〔3〕





 天幕と結界を張り終える頃には、陽はだいぶ西側に傾いていて。これからそれほど経たないうちに、このへんも暗闇に包まれるであろうことも、安易に見てとれた。

「それから…とにかくメシ、だな。たんぱく質摂ったほうがいいだろ、俺、暗くならないうちに鳥でも獲ってくる」

 言うが早いか、ジィレインは風に乗って、空中に舞っていってしまった。

「では私は、あちらにあった川から飲み水を確保してきます」

 そうセレスティナが告げるが、他の荷物と共に用意されていた水瓶は、空のままでもかなりの重量があったはずだ。それに水を汲んだら、とてもセレスティナの細腕で運べるとは思えない。

「しかし…!」

 思わず声をかけようとしたギィサリオンを制したのは、彼女を誰よりも知り尽くしているであろうサラスティアだった。

「水に関しては、ティナの心配はいらないよ。水なら、手や道具を使う必要もなく運べるんだから」

 そういえば…彼女は水の一族の者だった。精霊の力を借りれば、ほとんど労力を使うことなく水を扱うことができるだろう。

「…ならば俺は、食用にできる野草を探してこよう」

 同じように地の精霊の力を借りれば、たとえ多少遠い位置にあるそれでもすぐに採ってこられるから。

「んじゃあたしは、火をおこすとしようか。料理するにしても暖をとるにしても、焚き火は必要だろうからね」

 更にいうなら、野生の獣避けにもなるだろう。もっとも魔物からすれば、何の抑止力になり得ないこともわかっていたが……。

 そうして、四人それぞれの方向に別れ、各々の役目を果たすべく歩き始めた……。


 それから一時間かそこら程度の時間を経ただけで、四人は再び集まり、すっかり夕食の準備を整えていた。辺りは既に闇に包まれつつあったが、サラスティアのおこした焚き火が派手な音と激しい炎を上げていたので、不便には思わなかった。

「サラ。少し、炎が激し過ぎよ。これでは、お肉の中まで焼ける前に外側が焦げきってしまうわ」

 セレスティナの言葉に、サラスティアがかすかに眉をひそめた。

「微調整なんて、めんどくさいんだよね。やれと言われれば何とかやるけどさ」

 やはり、外見通りサラスティアは大雑把な性格らしい。ぶつぶつ文句を言いながらも炎を少々小さくおさめ、気だるそうにため息をついた。

「…そろそろいいんじゃね? レディファーストで、女性からどうぞ」

 ジィレインの言葉にやはり不機嫌そうに視線を向けながらも、とくに文句をつけることもなく、サラスティアは串に刺された肉へと手を伸ばす。

「女扱いは嫌だけど、食い物に関しては話は別だ。言っとくけど、あたしは遠慮なんかしないからね?」

「どうぞどうぞ」

 本人は何も言わないが、ジィレインはサラスティアを気に入ったらしい。何かとさりげなく構っているが、サラスティアが気付いているかは、ギィサリオンにはわからない。まあ、自分に干渉できる問題でもないし、する気もなかったが。

 そうするうち、ギィサリオンは肉にまるで手を出そうとしないセレスティナに気付き、そのかたわらにある空の容器に焼けたそれを入れてやった。とたんに、驚いたように彼女が俯き気味だった顔を上げる。

「わ、私、あまり食欲がなくて……」

 それを遮るように、言葉を紡ぐ。

「…無理にでも食べておいたほうがいい。でなければ、いざという時に動けないからな」

「……!」

 彼女の気持ちもわかる。体調を万全にしておいたところで、今回の敵は襲い来る魔物など心を痛める必要のない存在ではない。たったいま、こうして交流をしながら共に過ごしている相手なのだ。それも、互いに何の確執すらない……。

 王の真意は、四人の誰もわかっていない。これから始まる戦いをいつまで続ければいいのかすらわかっていないのだ。殺し合いといったけれど、殺す寸前までで許されるのか、それともほんとうにこの中の誰かが死ぬまで続けなければならないのか。そして、それは一人が犠牲になっただけで終わりにできるのか、それとも最後の一人になるまで続けなければならないのか……。

あの王の性格からして、殺す寸前で許してもらえるとは到底思えない。ということは、この四人の中の誰かが死ななければならないということになる。やはりこの四人の中の、他の誰かの手によって──────。

「…………」

 それがわかっているから、四人の誰もが自然に無口になるのだろう。直接訊いたことはないが、恐らくはこの四人が四人とも人を殺めたことなどないに違いない。自分たちの戦いは、あくまでも守るための戦い────率先して、誰かを傷つけるための戦いなど、誰もしたことがないに違いないのだ。

 更に、誰でもないセレスティナを手にかけることなど……自分には、できそうもない。

 逆に、生来優しい性格であろうセレスティナにとっても、相手が誰であっても同じことに違いない。いっそ彼女と相討ちを装って、と考えなくもなかったが、自分はまだしも他に好きな相手がいるかも知れない彼女を、自分の勝手な感傷だけで道連れにすることなど、ギィサリオンにはできなかった。それならば、彼女に自分を殺してもらうほうがよっぽどマシだとも思うが、彼女の心にこれから先もずっと深い傷を負わせることを思うと、それもできなくて…………。

 複雑な想いを闇が覆い隠したまま、時間は刻々と過ぎていき、非情にも朝はやってくるのだ………………。




              *     *     *




 どうしてこんなことになったのだろうと、セレスティナは思うしかなかった。
 想いを口にすることはできない─────たとえ、サラスティアが相手でも。彼女のことは信頼しているが、どんな運命のいたずらからギィサリオン本人に気付かれるかわからないからだ。

そんなことになったら、一見ぶっきらぼうに見えて根は誰よりも優しい彼のことだ、きっと苦しむに決まっている。たとえ自分のことを何とも思っていなくても、自分を手にかけることに躊躇いが生じるに違いない。ただでさえ、誰かを傷つけるであろうことに心を痛めているだろうに、その上自分の想いを知ったら……彼の心に一生癒えない傷を残すことは想像に難くない。この戦いの後、恐らくは自分ではない他の誰かと寄り添って生きていくであろう彼の心に、これ以上負担を残したくはなかったから。

だから、彼には何も知られないままで、自分を黄泉路へと送ってほしかった。サラスティアの参戦しか知らなかった頃は、サラスティアにそうしてもらうことが一番の望みだったが……いまとなっては、二人のどちらに殺されても構わないと、セレスティナは考えていた。

それでも、涙はこらえきれなくて────用意された寝具にくるまって、サラスティアに背を向けた状態だったからか、つい気が抜けてしまったのだ────頬に、一筋の涙が伝う。それ以上は、サラスティアに気付かれるのが怖くて、必死の思いでせき止めた。

 そうしている間にも、時間は朝に向かって容赦なく過ぎていくのだ…………。


 翌朝、睡眠不足で重く感じる身体を引きずるようにして、起床したセレスティナは手早く身支度を整えた。重いのは、身体だけではなかったけれど─────。

やはり言葉少なに四人で朝食を摂って、それぞれ心身ともに準備を整える。誰もが、決して乗り気ではなかっただろうけれど。

そして、太陽が完全に姿を現して辺りを眩しく照らし始める頃、何の前兆もなく再び宙空から声が降ってきた。完全に期待に胸を躍らせている、王の声だ。

『おはよう、諸君。昨夜はよく眠れたかな?』

普通の神経の持ち主なら眠れる訳がないだろうに、そんな言葉を口にする王の無神経さにセレスティナは内心で苛立ちを覚えた。決して、表に出すことはできないが。

『今日から、諸君には私を楽しませてもらおうと思う。わかっていると思うが、いとこ同士だからといって手を抜くような真似をしたらどうなるか……くれぐれも、私を失望させないでくれよ?』

 言外に、全力を出さずに手加減などしたら、その人物の一族の者に罰を与えると告げるその声に、四人全員の全身から一瞬不穏な空気が漂ったことに、遠い王宮で幕越しに見ている王は気付いたかどうか……。

『戦闘開始と小休止、終了の合図はこちらで銅鑼を鳴らす。その間は、せいぜい私を楽しませてもらいたいものだな』

 王の言葉が終わると同時に、宙空から突然大きな銅鑼の音が鳴り響いた。
 恐らくは王以外は誰ひとり望んでいなかった戦いが、いま、始まりを告げたのだ──────。

 それと同時に、すぐ隣から尋常でない熱量を感じて、セレスティナは間髪入れずに跳びすさった。サラスティアが能力を使う時の前兆だと、この場にいる誰よりもよく知っていたからこその行動だ。セレスティナの唐突な反応に気付いて、ギィサリオンは全身に緊張感を漲らせ、ジィレインは風に乗って素早く宙空へと身を滑らせる。それと同時に、激しい炎が三方に分かれて放たれたのは、次の瞬間のこと。

「く…っ!」

 とっさに大地から創りだした盾を手にしたギィサリオンが、その勢いにわずかに圧されて思わず短く声を発するのが聞こえた。よもやまさか、女性であるサラスティアからここまで激しい攻撃を食らうとは思っていなかったのだろう。さすがに生まれた頃から彼女を知悉しているセレスティナは、初めからその覚悟で最高の防御力を誇る水の盾を創り上げていたが。攻撃がやんだと思った瞬間、サラスティアの怒鳴り声が響いた。

「こらーっ! 避けたら戦いにならないだろうがーっ!!

 盾を一瞬にして消してそちらを見ると、宙空でとどまるジィレインに向かって怒鳴りつけているサラスティアの姿が目に入った。

「やだな、サラちゃん。そんなのまともに食らったら、俺丸焼けになっちゃうじゃん」

「丸焼きにするためにやってんだろうがっ あとその呼び方はやめろ、気色悪いっっ」

「えー」

 何とまあ…緊張感のない会話をかわしているのだろう。思わずぽかんとしかけたセレスティナだったが、すぐさま宙空から降ってきた声にハッとする。

『そちらの二人も、傍観しているだけでは困るな。私を退屈させるつもりかな?

 声音も口調も優しいそれだったけれど…その裏にひそむ残酷さを知っているセレスティナは、びくりと身をすくませる。「そちらの二人」とは…誰でもない自分と、ギィサリオンのことであろう。

「…………」

 唇を噛みしめながらそちらを向くと、やはり苦悩の色にその瞳を染めたギィサリオンと目が合った。決して、戦いたくはない相手だったけれど……それが許される状況でないことは、四人とも痛いほどにわかっている。だから。

「やあっ!!

 空気中の水から創りだした剣を両手に構え、ギィサリオンに斬りかかる。それはまるで、みずからの心に刃を突き立てるような痛みをもたらす行為だったけれど。

「!」

 思った通り、ギィサリオンは大地から創りだした剣で、セレスティナの剣を受け止める。ただでさえ体格の差があり、普段から剣を使い慣れているであろうギィサリオンには、セレスティナの全体重をかけた攻撃など案の定通用するはずもなく、すぐに薙ぎ払われてしまった。

「きゃっ!」

 それでいいと、セレスティナは思う。他にも攻撃するすべを持っているのにあえて不利な剣を選んだのは、少しでも早くギィサリオンに自分を殺してもらいたかったから。戦い慣れしていない、馬鹿な女だと思われても構わない。彼を傷つける前に、少しでも早く、この命の火を消してもらいたかったから─────。

「はあい、ティナちゃん、隙だらけよーっ?」

「!」

 そこにかけられる声にとっさに立ち上がると、予想もしない方向から螺旋状の炎がセレスティナをめがけて襲いかかってくる。考える間もなく水の盾を創って防御するが、あまりにも唐突だったがために勢いに負けてしまい、思わず後ずさったところに、背中に当たる、硬く安定感のある何か。それが何であるのか振り返って確認する前に、背後の上空から聞こえてくる声で、その正体を知ることになる。

「俺、一度お前とマジでサシで戦ってみたかったんだよなーっ」

「戯言を…っ いつだって、隙あらば襲ってきたくせに、よく言う!」

「…っ!」

 ギィサリオンの声と共に響いてくる振動に、背中に当たるそれがギィサリオンの背であることに気付いて、セレスティナの顔がかあっと赤くなる。一瞬、他の者に気付かれるかと焦るが、サラスティアの炎に照らされて自分の顔色などわかる訳がないと思い直し、ホッとする。いつまでも安堵していられる状況ではないのはわかっているけれど……ギィサリオンの温もりを、このままいつまでも感じていられたらと願わずにはおれなかった…………。




              *     *




 何故、戦いたくない相手と戦わなければならないのか。考えても栓ないとわかってはいるが、ギィサリオンは考えずにはいられなかった。

 寝不足の頭と身体を抱え、何とか戦えるコンディションへと整える。戦いが始まったとたんに自分が死んだりしたら、あの王のことだ、どんな罰を地の一族に与えるかわかったものではない。だから、とりあえずしばらくの間は誰にも気付かれない程度に適当に手を抜いて戦うしかないと思っていた。恐らくは真剣に戦いに臨んでくる相手に対しては失礼だと、本来の自分なら思うだろうが、もともと自分たちの本意ではない戦いなのだ、それほど抵抗は感じなかった。

 戦いの始まりを告げる銅鑼が鳴ったとたん、素早い動きで彼女自身の従姉妹から離れたセレスティナに驚いたのも束の間、あまりにもすさまじい勢いの炎の攻撃に、とっさに防御するのが精いっぱいだった。それがようやくおさまったと思えば、今度はジィレインとサラスティアの、緊張感があるのだかないのだかわからないやりとり。セレスティナ同様、茫然としたくなったとしても仕方のないことといえよう。

 そんなのんきな時間も、王の、ただ聞いただけでは穏やかにしか聞こえない、けれどその裏には見えない毒を仕込まれている、何よりも危険な言葉に遮られる。その証拠に、敏感にそれを察知したらしいセレスティナが、大きく身体を震わせるのが視界の端に映った。大雑把な性格の従姉妹と違い、繊細な神経の持ち主であろう彼女も王の真意を感じ取ったのだろう。戦うことを示唆されたことに応じ、セレスティナがゆっくりとこちらを向いた─────深い哀しみに満ちた瞳で。

「やあっ!!

 そんな彼女に胸を痛めながら、彼女が繰り出してきた剣の攻撃をみずからの大地の剣で食い止める。わざわざこんな接近戦を選ばなくても、彼女ならもっと有意義な攻撃方法を思いつけるだろうに何故と思いながらも、多少手心を加えながら彼女の身体ごと剣を薙ぎ払う。短い悲鳴を上げながら倒れ込むセレスティナに、今度はサラスティアの攻撃が迫る。心配する間もなく、自分にはジィレインの攻撃が迫って……。

「俺、一度お前とマジでサシで戦ってみたかったんだよなーっ」

「戯言を…っ いつだって、隙あらば襲ってきたくせに、よく言う!」

 それは、事実。「いつでも応戦できるように、鍛錬は欠かさないほうがいいだろー?」などと言いながらも、半ば本気としか思えない襲撃を以前から自分にちょくちょく仕掛けてきていたから。

 セレスティナと違い、この従兄弟の相手をするにはわずかにでも気が抜けなくて、半ば無意識に後ずさった先で背後で何かが当たって足が止まるが、それを確認する暇などいまはない。けれど、その頼りない感覚から、背に当たるそれがそこいらに生えている樹などではないことを確認させると同時に、ひとつだけ思い当たるものがあって……。

「ほらほらティナちゃん、もう後はないわよー?」

「…っ 見くびらないでほしいわねっ!」

 すぐ背後から聞こえてきた声に、ただひとつの心当たりであったそれが確信に変わる。

「水龍っ!!

 背後で、力を発動させる気配。相手が腕を上げた拍子に、華奢な肩が背に当たって……その意外な低さが、思っていたより相手の身長が低かったことに対する新たな驚きをギィサリオンにもたらした。

 戦いの最中に、そんなささいなことに気をとられるなど、ギィサリオンにとって初めての経験であった…………。



    




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2012.2.28up

ついに始まった終わりの見えない戦い。
彼らの未来で待っているのは、生か、それとも死か……。

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