──────いまから思えば、最初から好きになっていた気がする。




『藤原さん…だっけ? その髪って地毛なの?』

 入学して二日目の高校の教室で、突然かけられた声にどきりとしながら振り返る。イギリス人の祖母と日本人の祖父との間に生まれた父を持つ藤原未唯菜は、そのどことなく日本人離れした容姿のせいで、幼い頃からいわれのないいじめや中傷などに遭うことも多かったから。いつの間にか、容姿のことを言われること自体が苦手になっていたのだ。

 そこに立っていたのは、いかにも日本人らしい真っ黒でまっすぐな髪の少年。確か…笹野祐真という名のクラスメートだったか。

『そ…そうだけど』

 彼ぐらいいかにも日本人、という容姿だったなら、自分もこんな風にはならなかっただろうなと思ったとたん、お互い何も知らない彼のことすらいきなり嫌いになりそうになってしまう。そんなことはよくないことだと、自分でもわかっているのに。

『ふわふわで、すっごい可愛いよな。陽に透けると茶色っつーか金色っつーかすごい綺麗な色に輝いてさ。俺も俺の姉ちゃんもこんな面白味のない髪だからさ、天然でそれってすげー羨ましい。いつだったか絵画で見た、天使みたいだ』

『……っ!』

 そんなこと、男の子に言われたのは初めてだった。それも、こんなにまったく照れもせずに、まるで本気でそう思っているかのようにまっすぐな瞳でなんて!

『笹野〜。お前よくそんなこっぱずかしいこと平気で言えるなあ。聞いてるこっちのほうが照れちまうぜ』

 他のクラスメートの少年が、かすかに頬を染めながら彼に言う。そう、普通の男の子ならそういう反応を見せるものだ。

『そうか? だってホントにそう思うんだから、何も恥ずかしくないけどな』

『やっぱ姉ちゃんがいると、そういうこと言えるようになるのか?』

『いや、どっちかって言うと母ちゃんかな。うちの親父すげー照れ屋で滅多に愛情表現なんかしないんだけど、その分母ちゃんの「好き好き」攻撃がすごいから。姉ちゃんは中身は完全親父似だと思うけどな』

『笹野くん、お姉さんいるの?』

『うん、顔とか容姿はすげー似てるって言われる。性格は真逆に近いと思うけど』

『そうなんだ……』

 こんな、まっすぐで優しい男の子のお姉さんなら、きっと素敵なひとに違いないと思ったから、会ってみたいと素直に思えた。その後、何も知らずに女友達と共に入った合唱部で、予想もしないうちに出会えるなんて思ってもみなかったけれど。

『藤原…未唯菜ちゃんていうの? 本人と一緒で、可愛いお名前ね』

 そう言って微笑んでくれた初めて会った亜衣子は、思っていた以上に綺麗なひとで……確かに祐真とよく似てはいたが、女性らしいやわらかさや優しさをすべて持ち合わせた、祐真に負けないぐらい素敵なひとだった。

『えっ 祐真と同じクラスなの? あの子騒がしいから、いろいろ迷惑かけているんじゃない? 何かあったらすぐ私に言ってね、がっつり叱っておくから』

 和風でたおやかな亜衣子は、未唯菜が幼い頃から憧れ続けていた大和撫子そのもので……未唯菜はその日一日だけで、完全にファンになってしまった。その思いは、のちに姉のように慕うほどの強いものに変化していくのだけど。だからこそ、亜衣子の長い片想いを知った時────のちに剣道部に入部して高坂を慕い始めた祐真からもたらされた情報によって、ふたりがほんとうは両想いであることを知るのだけれど────未唯菜は自分にできるすべてをもって、応援しようと思ったのだ。

 そうして、そんな未唯菜や祐真の努力の甲斐もあって、その三年後、ふたりはやっと想いが通じ合って結ばれることとなった。その時は、あまりにも嬉し過ぎて思わず泣いてしまったほどだ。一緒にいた祐真をえらく慌てさせてしまったことは、いまでも申し訳ないと思うけれど、亜衣子の切ない想いを知っていた身としては────剣道部の練習を見学している時の亜衣子の瞳は、いつだって高坂ただひとりだけに向けられていて、どうしたらここまでひとりのひとを想えるのか知りたいぐらいだったから────どうしても止められなかったのだ。


 そしていま。亜衣子と高坂の橋渡しをする必要もなくなって、大学二年となったふたりはとくに会ったり電話をする用事もあまりなく、微妙に距離が離れた日々を送っていた。

 電話…したいな。声が聴きたいな。用もないのに会いにいったら……やっぱり変だよね。

 亜衣子と高坂が結ばれるまでは、ちょくちょく会ったり電話をしたりしていたから、物足りなくなっているだけだとも思うけれど、それだけではないような気もどこかでしていて……。祐真以外にも男友達はいるし、会ったり電話もしているのに。自分でも、自分の気持ちがわからなくなっていた。

「未唯菜ちゃん? 食が進んでないようだけど、どうかしたの?」

 昼時の大学の食堂で、何となくひとりで昼食を摂っていた未唯菜に、かけられる声。しばし前まで、思考の大半を占めていた亜衣子本人だった。その右手の薬指には、高坂から贈られた彼女の誕生石のアクアマリンの指輪が光っている。現在は服で隠れている胸元には、それとお揃いで買ったというネックレスがかかっているであろうことが、訊かずとも確信できた。

 亜衣子は未唯菜の正面の席にトレイを置いて、そっと腰を下ろす。亜衣子の同級生の玲美と佳苗も一緒だったが、気を利かせてくれたらしく、離れた別の席に座ったのが見えた。

「何か悩み事があるなら、私でよかったら相談に乗るわよ? 恋愛関係については、あまり当てにならないかも知れないけど……」

 後半は気恥ずかしそうに言ったのは、亜衣子自身、五年間も遠回りをしていたという自覚があるからだろう。未唯菜にしてみれば、このふたりにとってあの五年間は、互いに自分の想いを確かめ合うために必要な時間だったようにも、いまとなっては思えるのだけど。

「……ねえ、亜衣子先輩」

「なあに?」

「必要がないのに会いたいとか……声が聴きたいとか、そんな気持ちって何だと思います?」

「そうねえ……」

 言いながら、亜衣子は真面目な顔をして考え込む。そんな他愛のない質問でも、いつでも真剣に考えてくれる亜衣子のことが、未唯菜は大好きだった。

「細かい事情はわからないからハッキリ言えないけど……それはやっぱり、友情以上の感情だと思うわよ。相手が男性か女性かで、恋愛感情なのか別の深い愛情なのかは分かれると思うけど」

「亜衣子先輩も……高坂先輩に対してそうでした?」

 その名を出したとたん、目に見えて顔を紅潮させていく亜衣子が、年上ながら可愛くて仕方がない。

「……ええ…………」

 その答えを聞いた瞬間、未唯菜の心の中で立ち込めていた霧が、一瞬晴れた気がした。そうして思い出す。自分が、そんな風に難しく考えるのに向いていない人間だということを。

「ありがとうございます! 先輩のおかげで、答えが見付かった気がします。だからあたし、これから行ってきます、そのひとのところに」

 言うが早いか、未唯菜は勢いよく席から立ち上がっていた。

「え、そう? お役に立てたのなら嬉しいけど」

「すっごい参考になりましたっ やっぱりあたし、亜衣子先輩のこと大好きですっ 本人も、まったく同じ血をひくひとのことも!」

 言うだけ言って、トレイをさっさと片付けて未唯菜は走り出していたから。自分の言い残した言葉の意味を正確に理解した亜衣子が、パニックを起こして発している声も、既に聞こえてはいなかった……。


 ほとんど小走りで駅に向かって電車に乗って、乗り降りにすっかり慣れたY大の最寄りの駅で降りてすぐに、携帯で電話をかけ始める。目当ての相手は大学でもバイトでもなかったらしく、わずかな間を置いてすぐに出た。

「あ、祐真くん? 私、未唯菜。ちょっと用があるんだけど、いまどこにいるの?」

 そうしてすぐにアパートにいる旨を聞きだして、そちらに向かう。見慣れたドアをノックすると、待ち構えていたのかすぐにドアが開いて、久しぶりに見る顔が姿を見せた。

「いったいどうしたのさ? こんな急に」

「あのね、私もすごい急だと思うんだけどね、気付いちゃったの」

「何に?」

「あのね、私ね、祐真くんのこと……」

 そこまで言いかけたとたん、祐真にそっと唇に指をあてられて、つい黙り込んでしまう。もしかして…迷惑だったのだろうかと気持ちが沈みかけた瞬間、急に手首を掴まれて中へと引き込まれて……ぱたん、と背後でドアが閉まる音。

「あ、あのさ。慎吾先輩も言ってたけど、俺も女の子から言わせるなんて男として情けないことしたくないんだよね。だから、自分でも勝手だと思うけど、そこから先は俺に言わせてくんないかな」

 普段の明るい祐真とは別人のように、とんでもなく気恥ずかしそうな表情。そんな顔も可愛いと思えて、仕方がない。亜衣子とよく似ている顔だけれど、この気持ちは亜衣子に対するものとはまるで違うものだ。

「てゆーか、ここまで来ちゃったら、もういまさらだと思うけど。俺もずっと、未唯菜ちゃんのこと…………」





──────その後のことは、言わぬが花というものであろう………………。




  


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2012.12.21改訂版up

こちらもキレイにまとまったようです。
慎吾と祐真のみならず、亜衣子と未唯菜が
義理のきょうだいになる日も来るのかも知れません。

背景素材「空に咲く花」さま