込んじゃって」
「いえいえ。最近の子どもは、ろくに考えることもせずにすぐ実力行使に走りますからね、嘆かわしい」
つい最近成人したばかりで、お前も大して変わらない歳だろうと茜は思ったが、手助けもしてもらったことだし、いまは言わずにおいた。
「ずいぶん遅くなっちったなあ、お腹すかない?」
「言われてみれば、すきましたね」
「奢るから、何か食べに行こうよ。いまじゃ、吉牛くらいしか開いてないかもだけどさ」
「若い男女が行くにはちと色気が足りませんが……まあ、僕ららしいといえばらしいですか。ああ、唐突で申し訳ないですが、本橋先輩には恋人とかはいらっしゃるんですか?」
「ホントに唐突だね……」
驚きながらも、質問にはきっちり答えてしまうあたりが茜らしいが。
「いないよ、そんなん。まだまだ色恋沙汰には興味なくてね。あおいなんかは白バイ隊の先輩にずっと片想いしてるみたいだけどさ」
あおい本人は何も言わないが、彼女の視線を追ってみれば、すぐにわかる。伊達に何年も親友をやっていない。
「そうですか……」
数秒黙り込んだ服部を不思議に思いながら振り返ると、いつも嫌味なくらい余裕をたたえている服部にしては珍しく、余裕のない表情をしているように見えた。
「どうしたんだよ、珍しい顔して」
「いや…高坂先輩のことを笑えないなと思いまして」
ここで何故いきなり高坂の名が出る? 茜には本気でわからない。
「僕も、まさか自分がここまで鈍いとは思ってませんでしたよ─────数年越しの恋、なんて」
確かに高坂は、五年間ずっと同じ少女を想い続けて、つい最近、ようやくその相手もずっと彼のことを好きだったことがわかって、皆で祝いの席を設けたばかりだが……服部が何を言いたいのか、さっぱりわからない。
「あんたさっきから何言ってんの? 全然意味がわかんないんだけど」
「…そうですね。僕でさえつい最近再会してから気付いたばかりだというのに、他の人にはもっとわかりませんよね」
「は? もしかしてあんた、あおいのことが好きだった訳? ご愁傷さま」
高坂ではないが、あおいも一度好きになった相手は一途に想い続ける純情の持ち主なのだ、いまさら他の男の入る余地もないだろう。そう思いながら、服部に再び背を向けて手をひらひらと振った茜は、突然背後からぐいと肩を掴まれて引き寄せられて、驚いてしまう。
「な…!?」
文句を言う前に、その言葉は永遠に出口を失った。みずからの唇をしっかりと塞いでいた、服部の唇によって!
「…………」
眼前にあった、瞳を閉じていた服部の顔が離れ、元の余裕綽々な態度を彼が見せ始めても、完全に思考を停止した茜の頭は働く気配も見せなくて…………。
「先輩もご存知の通り、僕はやると決めたら、あらゆる手を尽くしてやり遂げてみせますから。先輩に他に本気で好きな相手ができない限りと法に触れない限りは、どんな手を使ってでも先輩をモノにしますから、覚悟しておいてくださいね?」
そう言って笑う服部は、以前から見慣れた彼の平常の態度で……この時になって、茜はたったいま自分に起こった出来事のすべてをようやく理解した。
「な…っ 勝手なことばっか言ってんじゃねえぞ、てめえっ! 無断でひとの初めてを奪っといて、その言い草は何だ、後輩のくせにっ!!」
「あ、初めてだったんですか? それはラッキー♪」
「ふざけたこと言ってんじゃねえっ 誰がお前なんか好きになるかっ!」
深夜だということも忘れ、怒りのままに叫んでみるが、服部はまるで堪えている様子はない。
「はいはい。そういう相手を前にした時ほど僕が燃えるタイプだということも、思い出してもらえると嬉しいですね」
「なら、あたしがどんな強敵相手でも絶対に諦めないタイプだってことも、思い出せよな」
「どっちが折れるか、根比べですね。楽しみです」
「そういやてめえにゃ、高坂の賭けの件でもオイシイとこを全部持ってかれてたんだよな……それも忘れたとは言わせねえぞっっ」
「ああ、ならあの儲けで、そのうち寿司でも奢らせていただきましょうか。確かお好きでしたよね? もちろん、回らないものですよ」
空腹も手伝って、頭で考えていることとは別に茜の喉がごくりと鳴った。自分でも単純だと思うが、この状態で大好物の名を出されてこうならない人間がいるだろうか? いいやいる訳がないと茜は思う。
「そっちがそう言うならもちろん奢られてやるけど、それとこれとは別だからなっ」
「はいはい、わかってますよ」
「あたしの唇は高くつくからなっ 覚悟しとけよっっ」
「はいはい。重々、承知してますよ」
もうほとんど寿司のことで頭がいっぱいの茜と、心底楽しそうな服部。ふたりの今後は、まだ誰にもわからない…………。
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