〔9〕
望んだ通り、ギィサリオンの刃によって死ぬことができたのかと……安堵の息をもらした瞬間、右肩に走る激痛。その痛みが、いまだ朦朧としていたセレスティナの意識を急激に覚醒に至らせ、気を失う寸前の記憶を克明によみがえらせる。 「……っ!」 自分は確かに、ギィサリオンに向けて「殺してくれ」と声に出さずに懇願したのに。ギィサリオンには通じなかったのか、それとも通じていながら彼があえて自分を自身の領域ともいえる川へと導いたのかはわからない。自分が、まるで自身の意思で逃げ込むように川へと転落したのは、間違いなく地の精霊の細やかな技のために相違ないことは、誰よりも一番わかっていたから。 あのまま、殺してくれればよかったのにと内心で呟いたとたん、水の精霊たちの悲しみを訴える波動が伝わってきた。それは、セレスティナがこの世に生まれてきた瞬間から慈しんできてくれた、無二の友ともいえる相手の想いだとわかっているからこそ、セレスティナの心は更に張り裂けんばかりに痛みを訴える。精霊たちのことももちろん大切だけれど。それと同じぐらい、サラスティアもギィサリオンも大切で。彼らを傷つけるぐらいなら、自分が命を落としたほうがよっぽどいいと思い、だからこそ全身全霊をかけて殺気を放ちながらギィサリオンに襲いかかった。 たとえ、セレスティナがすべての力を出し尽くしたとしても彼にはかなわないだろうとわかっていたから、ギィサリオンに対してというよりその先にある自分へと向かっての殺気だったといっても過言ではない。そうすれば、確実にギィサリオンは自分を仕留めてくれるだろうと思っていたから、心の中からすべての悲しみを閉め出して、これが最後のつもりで挑んだというのに。これで、果ての見えないこの戦いから解放されると思っていたから、すべてをかけて臨んだというのに。まさか死に損なってしまうなんて、夢にも思わなかった。 「──────!」 思わず両手で顔をおおって、あふれる涙を拭うこともせず流し続ける。その間にも、精霊たちはセレスティナの肩の傷を癒し、少しでも元の状態に戻そうとする。そんなこと、しなくてもいいのにと思うが、またしても精霊たちの悲しみが伝わってきたので、何も言えなくなってしまう。傷が癒えるということは、再び彼やサラスティアたちと戦わなければならないということなのに。それをわかっていても、精霊たちにとっては一番大切な彼女────あくまでも、現在の状況においてだが────を護るために、いつでも惜しみなく力を発動してくれる。普段であれば素直に感謝できる状況であるというのに、まるでギィサリオンやサラスティアを討てと言われているようで、涙が止まらない。 懐に大切に忍ばせていた小さな花は散ってしまった。刻は、もう戻せない───────。 そうして、どれほどの時間が経ったのかわからないが、肩の傷もだいぶ癒え、何とか動かすことができるようになった頃、果たして水の中にいて聞こえるものなのか、それとも精霊たちが故意に聞こえるようにしてくれたのかはわからないが、この日の戦いの終わりを告げる銅鑼の音が鳴り響いた。 精霊たちに思ったことを声に出さずに伝え、ゆっくりと身を起こして手をかけて川岸に上がったセレスティナに降り注いできたのは、まるで川の水が上からも吹きつけてきたのかと思うほどの激しい水しぶき。それが雨であることに気付くのに、少し時間がかかった。厚く垂れこめる雲のおかげで時間はまったくわからないが、もしかしたら今日の戦いはこの雨のために中止になったのかも知れない。そんなセレスティナの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできたのは、次の瞬間のこと。 「─────ティナ!!」 それが誰よりも近しい存在である従姉妹の声であることは、すぐにわかった。 「ティナ、傷は!? もう大丈夫なの!?」 「完全ではないけれど…水の精霊がかなり癒してくれたから、とりあえず普通には動けるわ」 サラスティアに手を借りて川から上がってから、セレスティナはゆっくりと立ち上がって、顔のほとんどを覆っていた髪をそっと上げる。 「心配してくれて、ありがとう……」 ほんとうは、あのまま死んでしまいたかったなどと言えるはずもなく、か細い声とかすかな微笑でサラスティアに応えた瞬間、彼女の肩越しに少し離れた場所で立ってこちらを見つめていたギィサリオンと目が合ってどきりとする。悲しげな瞳をこちらに向け、彼の唇が声もなく言葉を紡ぐ。 『済まなかった』 と───────。 それを見た瞬間、彼にはセレスティナの伝えたかった言葉がちゃんと伝わっていたことを悟り、セレスティナの心は他のどんな時よりも苦しい想いで満ち溢れた。自分だけが楽になりたい一心で、誰よりも優しい彼の心をこれ以上ないほどに傷つけてしまったのだ。愚かな自分の浅慮のせいで、彼の心に一生消えない傷を残すところだったのだ。自分の弱さが、誰よりも嫌になってくる。辛いのは、決して自分だけではないことを、自分はよく知っていたのに。雨にまぎれて、あふれだした涙が止まらない。 「……とにかく、天幕に戻ろう。このままじゃ風邪をひく」 だからもう何も言えず、サラスティアに促されるがままに天幕へと戻るしかなかった…………。 「……よかったよな。ティナちゃんも何とか無事に済んでよ」 「…ああ」 珍しく茶化すような響きもなく労わるような声音のジィレインの顔を見ないまま、短く答える。 彼女が、何を思ってあんなことをしたのかはわからない。誰よりも優しい彼女のことだから、皆が傷つくさまを見たくなかったが故に真っ先に死のうと思ったのかも知れないが、決してそれだけではないものを感じる自分自身も存在していて……。 けれどいまは、とにかくみずからのこの手で彼女を殺さないで済んだことに安堵していた。できるなら、これから先、誰よりも幸せになってほしい彼女だったから──────。 この戦いはいつ終わるのか。やはり、誰かが死ななければ終わらないのか。それとも、最後のひとりになるまで、終わらないのか…………。 恐らくはサラスティアに負わされたのだろう火傷を治癒するジィレインに手を貸しながら、ギィサリオンは何度考えたか知れない、結論の出ない不毛な考えを頭から追い払った。
翌朝、王の命により、あちこちに点在する水たまりを大地に吸収させて、ギィサリオンは小さく息をつく。足場の悪さを理由に戦いを休みにさせるつもりは、やはり王にはなかったらしい。 『昨日までの戦いを見ていて思ったのだがな。やはり、能力も体力も拮抗している同性同士で戦われても、何も面白くない。そこでだ。いっそ、イトコ同士で二手に分かれて戦うというのはどうだ? そして、二人のうち片方だけでも生き残ったほうが勝ちだ』 その言葉に、四人のみならず恐らくは王のそばに控えていたらしい者たちの間からもどよめきが走った。 口火を切ったのは、壮年の男性らしい低い声。 『陛下! それでは、我が娘たちへの負担があまりにも大き過ぎます。陛下は我が娘たちに為すすべもなく死ねとおっしゃいますか!?』 もう一人賛同する声も聞こえることから、相手は恐らくセレスティナとサラスティアの父親たちだろう。その意見には、ギィサリオンも同感だった。能力については精霊たちの力には大して差はないだろうが、それを使う人間の体力によって激しく左右される。持久戦になった場合、間違いなく不利なのは女性である二人だった。 『ならば、有利なほうに制限を科せばよかろう?』 「!?」 「…っ 何だ、これ!?」 脇から聞こえてくるのは、ジィレインの声。彼にも同じものが科せられたのだろうことは、訊かずともわかった。確かにこれならば、能力を使うのはともかく、体力や腕力にはかなり制限がかけられるだろう。短気な王らしいやり方だと思わざるを得ない。 『どうだ? それならば、存分に動けまい』 「…ったく、もう少し何とかならなかったもんかね」 万が一王に聞かれた場合を考えてか、ジィレインが抽象的な言葉を口にする。まったくの同感ではあったが、ギィサリオンはうなずくにとどめる。 それにしてもと思う。制限はともかく、このような組分けをされてしまったら、できることならジィレインに自分を殺してもらおうと思っていたギィサリオンの思惑は、まるっきり意味を為さなくなってしまう。セレスティナに自分を殺させて、彼女の心に傷を残すのが一番嫌だったが、豪胆な性格とはいえ同じく女性であるサラスティアについても同様だったから。 しかしこの状況では、ジィレインと戦うことができないだけでなく、戦う相手はセレスティナとサラスティアに限られてしまう。二人のどちらかに殺されるのは、自分の心情的にいえば構わないが、その場合残されたジィレインは……彼も殺されるか、彼が一人で女性二人を殺すかしか道はなくなる。自分だけならともかく、ジィレインまで道連れになるこの状況では、安易に命を投げ出す行動はできない。けれど……自分には、セレスティナを殺すことはできない。仮に運よく相討ちにもっていって、共に逝けたとしても、残されたサラスティアとジィレインは……どちらかが死ぬか、こちらも相討ちになるまで戦いを終えることはできない。もうどうしようもない、袋小路だった。 戸惑いが瞳に顕れていたのだろうか、思わず顔を上げて見たセレスティナの表情は、深い悲しみの色に彩られていて……すぐに視線を伏せられてしまったが、彼女にも、二手に分かれることの意味が理解できていると見えた。ジィレインも戸惑いを隠せない顔で、何を言っていいのかわからないといった風に他の三人を見比べている。唯一の例外はサラスティアで、闘志に燃える瞳と表情で片手のひらにもう片手の拳を打ちつけて、ことさら大きな声を上げた。 「要するに、あたしら二人で男連中をぶっ殺しゃいいってことだろ!? わかりやすくていいじゃん!」 一人、やる気満々のようだ。 「って……サラちゃん? ギィンはともかく、俺を殺すことに何の躊躇いもない訳?」 恐る恐る問いかける、ジィレインの声。自分はともかくとは何事だと思わなくもなかったが、自分もかつて似たようなことを思っていたのだから、大して変わらないかも知れない。 「あ? 自分たちが死にたくないんだから、なら相手を殺すっきゃないじゃん」 サラスティアにしてみれば、この中で死なせたくない相手といえばセレスティナぐらいのものだろうから────自分たちに対しても、数日共に生活しただけ多少の情はあるかも知れないが、生まれた頃から共に過ごしてきたセレスティナに対するそれとは比較にならないのだろう────実にあっさりと言い放った。その答えに、ジィレインが少々大げさな身振りでうな垂れる。 『どうやら理解できたようだな。ならば、改めて戦いに始めてもらおうか』 再び宙空から降ってくる王の声。それと同時に、サラスティアの身から放たれる熱量が徐々に温度が増してきて、ギィサリオンの全身が緊張に包まれる。地の精霊たちに明確な意思を伝え、同じく身の内で力を高めているジィレインと共にわずかに後ずさる。セレスティナはその美しい顔に悲痛な表情を浮かべたまま、動こうとはしない。けれど、まるで無防備な状態ではないことは、火を見るより明らかで……。 ふいに、ギィサリオンの背後で鳥が飛び立った瞬間、サラスティアが動いた! 灼けるように熱い炎の槍が二人に向かって迸ったその時、ギィサリオンの創りだした土の壁がその前に立ちはだかり、二人の身を守る。それを避けるように、ジィレインの手のひらから風の刃が弧を描いて疾風(はし)り、セレスティナが発した水の壁を切り裂きながらも、その隙に身をひるがえしていた二人には届かない。 戦いは、まだ始まったばかりであった。 いままでは、自分一人だけが死ねばそれで済むと思っていた。けれど残酷な王はそれだけでは飽き足らず、イトコ同士の二人を一蓮托生の運命に追いやろうとする。それはつまり、自分が一人で先に死ねば、残されたサラスティアが二人を相手に戦わなければならないということだ。いくら体力に制限を受けているといっても、精霊たちの力は拮抗している二人を相手に、サラスティアが生き残れる可能性は限りなく低い。 仮にセレスティナがギィサリオンと相討ちにもちこめたとしても、サラスティアはやはり同じように残されたジィレインと戦い、生き残れなければ意味はないのだ。自分とギィサリオンは…共に逝くことすら許されないのかと思うと、セレスティナの心はまるで鋭い刃で切り裂かれるように痛み、どくどくと血を流し続ける。 けれどセレスティナには、ギィサリオンを殺すことはできそうにない。自分の命はともかく、サラスティアとギィサリオンの二人の命を秤にかけても、どちらも選べない。ジィレインの命も同様だ。彼が命を落とした時、誰が一番悲しむかをよく知っているから。自分がサラスティアを決して切り捨てられないように、彼を切り捨てられない人物がいることを、痛いほどにわかっているから──────。 だから、決して手は抜けない。体力の制限を受けているとはいえ、瞬発力は失っていない防ぎきれなかった風の刃が、みずからの肌を幾度傷つけようとも……昨日負っていまだ完治しきっていない傷が痛もうとも、心がそれ以上に痛みを訴えていようとも、戦いをやめることはできない。 |
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2012.4.11up
残酷な王の気まぐれにより、ますます苦しい立場に追い込まれるふたり。
最後に残るのは、いったい誰なのか……。
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