魔物たちも、彼らが張っている結界や、つい昨日多くの同胞が葬られたことを知っているからか────魔物の亡骸は、腐敗などして悪臭を放ちだす前にギィサリオンが大地に吸収させたので、血の跡も匂いすらも残っているはずもないのだが、魔物たちには彼らなりの情報伝達能力でもあるのかも知れない────四人を遠巻きにして見ているだけで、近寄ってこようとはしない。 「へえ…昨日、一昨日はろくに見てなかったけど、結構いいとこなんだね、このへんも」 周囲を見回して、サラスティアがぽつりと呟く。 「まあ、魔物さえいなきゃの話だけどな、俺たちみたいな四大部族の人間ならとくに問題はないだろ」 何気ない様子で答えるのはジィレイン。確かに、自分たちのように能力を持ち合わせている人間なら問題はないかも知れないが……。 「でもそれは、移動能力のある一族の方に限られるのではないでしょうか。私やサラのように、水や火の一族の者では、魔導師や動物に頼らなければ、移動すらもなかなかままなりませんわ」 セレスティナたち水の一族やサラスティアたち火の一族の者も、移動先に水や火があれば瞬間移動は可能だが、それとて必ず都合のよい場所に存在する訳でもなく、なおかつ長距離の移動はできない。直接聞いたことはないが、地の一族の者は大地の続く場所ならどこへでも、長距離でも移動できるという話だし、風の一族の者なら言うに及ばず、だ。 「確かに…そういう意味では、水や火の一族の者は不便であろうな」 うなずきながら答えるのは、ギィサリオン。セレスティナもみずからの一族の特性を語ったことはとくにないが、彼も一知識として知っていたのかも知れない。 「それ言ったら、風の一族も結構不便だぜ? 気性的にひとつところに留まっているのは窮屈で仕方ないってのに、長や陛下の許可なしじゃ好きなとこにも行けやしねえ」 行けてせいぜい、国の東西南北に散っている分家筋の近辺だけだ。 忌々しそうにそう続けるジィレインに、自由に移動できる者にはできる者ならではの気苦労があるのだなとセレスティナは思った。自分たち水の一族の者は、ある意味水が高い所から低い所に流れるように、自然のなりゆきに身をまかせることに何の抵抗も持っていない。むしろ、急激な変化を忌避する傾向にあるかも知れない。そういう意味では、どの一族にもそれぞれ長所も短所もあるのだろう。 そんなことをぼんやりと考えていたから、足元にあった石に気付かなくて、思いきりつまずいてしまった。 「きゃ…!」 地面に勢いよく倒れ込むことをとっさに覚悟したセレスティナだったが、それにしてはあまりにも軽い衝撃があっただけで、いつまで経っても痛みが訪れないことを不思議に思い、恐る恐る目を開けると……心配そうに自分を見つめているギィサリオンの黒い瞳と目が合って、驚いてしまう。それも、ふたりの顔の間には20cmもないのではないかと思えるほどの、至近距離だ。 「…大丈夫か?」 地面に倒れ伏す前にギィサリオンが抱き留めてくれたのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。 「あ…ありがとう、ございます……おかげで何ともありません」 赤くなってしまいそうになる顔を懸命にこらえながら礼を言って、セレスティナはそそくさとギィサリオンから離れてしまったから。ギィサリオンをはじめとする他の三人がどんな反応をしているのか、まるで気付かなかった。 「……今回はえらいことに巻き込まれちまったと思ったけど、こうして他部族と交流できるってのも悪くなかったかもな」 できることなら、違う形でならもっとよかったけれど。 そんな、声にならない声が聞こえてきた気がした。 「てな訳で、サラちゃん、違う意味でも交流してみねえ?」 片手でサラスティアの手を取り、もう片手を彼女の腰に回したジィレインの笑顔が、次の瞬間一気に青ざめた。サラスティアが、まったく焦りもしないままその足の甲を思いきり踏みつけたせいだ。どうしてこうサラスティアは、手が早い────もちろんジィレインとは別の意味でだ────のだろう。半分近くは同じ血が流れていると思うのに、自分とあまりに違い過ぎるのが、セレスティナには不思議で仕方がない。 その後は、大自然の脅威に驚きつつも────彼らは確かに四大元素の加護を受けてはいるが、彼らの受けているそれと大自然のそれとでは、あまりにも違い過ぎて驚くことしきりだ。精霊たちが、自分たち相手には色々便宜をはかってくれているのだろう────小動物などとささやかな交流をして、四人は気ままに楽しく過ごした。 そして。 「ああ…もう、陽も暮れるな」 夕食用の獲物を手にしたギィサリオンが、ぽつりと呟いた。それに応える声は、ない。皆、わかっているからだ。 「…………」 こんな風に、四人で穏やかに夕陽を見つめる日など、恐らくはもうないだろうことを……もしも次にこんな時が来るとしたら、その時にはこの中の誰かが欠けているか、もしくは最後のひとりになった時であろう。それが痛いほどわかっているからこそ、四人は自然と無口になり、ジィレインやサラスティアさえ冗談めかした言動を見せることもなかった。 夕食の席でもそれは同様で、それが更にセレスティナの心に重い現実をのしかからせる結果となった。 「……今日はあたしが片付けるよ。ティナは、風呂の準備でもしといて」 「…わかったわ」 天幕に戻り、今朝洗って干しておいた洗濯物を片付けていたセレスティナは、自分たちのものの中に交じっていたあまり見覚えのない小さな布地に気がついた。 「これは……」 確か、ギィサリオンが汗を拭いているのを見たことがある。慌てて取り込んだから、交じってしまったのだろう。そっと顔を寄せると、ほのかにギィサリオンと同じ香りが漂ってくる気がして、涙がこぼれそうになってくる。必死の思いでそれはとどめたけれど。 明日なんか、来なければいい。彼と戦わなければならない明日なんて……このまま、永遠に四人で過ごせたらいい。たとえ想いを伝えることができなくても、まるで以前からの友人のように、四人でずっと過ごせたらいい。もう何度考えたかわからないそれを、セレスティナはいま、何よりも切実に願う。 けれど、時間を止めることなど誰にもできず、時は刻々と過ぎていき、恐らくはただひとり以外誰もが望んでいない朝が、またやってくるのだ──────。 『過日はとんだ邪魔が入ったが、今度こそ私を楽しませてもらいたいものだ。わかっているだろうがな』 楽しげな王の声を他の何よりも重い気分で聞きながら、ギィサリオンは顔を上げる。既にジィレインとサラスティアは、みずからの手の中にそれぞれの能力を発動させており、顔を上げないままのセレスティナも恐らくは気付いているに違いない。 昨日までは、まるで旧友のように過ごしていた四人で、戦わなければならないなんて…ギィサリオンの心はまるで刃物で切り裂かれるように痛んだ。 「油断は禁物だぜ!! ギィン!」 ジィレインの手の中から、放たれる風の刃。それを軽やかな動きで避けながら、四人の輪の中から離れる。 「…!」 「ならこっちも始めるとしましょうか!? ティナ!」 セレスティナの背後から、迫るサラスティアの炎の刃。いつでも出現させられるようにしていたらしい水の剣でそれを受けながら、セレスティナもわずかに身を引いてサラスティアから距離をとるのが見えた。やはり、この組み合わせになるのかと思いながら。 けれど、そう思ったのは自分だけでなかったことを、ギィサリオンは知らない。 「…………」 それに表立って賛同する者はいない。もしかしたら皆、リオディウスと同じようにこの戦いを楽しむことなどしていないのかも知れない。 『おお、雨か! まさか、これを有効に使わない手はなかろうな、水の一族の者よ!!』 面白いことになってきたと言わんばかりの楽しげな叫びに、ギィサリオンの視界の端でセレスティナが大きく身を震わせた。この中の誰よりも戦いを望んでいないであろう彼女に、他人を傷つけることを強要するなど、王は何と残酷なことをするのか。彼女が決して逆らえないことを知っていながら……。 「…っ!」 セレスティナの、声にならない慟哭を聞いた気がした─────次の瞬間。腕や脚をかすめたのは、小さな、けれど確実に肌に刺さる痛み。雨が、刃と化してこの身に襲いかかっているのだと気付くと同時に、大地の盾を創り、頭上に掲げる。セレスティナの力ならば、雨をもっと鋭い刃と化してもっと深い傷を負わせることもできただろうに、そうしなかったのは彼女の優しさ故だろう。 ちらと見ると、それぞれ自分の能力を駆使して雨の刃を避けているジィレインとサラスティアの姿が目に入ったが、すぐに雨が激しくなってきて、数メートル先さえ見えなくなってしまった。これでは、誰がどう動いても視認することもできない。 「……!?」 そんな中、背後から感じるのはまぎれもない殺気。誰が発しているのかまではわからないが、肌を突き刺すようなそれは、確かに自分を殺そうとする意思にあふれていて、誰のものだろうと関係ないとギィサリオンに思わせるものだった。 そしてその殺気の持ち主が唐突に動き、その正体を見極めようと考えるより早く、ギィサリオンの身体も瞬時に動き……相手が繰り出してきた刃をかわして────とはいっても、完全にはかわしきれず、薄皮一枚といっていいほどのほんとうに軽い傷を負ってしまったが────と同時に、ほとんど反射的にみずからの剣を突き出していた。相手の正体など、確認する余裕すらなかった。 まず目に入ったのは、無残にも散りゆく一輪の小さな花─────それは昨日、そう、間違いなくあの時、誰でもない彼女の髪に挿してやったあの花だった。今日は戦士然として髪を束ねていた彼女のどこにも見えなかったそれが、どうしていまここで散っているのだ? 周囲すらまともに見えない雨煙の中、ようやく相手の姿が見えるようになって…その細い肩に突き刺さったギィサリオンの刃から、相手がゆっくりと身を引いて、雨に濡れそぼった、その淡い色の服にじわりじわりと赤い色が滲みだして元の色を変えていくのを、ギィサリオンは信じられないものを見る思いで見つめていた。 「セ……?」 ほんの昨日─────自分のちょっとした行為によって、可愛らしく頬を染めた……つまずいて転びかけたところをとっさに抱きとめた、彼女がいま、自分の目の前で傷つき、立っているのもやっとという様子でその場に立ち尽くしている。他の誰でもない、自分自身が突き立てた刃によって! 「─────っ!!」 声にならない叫びが、ギィサリオンの喉から迸った。何故だ? どうしてこんなことになった? 自分は確かに、自身に純粋な殺気を向けてくる相手に応戦しただけだというのに、何故誰よりも傷つけたくなかった彼女が目の前で傷ついている? あの時の殺気は、確かに本物だった。誰よりも戦うことを嫌っていたはずの彼女から、どうしてあんな殺気が放てたというのだ!? 恐慌状態に陥りかけたギィサリオンの前で、雨で長い前髪が下りてきて表情すら見えなかった彼女の唇が、満足そうに笑みを浮かべた。信じられないことだが、ギィサリオンの目の前で、彼女は確かに微笑んだのだ。血の気を失った唇が、ゆっくりと声にならない言葉を紡ぐ。それを見た瞬間、ギィサリオンはもう何も考えられなくなった。 「…………」 地の精霊に向かって、命を下す。決して声に出さず、内心で。他の三人もそうであろうが、きちんと精霊たちとの連携がなされている場合、意思の疎通に言葉は要らない。目前でふらつきながら立っていた女性の細い身体が、がくりと崩れ落ちる。決して意識は失ってはいないが、傍目には傷のために立っていられなくなったようにしか見えないだろう。地面に倒れ伏した彼女に向かって、雨がその血を洗い落とした刃を手に、両腕を振り上げる。 「ティナっ!!」 彼女に誰よりも近いであろう相手の声を聞きながら腕を振り下ろすと、それを避けるように、倒れていた彼女の身体がごろりと転がって、ギィサリオンの刃は地面に突き刺さる。それを抜き取って再び彼女の身に振り下ろすが、彼女の身体は何度も転がっては元いた場所からどんどん離れていく。それを追って同じように移動を始めたギィサリオンは、彼女の身体が向かう先を確認して、内心で安堵する。 この彼女の行動が、彼女自身の意思によるものではないことを、誰よりも知っているからだ。自分でも茶番だと思うが、地の精霊に命じたのは、彼女の身体の下にささやかな段差を創りだして、まるで彼女が自分の意思でそうしていると見えるよう、彼女の身を移動させること。そうして、狙い通り彼女の身はその先の川へと派手な水しぶきを上げて落下した。 故意に他者に聞こえるような舌打ちをして、地面に刺さった刃を抜いて、ゆっくりと身を起こす。彼女は水の一族の者だ、水の中でなら窒息することもないし、水の精霊の加護によって傷を治癒してもらうこともできるだろう。そして、そうでない者は水の精霊の目くらましによって彼女の姿を見つけ出すことさえできなくて当然で、だからこそここで追うのをやめたとしても至極当然のことだった。地の精霊に内心で礼を述べながら、ギィサリオンはくるりと身をひるがえして川に背を向けた。 「………………」 激しく降る雨を全身に受けながら、空を仰ぐ。 あの時────彼女の頬を濡らしていたのは、雨だったのか、それとも…? そして彼女の唇が紡いだ言葉は……とても信じられないことだったが、どう見てもそう告げているようにしか思えなかった。あれが彼女の本心だと、思いたくはない。けれど。あの至近距離では、他に見まがえようもなくて…………。 ギィサリオンの脳裏で、記憶の中の彼女がもう一度同じ動きで、声にならない言葉を紡ぐ。 |
2012.4.4up
ささやかな安息は終わり、再び始まる哀しい戦い…。
ほんとうに、誰かが死ぬまで終わらないのか。
彼らの秘めた恋心は、あの小さな花のように散るしかないのか……。
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